僕の名前2
瞬間、風が吹き荒れた。
辺りが強い風と光に包まれる。目が眩む程の光と同時に、まるで人工的に造ったような風が荒れ狂う。
獣の咆哮が響く。しかしその様子は、眩い光と風によって眺める事しか出来ない。暫くすると、光も風も消えていた。アリエッタ以外の人は居ない。
状況が掴めず、ポカン…としていたが、我に変えると辺りを見回したす。
獣の姿は本当に消えていた。そのそばに「A」の模様がほどかされたアクセサリー…「チャームlが無造作に置いてあった。
思考をずらせ、アリエッタは己の手を眺めた。左の中指に嵌めれれた銀の指輪がはまっている。模様を刻み込まれている、ただの指輪だ。
「…………何だろう、これ?」
「それが“異能力”。魔術師が持っていたものと同じ、神聖な力」
アリエッタの声に、朗らかな声が重なった。
「!?」
「貴方は魔術師の指輪に選ばれたの。貴方はこの指輪の宿命に従わなければいけない」
アリエッタの背後に、美しい女性が佇んでいた。見た目は成人を超えた、しかし幼さが残していた。薄い青色の髪は長く、足元まで垂らしている。切れ長気味の双眸は、まるで静かな水面を思わせる瑠璃色だ。
白いワンピースは生える。だが崖の上にいる格好ではない、絵空事のような女性は、徐にアリエッタの額にそっと触れる。
花車で柔らかく、花のような不思議な香りがした。
「怪我をしているわ」
朗らかな声が鳴ると、光が仄かに煌めいた。女性が手を翳した箇所は街で石を投げられた時の傷がある。その傷の痛みが引いていく。
終わったわと呟き、美しく微笑む姿はまるで絵本から飛び出た女神のようだ。
「これ……は……?」
アリエッタは女性が差し出した手を掴み立ち上がると、呆然と囁いた。背の高い彼女の白い肌が少しだけ影を差す。
「巻き込んでしまってごめんなさい。少し歩きましょう、説明をするから」
名前を取り戻したばかりの少年は、ただ頷く事しか出来なかった。
+
一本道を進んだ。二人は徐に歩みを止める。そこは澄んだ泉が輝く小綺麗な場所だった。アリエッタは初めて来る。亡くなった父が「街から出るな」と何度も釘を刺していたからだ。彼と女性は傍の草むらに腰を下ろした。
「私はアクア」
先ず女性はそう名乗った。彼女の透けるような白い肌が橙の光で色付く。気付けばもう日が傾きかけていた。どうやら結構な距離を歩いたようだが、つかれていないのが不思議だった。
アクアはアリエッタの事を見つめている。水面のような静かな瑠璃の瞳が、彼を映す。
「私は目的の為に旅をしているの。そして、貴方のような人を探していた」
「目的って?」
アリエッタが訊ねれば、アクアは悲しそうに目を伏せた。その表情はとても心臓に悪い。
「……ごめんなさい」
何故心が痛むのかが判らぬまま彼女の科白を反芻する。
言えない、という事だろうか。そっか。とアリエッタは直ぐに頷いた。深く追求すべきとは考えた。しかし、今は知らなくても良いと完結する。今は知れる事を知れれば、それで良い。
「……なら、この指輪は?」
アリエッタは次に己の右薬指に嵌っていた銀の指輪を見せた。歩く道中、この指輪を外そうと試みたが、何故か外す事が出来なかった。自分の名前を思い出した時には既に嵌められていた。自分で嵌めた記憶は全くない。アクアの目的と関係がある筈だ。
するとアクアも自らの右手を翳す。細い薬指にはアリエッタと同じ銀の指輪が嵌っていた。しかし、彼のとは違い小さな宝石のような石は青色で、辺りに細かい模様のようなものが刻まれている。
瞳を瞬かせるアリエッタに、アクアは懐から何かを取り出した。チャラ、と小さな音がなり銀が揺れる。それは魔物が消えた後に落ちていた”A”の形をしたチャームだった。
「アリエッタ、これを貴方に」
