第2話

メイドの朝は早い。

朝日が昇り始めると同時に起床し、身支度を整えて素早く朝食をとり、業務に従事する。

広い屋敷を維持するには人の手はいくらあっても足りない。徐々に顔をのぞかせた太陽が屋敷を明るく照らし出す中、十人を越えるメイドたちが忙しなく廊下を行きかっていた。

仕事は当番制。代替わりしたばかりの若いメイド長のはきはきとした指示の下、領主の食事を用意する者、領主の身支度の用意をする者、領主の今日の予定を確認する者、屋敷の清掃を行う者。中には自分たちメイドの生活する使用人棟のメンテナンスに勤しむ者たちもいる。

 両手の指で数えきれないほど多種多様なメイドたちの仕事だが、この屋敷で働く彼女たちには、たとえどこで何をしていようと守らなければならないルールがあった。

 それは、主である領主の出迎えである。



領主の起床、外出、帰宅の際はメイド全員で迎え、送り出さねばならない。それは、朝の市場へ買い出しに行く仕事を請け負ったセラも同じだ。

 清楚系の整った顔立ちにショートヘアの黒髪がよく似合う。一見飾り気がなく目立たない彼女だが、それは華美な洒落っ気を好まないセラの性格がよく出ているからだろう。傍らを通り過ぎた彼女をついつい振り返った通行人が目にするのは、うなじから腰元にかけて、黒猫の長い尻尾のように細く束ねた髪。よく手入れが行き届いていることが遠目にもわかるそれが、セラの歩くリズムに合わせて小さく揺れている。正面からでは気が付きにくい、彼女のトレードマークだ。

「よう、セラちゃん。今日は何買いに来たんだい」

 通りがかった青果市場の店主が気さくに呼びかけてきた。

 店主の中年男はそこそこ高身長で、ブーツで多少底上げしているセラでも少々目線が見上げる形になる。

「おはようございます、ハンスさん。今晩のお夕食の材料とか生活用品とか……その他もろもろですね」

「お、晩飯の材料ならコレ、今日はいいトマトが入ってんよ! いくつかどーだい?」

「んー……そうですね~」

 セラは人差し指を頤にあてながら考える仕草をして、名案を思いついたとばかりに手を合わせてニッコリ微笑んだ。

「やめておきます」

「ガーン‼」

「だってハンスさんの言ういい野菜っていつも『熟してる』んですもん。お夕食の材料として買っていったりしたら作るころには熟しすぎて使えなくなっていますよ」

「ギクッ」

「私たち屋敷の者はいつもたくさん買っていきますからね。お安くしてくれるのはありがたいですが、腐りかけのお片付けの手伝いばかりさせられるのは気に入りません」

「うぅ、いくら事実だからってそこまで言わなくても……」

大柄な身体をしていながら肩を落として落ち込んでみせる店主に、いけませんよ、とばかりにセラは説教を始めるかに思われたが、徐に手を叩き言った。

「なので、やめます。」

「へ?」

「トマトはメイドわたしたちの昼食に使いましょう。その代わり、他のお野菜もお安くしてくださいな♪」

 媚び媚びの笑顔で合わせた両手を頬に着けて言うと、身構えていた店主は呆気にとられて鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。

「……まいったな~、やっぱりセラちゃんには敵わないぜ」

「なに言ってるんですか。ハンスさんだってなんだかんだ言っても私は買っていくとわかってるから、いつも声をかけて下さるんでしょ?」

「うーん、そこまでお見通しとは‼ 降参、降参だっ」

 中ほどまで禿げ上がった頭を参ったとばかりに叩き、苦笑しながらセラの渡した袋に野菜を詰めていく。一見ずる賢そうな店主だが、詰め終わった袋を受け取ると、所狭しと詰め込まれたトマトの量から、購入した数より少し多めに入れてくれたことがわかる。

「余ったらケチャップにでもするといい。氷室に入れときゃ意外と長もちすっからな」

 そう言っていい笑顔で送り出してくれた。商魂たくましくもサービス精神を忘れない男である。

「ふふふ、やっぱり街へ来たときはハンスさんのお店の前を横切るとおトクですね」

 心なしか先ほどまでより上機嫌に黒髪を揺らしながら、セラが朝市で賑わいを見せる街並みを闊歩していると、様々なところから声をかけられる。



『セラ嬢、魚買ってかねーか⁉ おすすめはアンバス川を遡上してきたばっかの新鮮な鮭だ。脂がのってて絶品だぞ』

『セラ~新しい香水調合したのー。試してみない?』

『すまねぇ、聞いてくれセラさん! さっき家内を怒らせちまってっ、仲直り手伝ってくれよぉ』

『セラねーちゃぁーんっ、ママとはぐれちゃったのぉっ、いっしょにざがじで~』



「はいはいもう、いっそ皆さん一列に並んでくださいな。そんなに呼ばれても私は一人しかいませんので」

 呆れたように笑いながらも、セラはまんざらではない様子で一人一人親身になって受け応えていく。そうすると、相手もまた笑顔になって帰っていき、いつかまた訪れた時にも気さくに声をかけてくれることだろう。

 メイド業は激務である。

 気難しく横暴な主の居城ともいえるリトリヒト領の領主屋敷で、常に領主『リトリヒト辺境伯爵』のご機嫌をうかがいながら走り回るように働く日々。辺境伯が在宅中の屋敷は、いつもハチの巣をつついたかのように大騒ぎの大忙しだ。そんな戦場のような屋敷から外に出て、ある程度のんびりと街で羽を伸ばせる買い出しの仕事はメイドたちにとって貴重な息抜きの一つである。

