場所が変わり最初にいた家。

「どうすればいいんだ?最初から名前を考えるなんて聞いたことがない。」

ザハルが頭を抱えながらベッドの上の私を見る。

「私もよ。今なんて属性から名前を考えることがほとんどだから。」

アネモスが心配そうな顔をして私を見る。なんて情けない顔をしているんだろう、これが私の両親なんて‥。名前なんて親から子への初めての贈り物じゃない?親が自分の子供に何を願うのか、どういう人生を送って欲しいのかのメッセージを込めてつけるんだと思う。前世の未智だって、未来を見据えることができる智い子に育ってほしいからつけたんだよってお父さんが教えてくれたっけ。前世のことを思い出すと胸がギュッと押しつぶされるような感覚がする。もう二度と戻れないんだ、あの家にも戻ることが出来ないし、両親にも会うことが出来ない。感傷に浸っていると、いつの間にかこちらの両親はとても分厚い本を持ってきて広げていた。私も覗き込んでみたけれどこちらの言語は元の世界とは違うみたいで全く読めなかった。

(なんて書いてあるんだろう‥。)

(この世界の物について書かれた本だね。君のいた世界での辞書のようなものさ。まあ、辞書ほどは語数も載っていないし、誤りの記載もあるし、何より例文が書いていないから応用ができないんだよ。この本で意味を確認することがあっても、きちんと使うことができる人間は少ない。実用性が極端に少ない辞書ってところかな。)

頭の中でフレユールの声が響く。この悪魔はいつだって飄々とした声で話す。まるで楽しんでいるような、見下しているような喋り方をする。

(なるほど。辞書で何かよさそうな言葉を調べようってことね。でも、名前に使えそうなものが載っているのかしら。そんなものより命名辞典みたいなものがいいんじゃないの?)

(この世界にそんな代物があると思うかい?お嬢さん。属性から名前を決めるレベルだよ。ある程度の意味は持たせるかもしれないが、炎属性ならば業火とか灯火などの名前が付けられる。結局は炎や火という括りからは抜け出すことが出来ない。もちろん日本みたいに二つの漢字の意味を組み合わせて未来と賢いから未智なんて考えつくことなんて天地がひっくり返っても無理だろうね。)

(確かに日本の名前は独特だけど‥。この世界は外国の人みたいにつけるって感じよね?それなら単語から強いとか賢いとか考えることができるんじゃない?)

(ああ。そうだね。でもね、外国人の名前って少し捻っていることがほとんどさ。だから名前をつけるにはまず元となる単語を知っていて、尚且つそれを応用できなくちゃあならない。さて、そんなことがコイツらにできると本当に思っているのかい?)

(無理そうね。私が自分の名前を考えたいくらいだけど、この辞書の文字すら読めないんだから論外よね。)

(なんだそんなことか。それならほら、私を通して翻訳してあげよう。どうだい、読めるかい?)

(ええ。読める!なんか最初に元の文字が重なるけど、まあ我慢してあげるわ。)

(注文の多いお嬢さんだ。君の目を通じて視界情報が脳に到達する、それから私が君のいた世界の言語、日本語だっけ?に翻訳して君に情報を渡すんだから仕方がない。それぐらいは我慢してくれたまえ。)

(分かったわよ。確かに言葉自体は知っているけど意味はちょっとズレてるわね。これじゃ間違った意味で名前が付けられちゃうじゃないの?ねえ、どうにかならない?)

(簡単なことだ。君がこの男女に伝えればいいだけではないか。)

(はあ!?生まれたばかりの赤ん坊が急に話し出したらどう考えてもおかしいでしょ?ありえないわ。)

(それがこの世界ではあり得るのさ。忘れたのかい、ここでは魔法が使えるのだよ。君にも魔力があるってさっきの爺さんが言ってたじゃないか。魔力があれば本人が意図せずとも魔法が使えてもおかしくはない。君が魔法で話したということにすればいい。)

(本当にそれでいいのかしら。)

(安心しなさい。幸いなことにこいつらには学識がほとんどない。肉体労働しか知らないような人間で、魔法も初等科レベルだぞ。少し難しい単語を混ぜて誤魔化しても気づきはしないさ。)

(それって自分の親を馬鹿にされてるみたいでムカつくんだけど。)

(はは。実際に貶しているからね。でも、彼らはお嬢さんにとってはホームステイ先のホストファミリーのようなものだろう。愛着は湧いたとしても実の親を愛することとは全くの別物ではずだ。少し腹が立つだろうがすぐに収まるさ。)

(ふうん。そんなものかな。ところで名前ってどういうものがいいの?)

(そんなことは君自身で決めなよ。なんでもいいんじゃないか、好きな俳優の名前でも、スポーツチームの名前でも、街の名前でも。ああ、言い忘れていたけど、男の名前で考えてくれたまえ。)

(はあ!?男お!?そんなの聞いてないわよっ。私って女の子じゃないの!?)

(言っていないからね。君はれっきとした男の子だよ。なんなら性器を確認してみるといい。)

(いやよ。なんで私がそんなことをしなくちゃいけないの。ねえ、今から女の子に変えることは出来ない?)

フレユールのため息。

(君は何の試練や不自由もなく転生できると思っていたのかい?イージールートで最強の魔女になれるとでも?周りの人間がちやほやしてくれて自分は座っているだけでいいと?それはいくら何でも虫が良すぎるとは考えないか。いいかい、君は魔法が使える世界に転生した。それは紛れもない事実だ。でもそれは私が尽力したからに過ぎない。本来なら君は私に魂を刈り取られていた運命だったんだよ。何なら今から君の魂を刈り取ることだってできる。自惚れるなよ。)

フレユールの声は今まで聞いたことのないとても冷たいものだった。それは悪魔の声そのもので、自分の体が反射的に固くなるのが分かった。少しの間。

(ごめん、ごめん。君があまりにも注文が多かったから少しからかったんだよ。でも、忘れないでほしい。君は私に特別に選ばれた。だから君も期待に答えてほしい。)

(分かった。頑張る。)

(それが聞けて安心だ。ではしっかりと考えてくれ。この世界での自分の名前をね。)

何にしようか。ジョニーとか?トムとか?ジャスティンでもいいな。思い浮かぶ名前を色々考えたけれどどれもパッとしないものだった。意味とかわかんないな。何気なしに辞書の単語が目に入った。エルビス、通じた。その時思い浮かんだのだ。好きだった歌手の名前。これだ。

「え、エルヴィス。」

自分の声を初めて聞いた。まだ舌足らずだけど私の口からはっきりとその単語が発せられた。

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