第15話――黒歴史

 不意を突かれ混乱しそうになっているリーダーに、追い討ちをかけるようにやわらかな弥玻荃やはうえの声は続いた。

 

殿下でんか。本名、井祖又健吾いそまたけんご、二十七歳。大学卒業後、就職しゅうしょくの道は選ばず、軽音楽部けいおんがくぶで結成した人気バンドに所属していた彼は、音楽ミュージシャンの道をこころざすことに』


ゆめを持つ事はいいことだね」


 ハウリングとともに大広間おおひろま全体に響く声でリーダーが振り返ると、離れたアクリル板の向こうで立っていた、返り血まみれの老婆ろうばがマイクを持っているのがわかった。


「そう。夢は人に希望を持たせ、前へ一歩踏み出す推進力すいしんりょくとなる」


 隣にいた老夫ろうふが共感するような素振りで深く相槌あいずちを打った。彼も手にもマイクが握られている。

 健吾の表情が引きると、それを見た老夫がフォローするように言った。

 

「いやいや、茶化ちゃかしているわけじゃなくて、本当に。そこまでは、君も何処にでもいる健全な青年だったんだよ」


 スピーカーから弥玻荃やはうえのドラマティックに語るアナウンスが続いた。


『バンド活動のかたわら、彼は引っ越しの派遣アルバイトで生計せいけいを立てることに。そこでも持前のを発揮し、またたに他の派遣社員はけんしゃいんをまとめ上げていくのでした』


 すると、老夫が素直に感心するように、


「やはり、リーダーの素質そしつはあったんだねぇ。天性てんせいのものというか」


 と、しみじみとらした。

 すると、隣にいる老妻が少し溜息をついた。


「しかし、そんな彼にも、唯一があった」


 を置くと、頭上から弥玻荃やはうえの優しいが覆い被さってきた。


『それは、です。この世の中で生きていくためには、忍耐にんたいというものは、必ずどこかで必要になってきます。誰かに何かを言われても、グッとこらえる力。踏みとどまる理性。いわばです』


「その通り」


 老婆ろうばの声で健吾けんごの目線が再び前方へと戻る。


「この世の中。ポジティブだけで回っているわけではないからね。姿が毎回賞賛しょうさんされるわけじゃないってことを、若い健吾けんご青年はまだ知らなかったんだね」


 隣にいた夫も同調する。


「そうそう、いるんだよ。この世の中には何でもスイスイできちゃう人が。スポーツでも、仕事でも何でも」


 笑みを浮かべて妻の方を向くと、彼女はゆっくりとうなずいた。


「そう。健吾けんご青年には、。だから、を見つけては、いいようにあやつり、


 老婆がマイクを持ちながら離れた場所でハンサムボーイに介抱され未だ立ち上がれないままでいる茶髪ちゃぱつの青年の方に視線を遣ると、健吾けんご気圧けおされるように目を見開いた。

 

『そんな中、彼に転機が訪れます』


 が、リーダーの心をさらに揺さぶる。


『勤務していた引っ越し会社の上層部に気に入られ、にスカウトされることに。しかし、当時の彼にとって、引っ越しのアルバイトは、自身の夢を叶えるための、ただのに過ぎませんでした。だから、社員になるという選択肢は彼の頭の中には全くなかったのです』


「ここで、健吾けんご青年は、をおかしてしまう」


 解説するような老婆ろうばの口調で、その場に茫然としたままだった全員がアクリル板の方へと目を遣った。


「陽キャのおちいりやすい穴というか、『自分は特別だ』と。『何をやっても許される』と。そういう自負じふがあったんだろうねぇ」


 老夫が少し無念そうに首を横に振ると、妻の解説が続いた。


「まずかったのはだった。謙虚けんきょに、『申し訳ありません。自分には目標が有るので、せっかくのご厚意こうい本当にありがたいのですが、これまで通り派遣アルバイトで継続させていただけないでしょうか?』と低姿勢で言えばよかっただけのこと。でも、現実げんじつは――」


 再度、老夫の方に話を振ると、それまで直立していた彼は、まるで誰かを真似る様に片足重心かたあしじゅうしん恰好かっこうになり、ポケットに両手を突っ込みながら、ふてぶてしく若者口調で言葉を吐いた。


「……『いや、あの、自分はそんなつもりはない嫌なんで』」


 いつの間にか、穏やかな音楽も鳴り止み、大広間おおひろま静寂せいじゃくに包まれたままだ。

 

 すると、老婆ろうばいぶかしげな表情を浮かべた。


……?」


 鸚鵡おうむ返しに問い返すと、老夫は尚も軽い口調で言い放った。


「ええ。


 そこにいる誰もが、その語り口に耳を奪われ、口をポカンと開けている。

 再びハウリングが響いた後に、老婆がマイクを持ち直し、呆れるように溜息をついて呼びかけた。


健吾けんご……。さすがに、それはマズイよ。そりゃ、も怒るわ」

 