 屋敷で生活してる人間の数はメイド含めて全体で二十人近くいるため、毎日のように買い出しに行く必要があるが、その役目は当番制ですべてのメイドに平等に振り分けられるようになっていることからも、ルールを決めた者がそういった意図を含んで作ったことは明らかだった。

 無論、そんな大人数の為の買い出しであるからそれなりに長く時間がかかる、というのもある。よって、それをたった一人に任せられるはずもない。



「セラぢゃ~んっ‼」

「はいはい、今度はどなたですか」

 迷子になってしまった小さな女の子の手を引いて歩き回り、ちょうど母親の下に送り届けた所にその少女は駆けこんできた。同じくリトリヒト辺境伯の屋敷で働くメイドのマイカである。

 色素の薄い赤のセミロングの髪に辛うじて乗っかっているメイドのカチューシャが、彼女のあまりにも速い走行スピードに煽られて吹き飛ばされそうになっていた。

「マイカ! ストップ‼」

「っ⁉」

 セラの掛け声で急停止したマイカは、慣性を殺しきれずにたたらを踏んでセラの前に盛大に倒れこんだ。

 思い切り顔面から石畳の舗装路に突っ込んでしまったが、マイカは鼻の頭を赤くしただけで半泣きながらもすぐに起き上がる。

「どうして受け止めてくれないの⁉」

「どうしてわざわざ轢かれに行かなきゃならないんですか」

 ちなみにセラはマイカが迫ってきた時点で、進行ルートから一歩隣に身を躱していた。

「セラちゃんならきっとダイジョーブだよ」

「期待が重い! あまりにも。貴女は自分がいかに常識から外れてしまっているのか、もう一度よく考えた方がいいでしょう」

 周囲に風切り音を轟かせながら爆走する少女を見られるのは、いかに王国広しといえどこのリトリヒト領中央都市『シュタット』だけだろう。これでもマイカ的に言えば『抑えている』らしく、本気になった時の彼女は最早歩道を歩ませるわけにはいかないので、少し前に馬車道を走るようシュタットローカルルールが制定された程だ。

「人の足で交通規制を受ける少女がこの世に何人もいると思いますか?」

「えー、でもそれアタシのとこに来たお役人さんに聞いた時はわからないって言ってたよ。本当は何人かいるんじゃない?」

「それは「前例がないからどうしていいかわからない」って言ってたんですよ‼ その人悩みすぎて結局後で私のところに相談に来たんですからね⁉」

 ちなみに馬車道を走行する彼女は度々、疾走する馬を笑顔で追い抜いていくという。

スレンダーな体形で少し小柄なセラと違い、凹凸に富んだ女性的な身体つきのマイカが何故自分より圧倒的に速く動けるのか、それはセラにとって常日頃から抱いている疑問だった。今のところ、マイカの方が十七歳のセラより三つほど年上なので、成長スピードの差というのが最も有力な説だとセラは考えているのだが、それはどちらかというと身体能力ではなく身体的特徴の方に気を取られているからだろう。仮にセラの胸がマイカのように成長することがあっても、彼女ほど足が速くなる事はあるまい。

「はぁ、もういいです。それで、私に何かご用ですか? 見たところ買い物はまだ済んでいない様子ですが」

 苦笑いで去っていく母と娘を見送りながら、セラはため息交じりに言った。

 同じくこちらは笑顔で手を振っていたマイカは、セラに尋ねられてはっとした表情を浮かべる。

「そ、そうだったよセラちゃ~んっ‼」

「話が前に進みません。しかも近所迷惑ですので叫ぶのはその辺で」

「あ、うん。実はさっきすごい事に気が付いたんだ」

「と言いますと?」

 続きを促したセラはやれやれとばかりに首を振りながらも、柔らかい表情を浮かべてマイカの話を聞く姿勢をとった。好奇心旺盛なマイカの事だ。どうせまた大した用でもないのだろうが、セラはコロコロと表情を変えながら自分についてくるこの少女のそういう所も嫌いではない。未だ付き合いは半年程度と短いが、右も左もわからないまま始めた激務のメイド業を今日まで続けて来れたのは、少なからずマイカがいつも傍にいてくれたからだと感じていたのだ。

 セラに促されてコクリとうなずいたマイカは、心底不思議そうに言った。

「あのね、いつの間にかポケットから財布が無くなってたの」

「大事件じゃないですか」






 日が昇るにつれて賑わいを増していくシュタットの市場。

 石造りの三角屋根の建物が、道の両脇に理路整然と連なるシュタット特有の風情ある街並みを、勿体なくも足元にばかり目を向けて足早に歩いていくメイド姿の少女が二人、行き交う人々の雑踏の中でひと際強く目立っていた。

「うーん……ない、ないよセラちゃん……」

「ええ、こっちも見当たりません」

 セラとマイカの二人はひとまずマイカが財布を無くしたことに気付いた場所まで行き、そこから今日マイカが歩いたと思われる道を引き返しながら財布を探していた。

 なにせ買うものが多いので、セラとマイカは手分けして買い物をしていたのだが、セラと別れたマイカは賑わう朝市に心躍らせるまま買い物そっちのけでしばらく露店を冷やかした後、そろそろ買い物を始めなければまずいとポケットを確認したところ、その時にはすでに財布が無くなっていたのだという。

