子ども部屋の王様

 最近「子ども部屋のおじさん」という言葉がネット上で使われるようになった。いい歳して実家で暮らしている独身男性を指す言葉だが、私はこの言葉に強い反発を抱いている。


 実家で暮らすことの何がいけないというのか。ニートをして引きこもっているとかならともかく、働いているのだからいいじゃないか。職場が実家に近いのなら、実家で暮らすが普通だし、わざわざ一人暮らしをする必要なんてない。子ども部屋おじさんの何が悪いというのだろう。


 と、私が何故ここまで「子ども部屋おじさん」を擁護するのかと言うと、私自身が子ども部屋おじさんであるからに他ならない。ええ、そうです、私「子ども部屋おじさん」です。


 そもそも「子ども部屋おじさん」がバカにされている理由は別に「実家に住んでいるから」ではない。いい歳をして実家にろくに金も入れずに、家事の一切を親に任せて、家の仕事の手伝いもせずにぬくぬくと暮らしているから批判されるのだ。要するに「自立していないダメ人間」だからここまでバカにされている。


 なので、仮に実家に暮らしているにしても、以下のような人間は子ども部屋おじさんから除外されると考えられる。


・そもそも自分の仕事が農家だとか飲食店などの家業である人。


・両親やその他の家族を養えるだけの充分な生活費を入れている人。


・結婚して実家に住んでいる人(そもそも独身ではないので対象外ではあるが)


 他にも色々対象外の人はいるのだろうけど、これらを踏まえてまずは私ドン・ブレイザー自身のスペックを見ていくことにしよう。


 私は大学時代は一人暮らしをしていたものの、地元で就職することになったため、自然に実家で暮らすようになった。家に金はろくに入れていない。いや、たぶん本当に言ったらドン引きするような少ない金額を払って実家で格安で暮らしている。この時点で私は真の意味での「子ども部屋おじさん」であると言える。


 さらに言えば、一切の家事を親に任せ、碌に家の手伝いもせずにふらぶらしている。ここまで書いて自分自身で思ったが、マジ物のダメ人間だと思う。実家 だからなあなあで許されているのかもしれないが、私の身分はただの「居候」だ。そのくせ家のために役に立つこともせず、穀潰しとして暮らしている私は本当にゴミだ。本当に申し訳ない。


 実は私には兄と妹がいるのだけれど、私と違って2人とも実家を離れて独り立ちし、2人とも立派に家庭を築いている。我が家はきっと私さえ存在していなければPERFECTな家庭だったのに、私の存在がとんでもない汚点となっているように思えてならない。いや、本当に申し訳ない。


 と、さっきから謝ってばかりだが、それはそれとして、私自身は兄弟が独り立ちしてくれたおかげで、結構な恩恵を受けている。なぜなら、彼ら二人が実家から出たおかげで、彼ら2人の子ども部屋が空き部屋となり、自動的に私のものになったからである。つまり私は現在子ども部屋を3部屋所有しているのだ。さしずめ「子ども部屋貴族」と言ったところか。いや、貴族どころか「子ども部屋の王様」と言えるかもしれない。私は子ども部屋という城を3つも手に入れた王様なのだ。


 立派に独立した兄と妹は実家に盆と正月くらいしか帰ってこないので、もう子ども部屋には一切の執着はないらしく「勝手に使っていいよ」と言ってくれている。なんて気前のいい兄と妹だろうか。いまだに子ども部屋にしがみついて生きていくことしかできない、どこぞの中年男性とは違う。


 ともかく子ども部屋が3つである。子ども部屋を3部屋も同時に所有する、そんな人間他にいただろうか。この3部屋の使い方は様々だが、空いている部屋にとりあえずいらないものを置いてみたり、最初は自分の部屋、次に兄の部屋、最後に妹の部屋という風に定期的に寝室を変えたりもする。たかが子ども部屋おじさんの分際でいいご身分である。


 まあそんなこんなで実家暮らしは楽だしいいのだが、困ったこともいくつかある。そのうちの一つが「親戚の葬式に参加しなくてはならない」ということだ。実家に住んでいる以上、親戚も近くにいるわけで、そうなると葬式にはちゃんと参加しなくてはならない。これは大変なことだ。


 別に葬式に参加するのが面倒くさいとか、そういうことを言っているわけではない。単純に悲しいから参加したくないのだ。昔子どものころに出席した葬式などは亡くなった親戚との関りがそもそも薄く、全然悲しくなかったし、それこそ「めんどうくさい、早く終わらないかな」とか思ったりしていた。


 しかし、大人になるにつれて自分にとって関りが深い親戚が、次々と亡くなるようになってしまった。しかも不思議なもので、自分に良くしてくれた優しい親戚ほど早くに亡くなるような気がする。実の祖父を特殊詐欺に引っかけて大金をせしめた親戚の兄ちゃんは実の孫ゆえに許されて逮捕もされずにのうのうと生きているというのに、世の中不公平だ死んでくれ。


 まあ、みんな急死というわけでなく、それなりに長生きしてから亡くなっているから、自然な流れではあるのだ。とはいえよく知った人が死に、その葬式に参加するというのは何回経験してもつらい。今生きている親戚だってみんないい歳だ。これからもどんどん葬式が増えるのだろう。


 ちなみに実家を離れて暮らしている兄と妹は基本的に葬式に帰ってこない。二人とも家庭も仕事もあり、日程の決まっている結婚式とかならともかく、急な葬式に帰ってくるのは難しいからだ。仕方ないことだと分かっているけど、実家に残っている私は親戚たちの死をダイレクトに受け止めることになるから悲しみも大きい。


 親戚の話ばかりしていたが、うちの家族だってもう若くない。みんないつ死んでもおかしくない。私が一番最初に死ねたら楽なのだけど、年齢的に一番最後まで生き残る可能性が高いのが私だ。人が死んだらまず何をしたらいいのかなんて全然知らないし、そもそも家族が死んだという一番精神が不安定な時に通夜とか葬式とか相続手続きとか難しい仕事をこなせるわけがない。だって子ども部屋おじさんだぞ、半分は子どもなんだから。


 とにかく近い将来家族はみんな死んで、私1人が残ることになる。そうなれば身の回りのことは全部自分でしなくてはならない。実家に寄生して楽しようとしても、どうせ最後は自立しないといけないということか。


 何にせよ、結婚も見込みもない私は最後に独りぼっちになる。無駄に多い子ども部屋で、たった一人でゲームをして漫画を読んで、寂しく死んでいく。悲しいけれど、これが子ども部屋おじさんの運命なのだ。


 最期はどのように死ぬだろう。どこかの病院のベッドで死ねたらいい方だ。きっと子ども部屋の中で、誰にも気づかれずにひっそりと死んで、何か月も放置される。そんな悲しい最期を送ることになりそうだ。


 このエッセイの最初のほうで自らを「子ども部屋の王様」と名乗り、子ども部屋のことを「城」に例えたが、こうなると子ども部屋は「城」というよりも「棺桶」といったほうがいいかもしれない。いや、私は「王様」なのだから、いっそ「古墳」とか「ピラミッド」とでも呼ぼうか。まあなんと呼ぼうが子ども部屋が私の墓標となることは確実だ。中学生の時に自分の部屋をもらった時は、こんなこと想像もしなかった、本当に。





ゲームにマンガ、学習机

オレの墓だよ

子ども部屋


作ドン・ブレイザー




終わり

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