第2話
程よい疲れを感じてベンチに座り込む。途端にドッと吹き出てくる汗。顔が一気に熱くなり、浅い呼吸が繰り返す。そこへ畳みかけるように思考が真っ白に。まるで頭の中で白いペンキを撒き散らかしたように何も考えられなくなる。
その
首に掛けていたタオルで汗を拭くと目を瞑る。そよ風が葉を揺らし、熱くなった体を冷ましてくれて心地いい。
そこへ何人かの足音が一斉に僕の前を通り過ぎた。そういえば以前に比べてすれ違う人が増えたと思う。この静けさを十分に堪能できなくなったのは残念だが、公共の場所なので仕方ない。
また一人、近づいてくる足音がして……止まる。遠ざかることもなくピタリと。気になって瞼を持ち上げる。
「……もしかして寝てた?」
「いいや、ちょっと休んでただけだ」
目の前に
「隣、いい?」
「……おう」
どうしてこうなった? つい一週間前とは大違いだ。学校ではいつも通り話しかけられなかったし、あの夜以降ここで話すのも初めてだ。普段から話すような人じゃないので会話のネタに困る。
いつもは好きな静寂も今日ばかりは居心地が悪かった。何か話そうとしたその瞬間……。
「――この前はごめんなさい!」
突然の謝罪によって一瞬、思考停止してしまう。それでも
「スポドリの件か」
「うん。本当にごめんなさい。あの時は足を挫いたのバレたくなくて、強く当たっちゃった。すぐ謝らないといけないのに、学校だと全然行動できなくて……」
「まぁ、学校だと関りないもんな」
「それでも受けた恩を仇で返しちゃったから、何かお礼させて。態度も酷かったし」
顔を上げた
「なら、お茶でも奢ってもらおうかな」
「それだけでいいの?」
「僕がやったのも同じことだ。。それにちょうど喉乾いてたし」
「……分かった」
少し不服そうな表情の
不思議な気分だ。いつも独りで歩く帰路のはずが、隣に
「
「塾がない日はな。週四で一時間半ぐらい走ってる。運動は得意じゃないけど、体力だけならちょっと自信があるぞ」
いつも帰路を歩く時が一番辛かった。現実を見ないといけないから。僕はできた人間ではない。今の自分から目を逸らすために走る臆病者だ。だからこそ、帰路を歩くうちに冷静になった頭が僕を苦しめる。しかし今日は
「それじゃ、私の家こっちだから」
「そうか。またな」
「またね」
遠ざかる背中を見送り、日常へ戻る。もう夏の暑さは完全に消え去った春空の下、数分前の余韻に浸りながら足を動かした。
***
「あら、帰ってたの? おかえりなさい」
「ただいま」
風呂上がりにリビングへ向かうと、テレビを見ている母さんがいた。必要な言葉だけ交わすと冷蔵庫からお茶を取り出す。
「ちゃんと鍵はかけた?」
「言われなくてもやってるよ」
「そう……勉強も程々にね」
「程々で医学部に入れるほど、俺は頭が良くないから」
コップに注いだお茶を一気に飲み干し、口元を拭う。母さんはこちらをチラチラと見ていて、どう接すればいいか悩んでいるようだった。
「あ、そういえば模試の結果返ってきてたわよ。前回より良くなってたじゃない!」
「……兄さんと比べたら全然駄目だよ」
ぼそりと呟いてリビングを後にする。帰り道に感じていた気分はどこにも存在しない。ただ、目の前の悲惨な結果に怒りが込み上げて来る。
D判定。
それが返ってきた結果だった。嘘偽りない今の実力。兄さんはこの時期にはB判定になっていた。対して僕はD判定。その事実が僕には悔しくてたまらない。
自分でやること全てに自信や結果が出てくれない。そう思うようになったのも僕が高校受験を失敗したからだ。
あの頃の記憶はたまに夢で見る。約三年前の中三終わりの春。僕は人生初の受験に失敗した。小学校、中学校と地元の公立学校へ通ってからの受験だった。兄さんがそうやって過ごし、無事に志望していた県内トップの私立高校へ進学していたから、それが普通なんだと思っていた。
――僕と兄さんは同じ人間ではないのに。
勉強を怠ったつもりはない。模試の判定も良かったし、落ちる要素などないと思っていた。しかし結果的には不合格で、何度再読み込みしてもパソコンの画面には僕の受験番号が映っていなかった。
結果を聞いた二人の反応は未だに忘れられない。父さんと母さんが買ってくれていた豪華な食事は最後の晩餐のようで、表情はどこか冷たくて、生きた心地がしなかった。これまで明確に見えていたはずの未来は深い霧に閉ざされ、何も見えない。
そして、それを払拭する方法は一つしかないことも僕は知っている。兄さんや両親と同じ医学部現役合格。これでしか常日頃から感じている劣等感は消え去ってくれないだろう。
「……勉強しないと」
部屋に戻り、悪かったところをピックアップしていく。こうして苦手分野を克服していかないと現役どころか浪人しても医学部には入れない。眠り眼を擦りながらも僕は勉強机に張り付いた。
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