「どどどどうしようっ、ぐずぐずしてたらご主人様が目を覚ましちゃう! でもこのまま帰ったらメルティさんに叱られるぅ~」

 どっちにしろ地獄だ~と頭を抱え、マイカは項垂れた。

 セラはそれを気の毒そうに眺める。

 マイカが言う所のご主人様とは、もちろんセラの主でもあるリトリヒト辺境伯その人のことだ。セラたちが奉公する領主屋敷の持ち主で、禿げあがった頭をした樽のような男である。普段から自堕落の極みのような生活を送っており、賭博と姦淫と金儲けにしか興味がない。それらをしないときは屋敷に引きこもってばかりで、面倒な領主の務めは全て息子であるリトリヒト卿アルフレットに丸投げしているらしい。

 また狭量な性格から、日頃より屋敷で働くメイドたちに何かと難癖をつけてくる上に、場合によっては度を越えた折檻を強いてくる事もあるのだ。以前、領主の起床時の出迎えに遅れてしまったメイドがいたのだが、彼女は怒り狂った領主に寝室へ連れ込まれ、次の日になるまで解放されなかった。そのメイドは憔悴しきった様子で仲間たちの元へ戻ると、心配するメイドたちに何があったか告げることもなく、その日の内に職を辞して屋敷を出て行ってしまったのだ。

 恐ろしい前例を知る二人としては、何としても領主の起床までに屋敷へ戻らねばならない。だがこのまま戻って正直に金を無くした事を謝っても、メイド長のメルティから厳しく責め立てられるのは明白で、もしそれが何かの拍子で領主の耳にでも入れば、結局マイカにとっては同じことだ。

 屋敷で働く仲間として、何より同じ女として、マイカをあの下卑た男の毒牙にかけさせるわけにはいかない。

 セラは先ほどより周囲に向けていた意識の精度をさらに上げる。

 具体的には街の空気を感じ取る肌の感覚と、その流れを聞き取る耳に、ゆっくりとより深く神経を這わせていく。

 次第に他の感覚は薄れ、己を音と風の流れだけを感じるだけの存在と化したセラは、自分を中心に街中のいたるところで交わされる会話の一つ一つを丁寧に拾い上げていき、探している単語、関連する話題がないか精査する。

 セラ自身が『風詠み』と名付けたこの能力は、セラの鋭敏な感覚器官を空気の流れに集中させることにより、そこから多くの情報を引き上げることができるのだ。



『さぁ安いよ! 安いよ~! 今日はニワトリ肉がお買い得~』

『ママ~、あたしセラ姉ちゃんみたいなかっこいいおねーさんになりた~い』

『だからよぉ、俺は絶対次の王様はガヴィロンド様がいいと思ってたんだよなぁ……アレス様に続いて二人も王族が死んじまうとはよぉ』



 ―――違う、これじゃない。



『この前ウルリッヒ橋であった殺人事件、あれ犯人捕まったのか?』

『アルフレット様がいるうちは、このリトリヒト領も安泰だって……ゴードン様が余計なことしなきゃだけど』

『今は王都に近寄らない方がいい。第二王子がいなくなって継承権争いも大詰めで、第一王子と第三王子の勢力がなりふり構わずやりあってるって聞くからな』



――――これも違う。



『裏街の奴ら、度々この辺に出て来てるみてぇだが、こっちの治安まで悪くなるからやめてくんねぇかな……』

『うおっすげぇ、流石は領主屋敷のメイド。結構金持ってんだな~』

『ああ、王国最強を謳ったブルーベル騎士団も壊滅したって聞くし、これからは玉座についた方の王子のお抱え騎士団が、国の軍事力の中核を担っていくんだろうさ』



 ――――――っ!



「――見つけた……っ⁉」

「お~い、セラちゃ~ん?」

 背筋を走るぞわりとした感覚に、セラは身体を硬直させる。意識を遠方に集中しすぎていたせいで、話しかけてきていたマイカにまったく気が付いていなかった。

 マイカは不思議そうにセラの背中をつついて首を傾げている。

「どうかしたの? なんだかずっと上の空だったけど……」

「だっ、大丈夫。なんでもありませんよ」

 マイカに苦笑を向けつつ、セラは胸を撫で下ろす。

 風詠みは集中するにつれて肌の感覚が鋭敏になっていくため、少し触れられただけでも過剰に反応してしまう超敏感肌になってしまっているのだ。

「それよりマイカ、私についてきてください。恐らくですが、財布の所在を掴めました」

「ほんとにっ⁉ どこっ、どこっ⁉」

 額の辺りに手を置いて、マイカはしきりに辺りを見回す。

「少し歩きますよ」

 真剣な表情で歩き出したセラに従い、マイカもわたわたとその背を追いかける。

 連れ立って歩く二人は、時間がないこともあって気持ち早歩きでシュタットの街を南下していく。

 シュタットは緩やかな高低差のある立地に創られた街で、領主屋敷や政庁といった貴族、役人たちが使う施設は北の高い位置にある。そして南に下っていくにつれて一般市民たちの住居や市場、さらには酒場、賭場、娼館などの歓楽街が増えていく。下に行くにつれて街幅が扇状に広がっていくため、仮に上から見ることができたら、扇の付け根の辺りに領主屋敷が位置しているように見えるだろう。逆に扇の外側に当たる街外れは農地や牧場が多くなっている。上下水は整備されていて、基本的に平和で住みやすいことで有名なリトリヒト領の中央都市。