 離れた場所で、棒立ちのまま放心状態で聞いていたリーダーの表情に、再び動揺どうようよみがえった。

 老婆ろうば饒舌じょうぜつは、まだまだ続く。


「女にもモテモテ、夢にもまっしぐら、まぁ、大学はだけど、それは良しとして。あまりにもということを今まで覚える機会がなかったんだねぇ」


 健吾けんごの頭の中は、パニックで破裂寸前だった。


 それも無理もない。


 何故、今日が、自分の過去のバイト履歴を知っているのか。


 そして、その中で起こった細かな


 脳内で様々な疑念が、絶え間なく湧き上がる。

 しかし、どんなに突拍子もない可能性を考慮したとしても、この老夫婦へと繋がる手掛かりは皆無だった。

 

「その日を境に、。君に対する態度が」


 老夫ろうふ健吾けんごに向かってをおもむろに指を差して語りかけた。


「別に、断る事は悪い事ではない。問題は、君のそのだったんだよ」


 代わる代わる、嫌らしく執拗しつようなまでに、老夫婦の口撃こうげきは尚も加熱していく。


「そう。軽くあしらわれたことで腹を立てた社員達しゃいんたちは、その日から君に対し冷淡れいたんに接するようになった」


 繰り返される不意打ちに、心のガードが完全に開いた健吾けんごの頭上から弥玻荃やはうえの声が、さらに反響した。


『それまで笑って許されていたような事でも、ある日、突如、重箱の隅をつつくようにされ、恫喝どうかつされる羽目に』


「そりゃ、びっくりするよね。それまで普通に仲良くしていた人達が全員、またたに変わるんだから」


 健吾の反応を待たずに、次から次へと静かな虐待の言葉が紡がれていく。


「不意を突かれた健吾けんご青年は、社員達の明白あからさまな態度の変化に我慢できず、思わずその場でして猛反論し、周りを一斉に振り向かせてしまう」


「あちゃー……その時の社員全員の表情が目に浮かぶね」


 メイドが顔をしかめながら首を横に振ると、弥玻荃やはうえの声がたたみ掛けた。


『「何勘違いしてんだ。あいつ」、が彼の耳に、はっきりと聞こえたのです』


 容赦ない無情な「個人の晒し上げ」に、ただ圧倒あっとうされ茫然としているのか。

 はたまた、その先の内容を聞きたいだけなのか。

 大広間にたたずむ者達は、まだ誰一人言葉を発そうとしない。

 

 話を結論付ける様に、弥玻荃やはうえの声が降り注いだ。


『誇り高き健吾けんご青年は、その屈辱くつじょくに耐えきれず、その日の勤務後、そのままことに。連絡も一切なし。みずから、その輝しいキャリアに泥を塗ってしまう形となったのです』


 すると、最前に垂れ下がっていたスクリーンに、また投影されたのがわかった。


 床に手をついたまま、まだ体中のしびれが消えない八郎はちろうが、呆然と顔を上げた。

 

(これは……、動画どうがのサムネ?)

 

 再び弥玻荃やはうえのナレーションが聞こえてきた。


『真面目に働くことがバカバカしくなった健吾けんご青年は、所属していたバンドのyoutubeチャンネルを開設。、音楽活動注目を浴びようとするのです』


「が、またまた彼の前に、かべが立ちはだかるんだねぇ」


 わざとらしく無念そうな口調で語ると、老婆はマイクでの解説を続けた。


 「元々、人に対して敬意けいいを払うことを知らないは、ここでもまた、とんでもないを犯してしまう」


 健吾けんごの表情に、今まで以上の戦慄せんりつが走った。

 は追い討ちをかけるように、その赤裸々な内容を暴露ばくろした。


『皆さんの記憶にも新しいかもしれません。路上で生活しているホームレスの男性の密着取材と称したそのは、させるには十分すぎる内容だったのです』


「あれは本当にむごかったな」


 老夫がしみじみと言うと、突然、スクリーンにそのサムネ動画の内容が流され始めた。


 どこかの公園なのか、ブルーシートで覆われたテントが見えた。

 すると、その前にマイクを持った青年が現れた。

 髪は赤く、左耳に二連ピアスを左耳につけたその青年は、うっすらとメイクをしているのがわかる。

 動画の中の彼は、断わりもせずに、その閉じられたシートを開き、中を覗き込んで言った。

 