言われるがままにチャームを摘むとカチカチとチャームが光る。突然の鋭い眩しさに思わず目を瞑る。
「!?」
片目を少し開いてそれを見つめると、チャームは溶けていった。完全に消えるとその代わりのように彼の指輪の一部に、アクアと同じような模様が浮かび上がる。
「わ」
訳が判らず間抜けな声が出た。それをよそに、アクアは口を開く。
「その指輪は”リア・ファル”。私達の力の源。アリエッタは指輪に選ばれ、力を手に入れたの」
「選ばれたって、どうして?」
「名前を忘れたでしょう」
アクアは再び、悲しそうに目を伏せた。アリエッタは自身の胸がズキリと痛んだ錯覚に陥る。
どうして、そんな表情をするのだろう。
「それが原因だと思うけれど、詳しくは判らないの……」
アクアの声は、段々と小さくなり聞こえなくなった。何事かと見つめると、彼女はすっくと立ち上がる。
耳元の長い髪をかきあげ、耳を澄ませているようだった。アリエッタも慌てて立ち上がり、何事かと訪ねようとするものの、アクアに制された。
何かが居ると、その瞳が語っている。
「アリエッタ。リア・ファルは”敵”を誘き寄せる力があるの」
すると彼女は、その右手を何もない空中に掲げた。その手を中心にして、光の粒子が集まっていく。
「私達はその敵を倒して、27個あるチャームを集めなければならない」
「どう、して?」
アリエッタが問うてる間に、アクアはひとつの銀槍を顕現させていた。あの粒子で出来た、透き通った槍だ。
すると、彼女の立った場所からそれほど離れていない所の空間が歪む。その歪みは黒いの渦に変わり、そこから同色の影が飛び出してきた。アリエッタが対峙したものとは比べ物にならない程大きな人型の影だった。
その人影はアリエッタの方へ突っ込んでくる。
「ーーー!? うわっ!」
咄嗟の事で腕で頭を庇おうとしたアリエッタと人影の間に、アクアが滑り込む。金属がぶつかり合うような鈍い音が響き、そのままぎりぎりと押し合う。人影の腕と呼ぶべき部分は、鋭い刃物になっていた。その腕をアクアは槍で受け止め、弾き飛ばす。それでも人影の攻撃は止まない。
目に見えない程の防攻を繰り返すアクアと人影を、アリエッタは一握りの恐怖と呆然で、見つめていた。身体の力が抜けて地面に座り込む。
ーー僕はどんな世界に、踏み込んでしまったのだろう。どうして、という言葉ばかりが、頭の中をぐるぐる回る。
今、何が起きている。
何故、僕はこんな所にいる。
疑問ばかりがアリエッタを埋めていたが、やがて冷静さが戻ってくる。人影は、筋肉質な身体を真っ黒なスーツのようなもので覆っていた。手の刃さえなければ、普通の人間のようだ。顔は凹凸が少なく、のっぺりとしている。目も口の場所も判り難く、鼻はない。
良く見れば、アクアはその人影に少しずつ押されているようだった。段々と動きが鈍くなっており、攻撃を防ぐ事しか出来なくなってきている。決してアクアが弱い訳ではないのだろう。あの人影が、強いのだ。
本能的にそう思うが、それは外れではないだろう。
ーーー僕も、戦えれば。
そう思えど、"力"がやってくる気配は全く感じなかった。指輪を見つめても、うんともすんともいわない。
ーーー"あの時"は使えたのに、どうして今は使えない
名前を思い出した時、自分は何をしたのだろう。
どうして。
どうやって。
なんで、どうして。
するとアクアが、突然バランスを崩した。明らかに傷ついた腕を押さえ、寸での所で立ち留まる。
其処に、人影の刃が振り上げられる。
「アクア!」
叫ぶだけで、身体が動かない。あの人影に恐怖を抱いているのだろう。他人事のようにそれを反芻する、
どうして、力を使えない?
どうして、アクアを助ける事が出来ない?