 そんなシュタットの街だが、実は外からではわかりにくい隠れた区画があった。




「この先って、裏街だよね」

 半地下に建てられた二棟の建物が門のように立つその場所は、他の街並みと一風変わった物々しさを放っていた。丘のようになっているシュタットの土地の中腹辺りを掘り進めて作られたそこは、住民たちから『裏街』と呼ばれ敬遠されている。というのも、裏街は元々開拓期の頃に資源獲得の目的で掘り進められた地域を再利用する形で作られた街で、当時の質の低い設備や住居が一部そのままになっていた。そこには食い詰めた浮浪者や孤児が住み着き、また裏社会勢力に連なる者たちの活動拠点も点在する。

 より違法性の高い娯楽施設も多く犯罪の温床となっているのだが、領主の密かな意向でこの地域への行政介入は最小限にとどめられてきたため、スラム街のようなありさまのまま今日まで存続してきてしまった背景があった。

 及び腰になるマイカと対照的に、セラは一切歩調を緩めることなく裏街の奥へと踏み入っていく。

「ちょっ、セラちゃん⁉ どうしてこんな所へ来なきゃいけないのっ」

「先ほど、ここに入っていく人たちの会話を耳にしました。内容を聞く限り、どうやらマイカは掏りにあったようですね」

「えっ、掏り?」

「私たちが領主屋敷で働いていることは、この格好を見れば一目瞭然ですからね。大金を持っていると思われたのでしょう」

 実際、マイカには今日の買い出しのためにメイド長から渡された予算の半分を持たせていた。辺境伯の屋敷を維持する生活費だ、当然今日の買い出しの分だけでもそれなりの金額になる。セラが耳にしたのは、そんな思わぬ収穫に喜ぶ者たちの会話だった。

 ――少々腑に落ちない点もありますが。

 そんな思考をしながら、セラは裏街の退廃的な雰囲気の漂う街並みをズンズン歩いてゆく。日が届きに難いことから全体的に薄暗く、他の街区に比べて清潔感はなかった。自分たちのような格好の者が足を踏み入れてくることが珍しいのか、周囲からチラチラと好奇の視線が向けられて実に鬱陶しい。時折煽ってくるかのような口笛の音も聞こえて来て非常に不愉快だが、そのすべてを黙殺して目的地へ突き進んでいく。

 ずっと騒いでいたマイカもすっかり大人しくなってしまい、ちゃんとついてきているのか心配になって振り返ってみると、口元を真一文字に引き結んで歩くマイカの姿が見えて少し安心した。だがよく見れば、彼女の両手にはセラのメイド服の腰元にあるリボンの端が握られていた。気持ちはわかるが、あまり強く握られて解けてしまっては困る。

 セラはリボンの代わりに自分の手を握らせて先を急ぐ。

 ここにいてはわかりづらいが、恐らく外では太陽がだいぶ高い位置まで登ってきているはずだ。その前に何としても金を取り戻して買い物を済ませ、領主屋敷へ帰還しなければならない。

「っ、あれは……」

 やがて見えてきた廃屋の中から、まとまった人数の集団が出てくるのを目にして、セラは足を止めた。

「セラちゃん?」

 首を傾げるマイカの口元に人差し指を立てて、セラはその集団に目を向ける。

 大人と子供の入り混じった集団だった。サイズの合っていない古びたシャツやズボン姿の子供三人に対し、盗賊のような風貌の男たちが囲いを作っている。こちらはぱっと見十人前後はいそうだ。

 何やらもめているのか、男たちの一人が子供たちに対して高圧的に言った。

「おうクソガキども。いい加減聞き分けろや。おめーらみてぇな掃きだめのカスに、そんな大金は宝の持ち腐れだってんだよ」

「う、うるさいっ、これはオレたちのだ! 危ない橋を渡ってようやく手に入れたのに、お前らなんかに盗られてたまるか‼」

 対する子供たちは怯えを隠しきれずに身体を震わせながらも、必死に身を寄せ合ってお互いを護ろうとする。そんな彼らの一人が両手で握りしめている袋には見覚えがあった。

「アタシの財布っ」

「ええ、どうやらあの子たちがマイカから財布を盗んだようですね」

「う、うん。でも、なんか様子が変だよ」

 面倒くさそうに頭を搔きながら、先ほどの男がさらに前に出て子供の一人に蹴りを放つ。

「あっそ、じゃあ無理やり奪い取るわ」

「ぐっ、く、くそ」

 腹の辺りを蹴られた子供が、苦しそうに目尻に涙を滲ませる。

 それに他二人の子供が駆け寄って心配そうに声をかけるが、それを機に男たちが少しずつ囲いを狭めていく。

「来るなっ、来るなよぉ」

「兄ちゃんっ」

「くそっ、二人ともオレから離れるなよ」

「ケッ、てめぇもビビり散らかしてるくせに、なぁに強がってんだバァカ」

 リーダー格らしき男は子供たちの中でも一番年長らしき少年の胸ぐらを掴み上げると、少年の持っていたマイカの財布を毟るようにして奪い取る。

「こいつは俺様のもんだ」

「ぐぁっ」

 用が無くなったとばかりに少年を他の子供たちに投げつけると、男は手に入れた財布の中身を見て色めき立つ。

「こいつは大したもんだ。今夜は豪快にパ~っと騒ごうぜお前らっ」

 男の言葉に呼応して下卑た歓声を上げた男たちは去り際に子供たちを小突き回し、その小さな身体に蹴りを入れていく。

 生死に耐えない惨い仕打ちが展開され、様子見に徹していたセラはとうとう我慢できなくなった。オロオロするマイカを置き去りに、気配を消してリーダー格の男の背後へと忍び寄る。