『すいませーん。今、ホームレスの方に密着取材をしてまして』


 スクリーンを見ていた八郎は、でハッとするように、離れた場所で茫然自失のまま突っ立っているリーダーの方に目線を遣った。


 映像は続き、テントの中から、


『……何だよあんたら! え? もしかして、映してんの! これ?』


 男性が咄嗟にシートでテントの中をふたしようとすると、


『ちょっと、ちょっと隠さないでよ』


 敬意の欠片もない口調で、赤髪の青年はそれを強引に開いた。

 その瞬間、顔を隠そうとする男性の姿が映し出された。

 嫌がる彼をカメラが執拗しつように追いかける。


 だ。


『何故、、経緯を聞きたいんですけど』


『おい! やめてくれ! 本当に!』


 男性の悲痛な叫びを面白がるように、健吾けんご揶揄からかいは続く。


『俺だったら、こんなの耐えられないんスけど、今、どうやって生活してるんスか?』


 すると、映っていない場所から、スタッフの声だろうか、


『キャハハハハ』


 と嘲笑あざわらうような笑い声が聞こえてきた。


『いい加減にしろ! てめぇら! 舐めんじゃねェぞ!』


 あまりの屈辱くつじょくに耐え切れなくなったのか、男性がいきなり健吾に襲い掛かってきた。

 それでも尚、いいが取れたと言わんばかりに、健吾は口元に笑みを浮かべながら、


『ヤバい! ヤバい! 今、胸倉むなぐらを掴まれました! 警察! 警察!』


 カメラ越しにスタッフに呼び掛けたのがわかった。


『ざけんな! この野郎!』


 男性の怒りに油を注いだのか。

 そのえりを掴んでいる力が強まったのがわかった。


 流石に身の危険を感じたのか。

 赤髪の彼は男性を突き放そうと、反射的にその体を押した。

 その勢いのまま男性は仰向けでブルーシートに突っ込み、そのテントがあっけなく崩壊したのがはっきりとわかった。


だったのか……」


 スクリーンから離れた場所で見ていた白人の青年がボソッとつぶやく。


「youtubeを見ていた人は、誰もが知るニュースだね。普通は、ここで良心が痛むよね」


 老婆ろうばがマイク越しに溜息交じりに言うと、それを受けて夫が肩を落としながら言った。


。男性の怪我けがが大したことなくて、本当によかった」


 まるでリハーサルしているかのごとく、この上ない間合いでまた弥玻荃やはうえの語りが始まった。


『でも、高貴こうきなる殿下でんかは、やはり他の者とは、。反省するどころかにらみ、あろうことか、それをドヤ顔で配信し続けてしまったから、さぁ大変』


 その場にいた全員の視線が、リーダーに対して一斉に注がれた。

 目を向けられた当の本人の表情は完全に硬直している。

 

『炎上が炎上を呼び、バンドのチャンネルは呆気なくされるはめに。他のメンバー達も、さすがにこのままではマズイと動画での謝罪を提案するのですが、肝心のバンドリーダーであった健吾けんご青年はがんとしてその態度を改めることはなかったのです』


「まぁ、ここまで行くと元々畜生ちくしょうというか。性根しょうねからくさり切ってたんでしょうな」


 老夫があごをいじりながら顔をしかめると、


「でも、そんな状況でも、まだ自分は大丈夫だと思えるって、やっぱ天才なのよ」


 妻が手の平を夫に向けて曲げた。

 弥玻荃やはうえの穏やかで包み込むような口調は、尚も変わらない。


『案の定、所属していた芸能事務所とレコード会社との契約を断ち切られ、バンドは孤立無援状態になり、ファンが続々と離れ、解散宣言するまでもなく自然崩壊へ』


「ロックスターになる夢を完全に絶たれたわけですな。可哀そうに」


 その揶揄やゆに、さすがに我慢ならなかったのか。健吾が鋭い目つきで、老夫をにらみ返した。

 老人は、わざとらしく仰け反る素振りをし、両手を前に出しながら反応した。


「おーこわ。でも、君もホームレスの男性に対してやったんだよ。どう? 悔しいでしょ? 怒りと憎しみと無念さで頭がどうにかなりそうだろ? ようやく人の気持ちがわかったかい? 


だけど」


 メイドが締めくくるように言い添えると、三人が一斉に乾いた笑い声を上げた。

 それが収まるのを待つように、再び弥玻荃やはうえのナレーションが始まった。


『でも、これだけ社会から弾き者にされても、尚、健吾けんご青年の性分しょうぶんが変わることはありませんでした』


「いやー、ここまで来ると、天才を越えて、もうだね」


 老婆が揶揄からかいの意図丸出しで感心を装うと、


「そう。ここからが、本当のの始まりだ」


 老夫が嬉しげに笑みを浮かべ、


「人生をまたたく間に崩壊ほうかいさせる『闇三大やみさんだい』って、かあさん知ってる?」


「えー知らない」


 老妻が血まみれの外見とは裏腹に少し可愛げに答えると、


「私、知ってます」


 メイドの中年女性が会話に加わるように、得意気に声を上げた。

 怯える少女に刃を突きつけたまま、開いた片手で指折り数えていく。


「闇金、闇カジノ、そして――」


 すると、まるでクイズ番組のごとく、三人揃って一斉に答えを出した。


!」


 決め台詞のごとく、弥玻荃やはうえの声が締めくくった。


『そう。それが、居場所を失ったあわれな健吾けんご青年の、行き着く先だったのです』

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