第4話

 夜の住宅街を駆けて公園へ向かう。腕時計を見てみると、すでに二十二時となっていた。焦りを覚えて足を速める。公園に入り、目的のベンチへ。街灯が照らすベンチには僕を待ってくれている芦屋あしやが座っていた。


「よっ」

「やっと来たぁ。待ちくたびれたよ」

「結構急いだんだぞ。それに一分だけだし」

「男の子は女の子を待たせてはいけません」


 芦屋あしやが立ち上がってストレッチを始める。僕もそれに倣って体をほぐすと二人で夜の公園を走り出した。今日で共に走り始めてちょうど二週間だろうか。意外にも僕と芦屋あしやの関係は続いていた。


 元々は一日、よくて数日続いたらいいなぁ……と考えていたのだが、芦屋あしやはこの夜の時間を気に入ってくれたらしい。今では先程のように待ち合わせて一緒に走っている。僕としても誰かと話しながら走れるだけで嬉しかった。美少女なら、なおさらだ。


「今日はなんで遅れたの?」

「問題をキリのいいところまで解いてたんだ。それで地味に時間がかかっちゃって」

「塾の課題?」

「いや、自主勉で参考書解いてた」

「自主勉かぁ。偉いなぁ。私なんてテスト前じゃないとしないよ」

「それはそれで、どうなんだ受験生」

「だって、受験生は夏が本番だよ? 長谷はせくんがおかしいんだって」

「いやいや、これが普通だから」


 なんて、本当に中身のない話をしていく。何か話題を出して何も考えずに話し続けるような、ほぼ反射のみの会話。だというのに毎日話し続けられるのが不思議だ。


「そういえば、長谷はせくんのおうちって医者家系なんだっけ。長谷はせくんも医学部行くの?」

「多分な。けど受かるか分からないし、行けると断言はできないのは正直悔しい」


 現時点では確実に無理だ。というか、現役でいけるかすら怪しい。身を持って兄さんの凄さを実感する。それに父さんや母さんだって通ってきた道なのに。


「学年一位でも難しいんだね」

「受験生の大半は俺より高い偏差値の高校出身だからな。ここでの一位だからといって、他の学校で一位になれるわけじゃないし」


 兄さんとかいい例だ。俺が落ちた高校で常に学年一位をキープ。医学部に入るべくして入った学力の持ち主。同じ一位でも全然違う。


 ……やめよう、この話題は考えても辛いだけだ。


芦屋あしやはどうなんだ?」

「私も行きたいなぁって思うところはあるよ。けど学力的に厳しそう」

「そこにはスポーツ推薦がないのか? 陸上得意なんだし、芦屋あしやなら受かりそうだけど?」

「あはは。私もできたら嬉しいんだけどね。二年の頃から親に話してはいるんだけど、特にお父さんから反対されてて」

「そっか」


 こんな才能があるのにもったいない。芦屋あしやの実力は結果で証明されているし、今のままでもどこかの推薦は取れるだろう。


 ただ、なんとなく反対する理由は想像できる。芦屋あしやの親は入学後のことを心配しているのだろう。スポーツ推薦後に部活をやめてしまうと、大学側の補助がなくなってしまう。それが不慮の怪我によるものであっても関係ない。それに勉強面、就職面で大変という話もよく聞くし、親が反対したくなる気持ちもわからなくない。


「でもさ、だから私は諦めないよ。必ず二人とも説得して、大学で活躍して、プロになる。そして陸上と生きていく」


 これが芦屋あしやの気持ち。スッと言葉が俺の中に入ってくる。


 これほど心の籠った言葉を聞いたのは初めてだった。子供の頃に語るような将来の夢とは全然違う。絶対になってやるという決意のようなものが伝わってきた。


 こういう人は素直に応援できるし、何かと手助けしたくなる。芦屋あしやを見るだけで明日を頑張る勇気が湧いた気がした。


「そっか。その夢が叶うことを願ってるよ」

長谷はせくんの言葉軽いって。ほんとに思ってる?」

「思ってる思ってる」

「絶対に思ってないやつだぁ。あはは、でも願わなくていいよ。願って叶うような未来より、自分の手で掴み取る未来の方がいいでしょ?」


 芦屋あしやの笑いにつられて僕も微笑む。夢に向かって真っ直ぐ走れている芦屋あしやが羨ましい。


 ……何が羨ましいんだ? 僕にだって医者になるという夢があるじゃないか。それに向けて今は勉強している。手段やゴールが違うだけで同じじゃないか。


長谷はせくんの夢はお医者さんなんだよね」

「そうだな。何を今更」

「じゃあなんでお医者さんになりたいと思ったの?」


 その言葉に答えるために口を開け……すぐに閉じる。なぜか言葉が出てこない。医者を目指すのに理由なんてなかった。両親が医療従事者で、兄も将来医者になる。だったら僕も医者になる。何一つおかしな点はない。何一つ、間違っちゃいない。自信を持って答えればいいじゃないか。