「随分と楽しそうですね」

「あ? なん―――っ⁉」

 振り返ろうとした男が言い終わる前にセラが仕掛けた。

 一度後ろへ大きく振りかぶったつま先を、思いっきり男の股間へ叩きこむ。

 するとリーダー格らしき男は、一瞬で顔を青くして地面へと崩れ落ちた。

「子供相手には随分と強気でしたが、所詮この程度ですか」

 ばっちぃですね。と言いながら、セラは男の股間を蹴り上げた方のブーツのつま先を地面にこすりつける。

「な、なんだテメェは」

「アニキに何しやがるっ」

 異変に気付いた他の男たちが殺気立つ。

 ボロボロにされながらも身を寄せ合って耐えていた子供たちも、こちらに弱々しい視線を向けていた。

「なに、少々探し物をしに来たのですが、目当てのものが見つかったかと思えば見るに堪えない汚物が傍に溜まっていたのでつい、掃除したくなってしまっただけですよ」

 汚物呼ばわりされて男たちの表情に怒気が漲る。

 だが、セラはそんな事お構いなしにさらなる毒を吐いて見せた。

「しかし……見れば見るほど品のない人たちですね。お顔が冴えないのは生まれついてのモノですから仕方ないにしても、もう少し身なりには気を使われた方がよろしいでしょう。不細工が野暮ったい姿で下品な行いをしている姿は正視に絶えませんから。ほんの少しでも気を利かせる知能があるのなら今すぐ消えて下さいませんか―――この地上から」

 絶対零度の視線を向けられて、さしもの暴漢たちも一瞬怯むが、相手はメイドドレスをまとったか弱い女性である。リーダーは不意打ちでのされたが、力のままに捻じ伏せてしまえばこちらのもの。そう考えた男たちがセラに向かって一斉に襲いかかってきた。

 人数はもちろんの事、体格差は圧倒的。

 ただのメイドでしかないセラに抗う術はない。

「仕方ありません。少し遊んで差し上げ―――」

 ひゅんっ、と。

襲い掛かってくる男たちを前に身構えたセラの横を、風が鋭く通り過ぎた。

「ぶぐはぁっ⁉」

「あら……?」

 ごしゃぁっ、という耳を塞ぎたくなるような鈍い打撃音と共に、セラに迫っていた暴漢の一人が吹き飛ばされる。吹き飛んだ男は後方にいた仲間数人を巻き込んで廃屋の壁に叩きつけられ、そのまま大の字に倒れて動かなくなった。

 暴漢数人の戦闘不能を見届けたセラの前には、マイカが拳を突き出した姿勢で立ち尽くしている。普段の無邪気な雰囲気は鳴りを潜め、据わった眼をしたマイカはぼそりと呟くように言った。

「セラちゃんに乱暴しようとする奴はアタシが許さない」

 今度こそ暴漢たちの足が完全に止まる。

 吹き飛ばされた男の方を見やると、未だ立ち上がる様子はなく完全に気を失っているようで、顔面には猛獣に殴られたのかと錯覚するほどに深くめり込んだ拳の跡が浮かんでいた。

「な、なんなんだこの女共はっ」

「っていうか赤毛の方は本当に人間か? さっきまで小柄な方の後ろにいた筈なのに、一瞬で……」

「うわぁ、こ、こっちに来るぞ」

 赤い色彩の、しかし光の灯らぬ瞳で見据えられ、恐怖から及び腰になった暴漢たちが後退りする。マイカが一歩踏み出せばその瞬間に男たちは一目散に逃げ出していただろうが、その一歩が致命的だった。

「ふっ―――」

「ひっ、は、速っ」

 そんなわけはないのだが、踏み出した一歩から音を置き去りにするかの如く加速したマイカの姿を、男たちは一瞬見失う。今見ている人間を見失うという奇怪な人生初体験を強引に経験させられて、動きを止めてしまったことが決定的な過ちだった。無論、彼らにとっては理不尽なまでに逃れようのない事ではあったのだが。

「セラちゃんは、いつも私を助けてくれる大切な人なんだ。それを傷つけようとする人は―――いなくなっちゃってよ」

「待っ―――」

 ばつんっ、と。

 消えてしまったマイカを自らの懐に入られた状態で再発見し、絶望の悲鳴を上げた男は次の瞬間、顔面に掌底を叩きこまれて宙を舞う。インパクトの瞬間には打撃音というより空気が破裂したようなある種、子気味のいい音が鳴り響く。しかしマイカが攻撃を当てる度にその音が轟くものだから、辺りは耳を覆いたくなるような騒音地帯になってしまっていた。

 もとより聴覚のいいセラには一層耳障りで、呆れた顔をしながら早々に両手で耳を塞いでいる。

「あーマイカ。そんなに派手にやらなくて大丈夫ですよー、っていうか私はここまでするつもりはなかったのですが……」

 マイカを怒らせたのが運の尽き。

 もとより道義にもとる行いを働いていた以上、セラは制裁を加えることを躊躇うつもりはなかったが、流石にここまで血風吹き荒ぶ修羅場を生み出すことは考えてもいなかった。

セラのやる気のない制止の声も届かぬようなので、さっさと諦めたセラは大立ち回りを繰り広げるマイカをよそに、今まで目にしたことのない圧倒的な暴力にひたすら肩を震わせて縮こまっていた少年たちの元を訪れる。

