おそれている事3

日が高く昇った頃、ムートも元気になり、アリエッタとアストロはムートの家へ戻った。出迎えてくれたアクアは、柔らかく微笑んだ。


「おかえりなさい」


「おにいのようすは?」


ムートが訊ねれば、アクアは悲しげに眉を伏せた。


「回復の兆しは、ないわ。それに、魔病が進行している」


もう長くはないかもしれないと、アクアは告げた。


「そんな……」


ムートは呆然と呟いて、アリエッタから貰った金の指輪を握り締めた。そしてとぼとぼと、ユーニの寝ているベッドの元へ歩いていく。


「ノビルニオは……まだ帰って来てないんだね」


アリエッタが言うと、そうね、とアストロが答えた。


「記憶はまだ戻らないのかしら?」


「解らないわ。今は彼女を信じてみるしかないわね」


アクアは言うと、アリエッタ達に別の事を訊ねる。


「"黒いフードの集団"は見当たらなかった?」


「ええ、影も見なかったわ」


アストロが答えると、アクアはほっとしたようだった。優しく美しい微笑みを浮かべるアクアに、アストロは胡乱気な視線を向ける。


「……アクアって、優しい人だと思ってたのに、そうじゃないのね」


するとアクアは、静かな瑠璃色の目を細めた。アリエッタは突然そんな事を言ったアストロを、訳が判らず見つめる。


「アストロ……?」


「いつも優しげににこにこしてるかと思ったら、あんな小さい子供を殺そうとか言い出したり。……あんたは、あたし達異端者を集めて、何をするつもりなの?」


厳しくアクアを見つめるアストロに、アクアは静かな声で言った。


「私には、使命がある。その為に私は貴女達を探していたの」


その瞳は冷徹で、いつもの彼女とは別人のような気迫がある。


「その為には、私はどんな手段をとっても構わないと思っているわ。例えそれが、人殺しでも」


「───ッ、あんたっ!」


「ちょ、止めなよ!」


アクアに掴み掛かろうとしたアストロを止めて、アリエッタは慌てた声で言った。アストロはきっ、と彼を睨み付ける。


「あんたもあんたよ、アリエッタ!あんたはそれで良いと思ってる訳!?」


アリエッタは咄嗟に叫んだ。


「僕はアクアを信じてる!だから、だから……!」


何故、そこまでアクアを信じられるのか、自分でも判らない。けれど、彼女の言う通りにしていれば、全てが上手く行くような気がした。それはただの直感だ。


それよりも、今は。


「────喧嘩は、止めようよ………。折角の仲間なんだから」


するとアストロは、ぽかんと呆けた顔をした。なかま、とその唇が動く。そしてみるみる内に顔を真っ赤にさせると、慌てたような声で叫んだ。


「なっ、仲間ってっ。確かに、な、仲間だけどさっ」


そう言った後、アストロはアクアを遠慮がちに見つめると、済まなそうな表情で呟いた。


「ア、アクア、ごめん。言い過ぎた」


するとアクアは柔らかく笑い、首を横に振った。


「いいえ、私こそ、ごめんなさい。何も言わなくて」


そしてアクアは真剣な顔で、付け足した。


「───いずれ、教えるわ」


そこに、この空気を感じていないのか、無視しているのか。ムートがこちらに向かって歩いて来た。その口は、ノビルニオノビルニオ、と反芻している。


「ムート、どうしたの?」


アリエッタが訊けば、ムートは難しい声で唸った。


「ノビルニオって、なにかできいたことがあるきがするんだ。なんだったっけ……」


そう呟いたムートは、とことこと再びユーニの方へ歩いて行った。ヒューヒューと、ユーニの苦し気な呼吸音が、やけに大きく聞こえた。







ノビルニオは、息を切らしていた。貴族の家が並ぶ、都市の某所。其処に彼女は立ち尽くしていた。痛む頭に堪えながら、ノビルニオは必死な形相で辺りを見回す。


ムートの兄ユーニを助ける為でもある。


しかしそれよりも、何よりも、恐ろしかった。


何も知らない事、判らない事、覚えていない事。


それがどれだけ愚かで、恐ろしい事を、彼女は知っているからだ。




────その所為で、わたしの兄は死んだのだから。




微かな記憶を辿って、ノビルニオは思い出す。


「わたしの……家……」


ノビルニオの足は、とある館の前で止まった。白い壁に白く大きな玄関が特徴的な、大きな館だ。標識には"Plum"という文字が彫られている。彼女は自然と、その館に足を踏み入れていた。ノックもせずに大きな扉を開く。