どうしてーーーー
ーーあなたは本当に、そればっかりね……
声が、鳴った。
それはアクアの朗らかな声のような、夢に出た女の人の声のような、懐かしい"あの人"の声のような、
優しく、安らかで、儚げで、淡い、声だった。
そして。
ーーーアリエッタ。
「ーーーーアクアッ!」
再び嵐が、薙いだ。思いもしなかったその風で人影の身体がよろめいた。
「───! 今っ!」
アクアははっとして持っていた槍を掲げた。その透き通った槍の刃が、水のように揺らめいて形を変える。その水は姿を変えて、大きな両手剣となる。
「彩波!」
アクアはその大剣を人影に向かって振り下ろした。バランスを崩した人影は手の刃でそれを受け止める。しかしその刃にみるみる罅が入り、割れていく。
人影が初めて、叫び声を上げた。
その人のものではない不吉な声を上げながら、アクアの大剣に両断され、溶けるように消えていく。
危険が去るのを確認し、アクアの大剣は再び泡となって消えていった。傷ついた腕を押さえるアクアに、アリエッタは駆け寄った。
「アクア、大丈夫!?」
「ええ、平気よ。治せるから」
アクアは仄かに微笑んで、アリエッタに向き直った。腕の傷は、確かに消えていた。赤い線しか残っていない。
「あと、助けてくれて、ありがとう」
美しく笑うアクアにアリエッタは顔を赤くした。熱い。
「で、でもっ、どうやったか、まだ判らないし…」
「いずれ判るわ。貴方には、素質がある」
そう言ってアクアは、人影の消えた方へと歩きだす。其処には"W"のチャームが落ちている。
「……これが、24個目のチャーム」
両手で大事に掬うように取ると、それは光って消えていった。おそらく、アクアの指輪に模様が刻まれているだろう。
「あと、3個……」
その声は高揚とした気持ちを抑えるかのように、震えていた。
まるで、願い事が漸く叶うかのように。
「これで、世界を救える……!」
まるで、絵空事かのように。
+
「──貴方が私と共に来る事を、強要したりはしない。それでも私に協力したいと思っているのなら、力を貸して欲しいの」
猛威は、アリエッタはそう感じたーー去った。軽くパニックを起こしていた彼を宥めた後、アクアは旅を続け此処を去らなくてはいけない。そう説明する。選ぶのは貴方自身、アクアは頻りにそう言った。慎重そうなアクアに対して、アリエッタはあっさりしたものだった。
「うん、一緒に行くよ」
あっさりと頷く彼の答えに、アクアは少し驚いたようだった。
「いい、の?」
「うん。今街に戻って、皆にどういう反応されるか判らないし、…少し、怖いから」
それに、と言ったアリエッタは、やけに清々しい顔をしていた。
「アクアに助けてもらったからね。恩返しをしたいんだ」
「助けた…かしら?」
「いいの、細かい事は。それにさ、アクアは僕に協力して欲しいんでしょ? なら断る理由もないし、僕は行きたい場所もないし、それならアクアと、一緒に行くよ」
だから、よろしく。
そう言ってアリエッタはアクアに手を差し出した。その意図に気付いて、アクアは少し照れたように笑って、その手を握った。アクアは笑うと、子供っぽくて可愛らしい。
辺りは、もう少しで日が沈もうとしていた。
燃えるような夕日に、紫色の空。
空には、星がぽつぽつと輝き始めている。
今日は、新月らしい。
若草色の髪を靡かせて、アリエッタは暫くその風景を目に焼き付けた。
「綺麗、ね……」
ぽつりと、アクアが呟く。
「私、今まで焦ってばかりで、周りの事なんて見てみなかった…。だから、この風景がとても綺麗に見えるの……」
「……うん。本当に」
そう言って二人は向かいあって、笑った。目の前にアクアの優しい美貌がある。
アリエッタは何故だか、彼女に着いて行かなければいけない気がした。一目見て強いと判った彼女を、この手で守らないといけないと。
そう、それはまるで。
「……アクア」
「…え?」
「何だか、"運命"みたい」
まるで、指輪に導かれた。
そう言えば、アクアは微笑んだ。
何故だか淋しそうに。
「そうねーーーー」
風が吹いた。アクアの長い髪がはためき、ワンピースが揺れる。紫色の空が、彼女の白い肌を翳らす。
「まるで──神様のお告げみたいね」
空は段々と昏くなっていく。
おわりがはじまる。
僕はそれにまだ、気付かない
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