「大丈夫ですか?」

「っ―――あ、は、はい」

 びくっ、と恐怖から大きく身体を震わせながらも、年長者らしき少年が言った。

 他二人の少年は、応じた少年の肩にしがみつくようにしてひたすらに怯えている。暴れているマイカと全く同じ格好をしているものだから、余計に怖いのかもしれない。

 少年たちに手が届く距離まで近づいたセラは、しゃがみこんで目線を合わせると、にこりと微笑んだ。

「辛かったですね。でも安心してください。私もあの娘も君たちに危害を加える気は毛頭ありませんから」

 両手をひらひらと振るわせて、なんにもしませんよ~とアピールすると、少年たちは少し緊張が解れたのか、強張らせていた肩を落とした。

「ほ、ほんとになにもしないの?」

「ええ。本当ですよ」

「ほんとに、ほんと?」

「? はい、神に誓って」

 そこまで聞いて年長者の少年はようやく警戒を解いたようだ。マイカの暴威を目の当たりにしたとはいえ、少々怯えすぎているような気がした。

「どうしてそんなに念を押したのです?」

「だ、だってオレたち……その」

「ひっく、あの怖いおねぇちゃんから財布を盗ったから……」

「あ、あいつらを倒したら、今度は僕たちもやられちゃうんじゃないかって……」

 ―――あー。

 ぽんっ、と掌に拳を乗せて妙に納得したセラは頷いた。

 セラ自身はこの少年たちとは初対面であるが、マイカは少し違う。正確にはマイカも少年たちのことなど知りはしないだろうが、マイカから財布を盗んだ少年たちからすれば、マイカは財布を盗られた報復に周りの男たちを殲滅しに来たように見えるだろう。その対象に、自分たちが含まれていないはずがないと、暴漢たちが掃除された後は実行犯である少年たち自身の番だと怯えていたのだ。

「そうですねー。確かに盗みは犯罪ですし、私たちも盗られたことに気付いたからこんな裏街の奥までやってきたわけですから」

 セラがそう言うと、再び少年たちは怯えて身を寄せ合った。

 それにセラは違う違うとまた手を振ってから、

「でも、だからってあそこまで痛めつけたりしませんよ。子供を𠮟りつけるのに暴力を頼るなんて、法が許しても私の騎士道が許しません」

「きしどう?」

 セラは再び笑みを浮かべて、口元に人差し指を立てる。

「あの男たちは君たちのお友だちですか?」

 ぶんぶん首を振る少年たちに笑みを濃くして、セラは言う。

「なら心配はいりません。彼らは自分たちの蛮行に釣り合った報いを受けているだけですから」

 少々こちらの過払いが過ぎる感は否めないが、

「だから君たちも、やってしまったことに見合った償いをすればいいのです」

 セラはマイカたちの方を見ないようにしながら言い切った。

「つぐないって……どうすれば……?」

 不安げに見上げてくる少年たち。

 問いかけてくる年長者の少年の鼻先を人差し指でちょんと叩いて、セラは言った。

「悪いことをしたらゴメンなさい、ですよ」




 最後の一人の鳩尾にブーツの踵を叩きこんで沈黙させた相手を、マイカとどめとばかりに回し蹴りで吹き飛ばす。

「ふぅ、ざっとこんなところかな」

 ようやく怒りが収まったのか、マイカはすでに普段と変わらない雰囲気に戻っていた。

 高速移動を繰り返しながら、人を吹き飛ばすほどの威力の攻撃を繰り返していたにもかかわらず、マイカは汗をかくどころか息ひとつ切らしていない。

「終わったようですね」

「あ、セラちゃ~ん」

 セラを見つけたマイカは、何事もなかったかのようにこちらへとてとて駆けてくる。その背後には死屍累々の惨状が広がっていたが、あれでマイカは殺生を好まないため、恐らく生きてはいるのだろう。

「怪我はありませんか」

「うんっ、だいじょーぶ。セラちゃんこそへーき? 痛いとこない?」

 マイカはおろおろとセラを様々な角度で確認するも、本当に傷一つなさそうなのを確認して安堵の笑みを浮かべた。

「私の事はその辺で。それよりこの子たちがマイカに話があるそうです」

「ほぇ?」

 セラに促されて、マイカはその後ろにいた少年たちに初めて気が付いたようだ。

 少年たちは横にずれたセラと入れ替わるようにマイカの前へ出て、一斉に頭を下げた。

「「「ごめんなさいっ‼」」」

「えっ、なに。どうしたの?」

 よくわかってないマイカは目を白黒させていたが、年長者の少年が申し訳なさそうに言った。

「この財布、お姉ちゃんのだろ」

 おずおずと差し出されたマイカの財布は、先ほどセラがノされた男の亡骸(存命)の隣からこっそり回収していた物である。もちろん中身の無事は確認済みだ。

「あっ! そうそう、それアタシの財布っ」

「これ、オレがお姉ちゃんから盗んだんだ。市場で姉ちゃんが食い物の匂いに気をとられてた時に……」

「マイカらしいですね」

 くすりと笑ったセラに、マイカがたははと恥ずかしそうに照れる。

「でもこれは返すよ……あいつらに乱暴されたて無理やり財布を奪われた時に思ったんだ。盗られた方はこんなにも悲しい気持ちになるんだって、しかもオレも弟たちもボコボコにされた。悪いことをすると、もっと悪いことが返ってくるんだってわかったよ……」