ぎぃ、と、扉の軋む音が鳴った。







「おもいだしたっ!」


突然、ムートは叫んだ。どうしたのかと少年を見つめるアリエッタとアクア、アストロに構わず、ムートは早口で捲し立てた。


「ノビルニオって、ノビルニオ・プラムのことだ!いちりゅうおんがくかの、むすめだってきいたことがある!」


ぽかんとするアリエッタ達を他所に、ムートは急ぎ足で外へ出る扉へ向かった。


「おれ、いってくる!おまえら、おにいのことみててくれ!」


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」


アストロの声にムートは応えず、駆け足で家を出て行った。突然の事で反応出来ずにいた三人は、ムートを追い掛ける事が出来なかった。


「どういう事?プラム?一流音楽家?」


訳が判らず困惑するアリエッタに、アクアは考えるようにして呟いた。


「聞いた事があるわ。五年位前に流行していた有名な音楽家、プラム。其処の娘だったのね。知っている?」


アリエッタとアストロは互いに顔を見合せてから、首を横に振った。生きる事で精一杯だったアストロと、世間知らずなアリエッタにとって、音楽の事など知らなくて当然だろう。


「とりあえず、アリエッタはムートを追って……」


眉根を寄せたアクアの言葉に頷き掛けた。


その時。


人のものとは思えない絶叫が、小さな家に響いた。







館の中は静まり返っていた。


白を基調とした家具や装飾品は、何処か見覚えがあり、心が落ち着く気がする。広い玄関を見回して、ノビルニオは懐かしさを覚えて目を細めた。玄関の先に行くと、グランドピアノが置かれたリビングになっていた。その先は長い廊下になっており、いくつもの部屋へ続く扉が整列している。


ノビルニオはその廊下へ進み、一番手前にある扉に手を掛けた。しかし中の部屋を見るや否や、すぐに扉を閉め、別の扉を開く。


それを何度も繰り返していった。


しかしその手は、4回目の扉を開くと止まった。部屋の中で一番最初に目に付いたのは、グランドピアノだった。ピアノは窓から差し込む日の光に照らされ、黒く光っている。その次に目に入ったのは、豪奢なベッド。部屋の奥に机と椅子が一つ正しく置いてあり、その机の上には紙の束が乱雑に積まれていた。


此処が、自分の部屋。


そう思ったのは、殆ど直感だった。しかしそれは、確信めいてもいた。


ノビルニオは部屋の中に入り、一直線に机へと向かった。そして机の引き出しを開き、両手で漁り始める。暫くして、三段目の引き出しに、目当ての物があった。


「万能薬……!」


それは、小さな瓶に入った白い粉末状のものだった。日に翳すと、宝石のようにきらきらと輝く。ノビルニオはほっと胸を撫で降ろし、万能薬を大事に握り締めた。


これでユーニの魔病が治る。


急いで帰って、ムートの喜ぶ顔が見たい。


アリエッタ達の安心する顔が見たい。


そう思って、扉へと振り返った瞬間、




「遅いじゃない……」




低い低い、女性の声が鳴った。アルコールの匂いが鼻を衝き、冷たい手に心臓を掴まれたかのように、ぞっとする。開けっ放しの扉の前に、暗い顔をした中年の女性が立っていた。肩より上で切り揃えた銀髪、垂れ目がちの墨色の瞳。女性は暗い顔をしているものの、滲み出る華やかさが存在した。