「そんな難しく考えなくていいんだよ。私なんて『好きなことで生きていきたい』っていう単純な理由だし」


 なりたい将来の夢。僕はいつだってそれを医者だって答えてきた。というか、『なりたい』というより『なるもの』だと思ってた。


 それは本当に僕の『』なのか?


「あれ、どうしたの?」


 気付けば足を止めていたらしい。


「なんでもない。ほら、続き走るぞ」


 僕が走り出し、それに合わせて芦屋あしやが付いてくる。


「ねぇ、さっきより速くない?」

「嫌か?」

「私は大丈夫だけど、長谷はせくんがすぐ疲れちゃうって」

「残り時間も少ないし、なんとかなるよ」


 時刻は二十二時二十分。このペースなら残り三十分くらい体力がもってくれるはずだ。


「珍しいね。速く走りたいなんて」

「そういう気分になったんだよ」


 足に力を込める。呼吸をすることを意識して、フォームも整える。僕が本気になったことを察したのか、芦屋あしやは何も言わずに隣を走ってくれた。


 ***


「それで、またこうなるのね」

「はぁ、はぁ、はぁ……悪いかよ」


 ベンチに全体重を預けて座っている横で、芦屋あしやが涼しげな表情を見せる。


 結局、三十分も僕の体力は続かなかった。半分ほどで自分が設定したペースに後悔し、芦屋あしやが前に進む。その際に挑発的な目でこちらに向けてきたのが決め手だった。少々早まったペースで無理した結果、フォームや呼吸が崩れてこのザマだ。


「まぁ、前回みたいに倒れなかったのは褒めてあげる」

「絶対バカにしてるだろ」

「そりゃあ、男の子ならもうちょっと頑張ってほしかったかな」

「……悪かったな。いつも遅くて退屈だろ」

「あはは、冗談だから拗ねないで。体力ないのに走り続けるのはすっごく辛いよね。ほんと凄いよ」

「煽ってるふうにしか聞こえねー」

「そんなことないって。それに、いつも楽しい時間を過ごさせてもらってるから」


 足をブラブラしている芦屋あしやを見ながらお茶を飲む。頭の中で白い景色が広がり、体に心地よい倦怠感が残る。この感覚も久々だ。最近は話すことばかり気にして、疲れなかったし。


芦屋あしやは疲れねぇのか?」

「そりゃあ、いつもはもっと速く走ってるしね。長距離専門をなめてもらったら困るよ」

「それもそうか」


 当たり前のことを聞いてどうするんだ。やっぱり疲れてて頭が回っていない。頭に出てきた言葉をすぐに口で出してしまう。


「それじゃ、いつもの時間だし帰ろ。長谷はせくんはもう大丈夫?」

「おう」


 二人で公園を後にする。初めの頃はずっと芦屋あしやのことを意識してしまっていたが、今ではなんとも思わない。


 ……流石に言い過ぎた。意識はするが、普通に話せるぐらいには慣れた。美少女を意識するなっていうのは無理がある。楽しそうに話す芦屋あしやの顔はとても魅力的だし。


「私の顔なんて見てどうしたの?」

芦屋あしやって彼氏いないよな」

「何それ。嫌味?」

「そうじゃなくて、その顔なら彼氏の一人や二人いそうなのに」

「二人いたら浮気じゃん! そっか。私って尻軽だと思われてたのか……」

「いや! 比喩だって! モテそうってこと!」

「ふーん。まぁそういうことにしてあげる」


 僕が慌てる様子を見て芦屋あしやが悪戯っ子のように笑う。絶対僕の反応で楽しんてるだろ。


「まぁ、彼氏作らないのは部活に集中したいからかな」

「よくある理由だな」

「それと、その人をよく知らないから。正直こっちの方が大きいよ。いきなり他人から『好きです。付き合ってください』なんて言われても困るでしょ?」

「僕は受ける。モテたことないし」

「勉強の邪魔にならない?」

「その時はこのランニングの時間を削らないとな」

「えー、酷いよぉ」


 軽口だと分かっているからか、明るいリアクションが返ってくる。どうせ告白はされないから、よく考えず答えたけど実際に起きたらどうするんだろうな。

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