 涙を浮かべて項垂れる少年にから財布を受け取り、マイカはしゃがんで目線を合わせた。

「ありがとうね」

「っ⁉ え……?」

「返してくれてありがとうっ、君は立派なお兄ちゃんだね~」

 よしよ~しと年長の少年の頭を撫でまわし、マイカはふにゃふにゃの笑顔になった。

「な、なんでっ。オレたち姉ちゃんに酷いことしたのに、なんでお礼を言うんだよ」

「んぇ? だってこうして返してくれたじゃない。アタシは財布が戻ってきただけで十分だし、ついでに君たちみたいなしっかりしたいい子に出会えて得したかな~って」

「まぁ途中までは誰かに盗まれたというより、マイカがうっかりどこかに落っことして来たものだとばかり思っていましたからね……」

「うぐっ」

 セラに図星を突かれて、マイカはさっと目を逸らした。

「姉ちゃん、変わってるんだなぁ」

「あはは、よく言われるよ」

 からからと能天気に笑うマイカにつられて、少年たちもようやく表情がやわらいだ。

 セラも安堵してほっと息をつく。しかしその時、セラの耳がこちらへ向かって歩いてくる複数の足音を捉えた。

「あっちゃあ~、こりゃまた派手にやってくれたなー」

 音のした方を振り返ると、予想より遥かに近くへ来ていた人物が周囲の惨状にげんなりとした声を上げた。

「あなたは……」

「よう、セラ嬢ちゃん。ちょっとご無沙汰だったな」

 裏街に似つかわしくない上質な黒い絹の服を身に纏った男は、セラに向けて親し気に掌を突き出した。

 つばの広い黒帽子で黒銀の短い髪を覆い隠し、さらに半透明の灰色のサングラスをかけているため顔が判別しづらい。無精ひげを生やした瘦せぎすの中年男のように見えるが、セラも素顔を見たことはなかった。

「相変わらず鼻が利きますね、ウォルター」

「嬢ちゃんの耳ほど優秀じゃないがね。これでも裏街の元締め的なことを頼まれてっから、トラブルには敏感なのさ」

「いったい誰に頼まれたのでしょう」

「さぁて、ね?」

 フフフ、クックックッ、とお互いに昏い笑みで笑いあう。

 そんな二人に対し、マイカは見ちゃダメだよ~、と少年たちの目を塞いでいた。

「で、この惨状は何だ? 大方またマイカ嬢ちゃんが暴れたんだろうが、そこでノびてる連中は生きてんのか? うちで世話してる奴も交じってるみたいなんだが……」

「やだなぁ、ちゃんと加減はしたから生きてるよ~……多分」

「マイカが言うなら間違いありませんね……多分」

 おたくらさぁ~、とウォルターは帽子を押さえて嘆息した。

「一応、うちらにもメンツってもんがあんのはわかるよなー。お屋敷で働いてるご婦人方に言わせりゃくだらない男どもの意地の張り合いかもしれねぇが、この裏街じゃ舐められっぱなしは死につながる」

「それで?」

「落とし前つけろって言ってんのよ」

 ザッ

 ウォルターの後ろに人だかりができていく。

 セラが察知していた複数の足音は、ウォルターの手下たちのものだったようだ。

「ひっ」

「ウォルター一家だっ」

「に、兄ちゃん」

 少年たちの表情が強張る。

 彼らを背に庇いながら、マイカも人数の多さに緊張の表情を浮かべていた。しかし、

「……」

 周囲の空気が張り詰めていく中、ただ一人セラだけは呆れたような白けた表情でウォルター一家を眺めていた。

「どうした? なんとか言ったらどうだい、セラ嬢ちゃん」

 伊達男よろしく帽子を目深にかぶって表情を隠し、ウォルターの声音は低く響く。

 全員の注目がセラに集まる中、彼女は常と変わらず気負いなく言った。

「茶番ですか」

「……なんだって?」

 はぁ~、とため息交じりにセラは続ける。

「メンツがどうのと言うのなら、あなたが私に絡んでくる必要はありません。何故なら、あなたの手下たちは私とウォルターのをよく知っていますから」

 ウォルターの背後に立ち並ぶ手下たちは、皆一様に気まずそうな表情を浮かべていた。

 それに気づいたウォルターが、ああ? と間の抜けた声を上げる。

「お前らさぁ……」

『い、いや、だってボス』

『セラのお嬢相手に下手な冗談は通じないっすよ』

『ボスの悪ふざけに付き合ってお嬢に目ぇつけられんのは御免です』

 口々に文句を垂れる手下たちに、ウォルターは額に手を当てた。

「素晴らしい人望ですね」

「嬢ちゃんさぁ、知らないうちに人ん家の手下手懐けんのやめてもらっていいか?」

「言いがかりですよ。皆さんとはたまたま関わる機会があって仲良くさせてもらっただけです」

 セラが微笑みながら手を振ると、ウォルターの手下たちはニコニコと手を振り返してきた。

「趣味の悪いあなたの事です。マイカや子供たちを怖がらせたくて、皆さんを引き連れてきたのでしょう」

『やっぱばれてますよ』

『つか、いくらお嬢に敵わないからってその連れビビらして満足しようって発想がもう、ね』

『とっとと下っ端回収して帰りましょうよ、ボス~』

 口々に文句を垂れ始める手下たちに、ウォルターは聞こえよがしに大きな咳ばらいを繰り返して黙らせると、げんなりとした様子で言った。

「ったく、わぁったよ。お前らはを始めてろ」

 指示を聞くと手下たちはだるそうに返事をしながら掃除――戦闘の痕跡消しと気絶したチンピラたちの回収を始める。いわゆるだ。

「え? ど、どうして裏街のヤクザ者がそんなことを?」

「ナッハッハッ―――ヤクザ者とは手厳しいな。間違いじゃないがね」

 軽い調子で笑って見せて、ウォルターは幼子に教え諭すようにしてマイカに言った。

「いいかいマイカ嬢ちゃん。裏街じゃ、喧嘩や重犯罪が起こっても取り締まる奴がいないせいで治安が下がり放題の無法地帯。そんな風に思ってるかもしれないが、それはちょっと違う」