その女性が誰なのか、判るのに、数秒掛かった。


「…………母さん」


暗い瞳でノビルニオを睨み付けていた女性、彼女の母は、ぶつぶつと小さく、声を漏らした。


「父とクレセントの墓参りをしに行くと言ってそれきり。あなたは何をやっていたの?……まさか、また勉強じゃないでしょうね……」


ふらりと母は部屋に一歩、踏み出した。扉が遮り見えなかったその左手には、酒瓶を持っている。


「あなたには、他にやらなければならない事があるでしょう……?ピアノよ。練習はどうしたの?やりなさい……やりなさいよ!」


大きな声で怒鳴られて、ノビルニオはびくりと身体を震わせた。


知っている恐怖だ。


知っている状況だ。


途端、今まで思い出せずにいた記憶の欠片が、走馬灯のように駆け抜けていった。







父の名前は、グレンという。


プロの指揮者であり、寡黙で雄大な父は、五年前、天災で亡くなった。


兄の名前は、クレセントという。


12歳という幼さでプロのヴァイオリニストになった兄は、五年前、父と同じ天災で亡くなった。


母の名前は、ケティという。


プロのピアニストであった母は、父と兄が亡くなった後、気が病んで酒を大量に飲むようになり、自分を罵倒するようになった。


そして、自分の名前は、ノビルニオという。


一流の音楽一家に生まれた彼女は、けれど音楽の才能がなく、その事実から逃れるかのように、勉学を勤しむようになった。


いくら頭が良くなっても、誉めてくれたのは兄だけだった。


それでも彼女は、図書館に引き篭り、勉強に没頭するようになった。


今まで思い出せなかった記憶が、みるみると思い浮かんでいく。その事にノビルニオはほっとし、けれどそこで、我に返った。


母がゆらゆらとこちらに近付いて来る。


「もう私には、あんたしかいないのよ、ノビルニオ……。やりなさい、やりなさい、やりなさい!」


酔っているのだろう、今にも縺れそうな足取りで、母はこちらに近付いて来る。その度手に持った酒瓶がゆらゆらと揺れ、不気味に輝いた。そして母は、瓶を持っていない手で、自らの頭を乱暴にぐしゃぐしゃと掻き回した。泣き叫ぶように、彼女は呻き声をあげる。


「どうしてあんただけが、生き残ったの!どうしてあの人とクレスは死んだの!……そうよ、あんたが、あんたが代わりに死んでいれば良かったのよ!!」


その科白に、ノビルニオは不思議と傷付かなかった。五年もの間、言われ続けていたからだろうか。


それとも。


「………母さん。わたしは」


ゆらゆらと近付いて来る母に、ノビルニオは話し掛けた。真っ直ぐと母を見据え、曇りのない声で、彼女は告げる。


喜ぶムートの顔が見たいから。


「わたしは、誰かを楽しませる仕事よりも、誰かを喜ばせる仕事がしたい」


すると母は、ぎらりとした目を彼女に向けた。尋常ではない輝きに、ノビルニオは思わずはっとして後退る、


「あんたは!私の言う事を聞いていれば良いのよ!」


殺気の籠った声で、母は叫んだ。


そして母は左手に持っていた酒瓶を振り上げると、ノビルニオに向かって振り降ろした。







断末魔のような絶叫は、ユーニの口から破裂したかのように漏れていた。


「ユーニ!?」


驚いて思わず口を開くアリエッタに、ベッドの上で苦しそうに悶えているユーニは、辛そうに碧色の目を開けた。


「…………に……げ……ろ……─────」


それきりユーニは、静かになった。


「ユーニ?ちょっと、大丈夫なの!?」


心配して彼に駆け寄るアストロは、ユーニの傍に来ると、きゃっ!と短い悲鳴を上げた。口元を押さえて、小さく震える。アリエッタもユーニの元に行くと、小さく息を呑んだ。


彼の、ユーニの身体は、真っ黒に染まっていた。剥き出しの首も顔も、耳も、腕も、全てが黒い斑点に覆い尽くされていた。そして腕から手にかけて、まるで獣のように毛が生え、鋭い鉤爪がある。


目を見開くアリエッタの後ろで、アクアが沈んだ声で呟いた。


「……手遅れみたいね」


するとアクアは宙に手をかざし、泡の粒子で銀槍を出現させた。それに気付いたアストロは、驚いたように言う。


「何をする気なの!?」


「この場で始末するわ」


「どうして!?まだ助かるかもしれないじゃない!」


「これ以上は、ユーニを苦しませるだけよ。それなら、早く楽にさせた方が賢明だわ」


静かに、悲しそうに瞳を翳らすアクアに、アストロは尚も反発しようとするが、




むくり。




突然、ユーニがベッドから起き上がった。


「え─────?」


アリエッタが声を漏らすよりも速く、真っ黒になったユーニは四つん這いになり、跳躍した。同時に、見えない衝撃がアリエッタ達にぶつかる。


「うわっ!」


「きゃっ!」


その衝撃で、アリエッタとアストロは成す術もなく吹き飛ばされる。


──────ダンッ


獣そのものの唸り声を上げて、ユーニは風の如くアクアに突撃した。アクアはそれの隙を見逃さず、銀槍で凪ぎ払う。


──────ダンッ、ダンッ、バゴンッ


ユーニは銀槍を紙一重で交わすと、再び跳躍し、家の薄い壁に突っ込んだ。家の壁は簡単に壊れ、ユーニの姿が外へと消える。


あっという間だった。


何が起きたのか、状況が掴めなくぽかんとしていたアリエッタだが、アクアの声で我に返った。


「アリエッタ、アストロ。外に行くわよ」


「外……?ユーニを追いに?」


起き上がりつつ問うアストロに、いいえ、とアクアは首を振った。


「魔物となったユーニを迎えに、魔物がこちらに来るわ。このままでは、シュタットに魔物が襲ってくる……!」

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