 マイカは首を傾げる。少し及び腰なのは未だにウォルターを警戒しているのと、いかにも悪っぽい雰囲気の男が苦手だからだ。

「俺らはね、表に出回る事件や騒ぎをコントロールしてんのよ」

「コントロール?」

「そ。例えばシュタットの朝市で裏街の事件なんかの噂話を耳にする事もあるだろうが、実際に起こった事件はもっと規模がでかい」

「えっ」

「表に漏れ出るような事件は、大抵の場合でかすぎて俺らがもみ消しきれなかったもんが多いからな。本当はもっと人が死んでるだろうし、ケガ人も大勢出てるかも」

 裏街で騒動が起きる度に、ウォルターたち一家が火消しに回っているのだという。

 平然と言うウォルターに、マイカは唖然とした表情で言った。

「そんなことしてなんの意味が?」

「統治者の介入を防ぐためですよ」

 なおも疑問符を浮かべるマイカに、セラが説明を引き継いだ。

「裏街で起こる諸問題を全て野放しにしておけば、それを耳にした民衆たちが騒ぎ出します。そうなれば統治者は裏街を野放しにできなくなり、騎士隊によるに踏み切るでしょう」

「浄化作戦?」

「虐殺に近いですね」

「ぎゃっ⁉」

 驚いたマイカが咄嗟にウォルターの顔を見る。それにウォルターはお手上げとばかりに両手を上げた。

「今の領主は裏街の存在に寛容だ。そんな事はそうそう起こらねぇだろうが、先代の時にはでけぇ殲滅戦があったらしい」

「殲滅戦……」

「ここは罪人ばかりじゃなく、食い詰めた貧困者や施設に馴染めなかった孤児ガキ共みてぇな居場所のない奴らもいる。浄化作戦はそんな関係ねぇ奴まで一緒くたに殺しちまうだろう……そんな事、させるわけにはいかねぇのよ」

 ウォルターは未だに怯えた様子でそちらを見ている少年たちを、ちらりと見てからセラに向き直った。

「ってなわけで、ここの後始末はオジサンたちが嫌々やっといてやっから、お嬢さんたちはさっさと帰んなさい」

「そうさせてもらいましょう。もうあまり時間もありませんし」

 裏街にいるとわかりづらいが、外はもうすぐ昼だろう。

「へ? セラちゃん、何か急ぎの用事でもあったの?」

「貴女は……何のためにわざわざここまで財布を取り戻しに来たのですか?」

 流石のセラも呆れる。

 財布と聞いてマイカは表情が固まり、次の瞬間真っ赤になって焦りだした。

「あっ―――あ、あぁぁぁぁっ‼ わ、忘れてたぁぁぁぁっ‼」

「しかも私はともかく、貴女はまだ買い物さえ済んでいません」

「やっ、やっ、やっばぁぁぁいっ‼」

 ドヒュンッと、人が駆けだした時に鳴ったとは思えないような音を発しながら、マイカは市場に向けて走って行ってしまった。

「な、何事でっ?」

「少々訳ありでして。私もこれで失礼します―――っとそうでした」

 ウォルターがマイカの爆速の余波で飛ばされそうになった帽子を押さえながら驚愕する。その声に言葉を返しながら、セラは同じく呆気にとられている少年たちに歩み寄り、目線を合わせた。

「これを」

「えっ」

 セラは懐から取り出した袋を年長の少年に握らせる。その中にはマイカが持っていた程の大金ではないが、まとまった金額の通貨が入っていた。

「大してありませんが、これで弟たちとちゃんとした物を食べなさい」

「なっ、どうして、こんな……オレたちはっ」

「子供とは将来国家を支える宝ですから。貧困や手前勝手な大人たちの作り上げた不条理などに押し潰されてはいけません」

 少年たちの手を握り、セラは言い含めるように続ける。

「しかし、生きるには自ら力を尽くす必要があります。一日も長く生きなさい。生きて明日を生きる方法を考えなさい。その繰り返しこそが人生であり、あなた達がそうして生きてきた道こそが国の礎となるのです」

「お姉さん……」

 でも犯罪はダメですよ、と片目を瞑って見せると、少年たちは首を縦にブンブン振って泣きながら礼を述べた。

「私はセラ、先に行ってしまった彼女はマイカです。また会いましょう」

 泣きじゃくる少年たちに笑いかけて、立ち上がったセラはウォルターに目を向ける。

「彼らを任せても?」

「そこまでする義理はねぇんだが?」

「頼みましたよ」

 返事は聞いてないとばかりにつん、と言い捨てられ、ウォルターは「はいはい」と深く嘆息した。

「んで、どうなんだよ。の方は」

AM0200

 突然、小声でそれだけ言ったセラに、何やら察した様子のウォルターは少し考えるそぶりをして言った。

「二段街、クルミ亭の二階」

 聞いたセラはコクリと頷いて、マイカが走っていた方向へ歩き出した。

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