辺境伯領のメイド騎士団
鹿熊四角
第1話
「待って、グリーナッ‼」
「ん? おや、どーしたぃ小娘。息せき切らして珍しいねぇ―――女が汗だくで人前に立つとは何事だい」
老女に駆け寄ると、彼女は私の姿を見るなり顔をしかめておでこをはたきました。
「ったぁ~、なにするんですか‼」
「お前こそどうしてくれんだい。これでしばらく見納めだってのに、せっかく頭ん中に叩き込んだ王都の美しい情景がアンタの登場で汗まみれになっちまったじゃないか」
「だ、だってそれは……グリーナが全然見つからなくて、それで―――」
言っている内にしゅんとした気持ちが心に広がり、言葉尻が小さくなっていきます。
こうして見つけられたから良かったものの、私が本気で探して見つけるまでにこれほど時間がかかったということは、グリーナもまた私から隠れおおせる気で姿を消していたということなのだから。
「……まったく、お前は昔っから甘えん坊だねぇ」
「ほっといて」
「最近はちったぁマシんなってきたかと思えば、中身と胸はまったく成長してない」
「む、胸は関係ないでしょっ⁉」
つい反射的に叫ぶと、グリーナはケラケラと心底愉快そうに笑った。まったくもって品のない笑い方で、先ほど私に女が――などと説教を垂れたのはどこのどいつだったでしょうか。
「そうやってすぐまた私をオモチャにする。人がどんな思いで探しに来たのか、グリーナなんかにわかるはずがないもんね」
「―――で、最後は拗ねる、と」
恥ずかしさと情けなさで顔を背ける。
グリーナの笑い声はおさまったが、そちらを盗み見ると未だ意地悪な笑みが顔に張り付いていました。しかし、徐に表情を改めると、静かな声音で続けました。
「殿下から聞いて来たかい」
コクリ、と頷く。
「……ねぇ、なんで引退なんてするの、グリーナ。前に、自分は生涯現役だって言ってたじゃない。現に今だって、私の追跡を何度も躱して気配を隠しきってた。こんなことできるのはグリーナくらいなんだよ。まだ全然衰えてなんかいない」
そもそもこうしてグリーナを見つけられたのは、おそらく彼女が焦るこちらを見かねて手を抜いてくれたからではないでしょうか。
「当り前さね。いくら歳食ったってお前みたいな青臭いガキ。何百回だって煙に巻いて見せるさ」
「じゃあ―――っ」
「それとこれとは別問題だ」
「だから理由を教えてよっ」
懇願に近い言い方になってしまいました。
どれだけ鍛錬を積んで、困難な任務を達成しようと、グリーナの前ではついつい子供時代の気持ちに戻ってしまう。でもグリーナは私の親同然の人で、いつまでも越えさせてもらえない高い壁なのです。それも仕方のないことだと思いたい。
グリーナは夕日で赤く照らされ始めた空を見上げながら、まるで過去を懐かしむかのような口調で話し始めました。
「アタシは今までの人生を好きに生きてきた。やりたいこと事をやり、やりたくない事は他にできるヤツを見つけては押し付け、欲しい物は力ずくで強引に奪い取り、逆らうヤツもまた力で捻じ伏せてきた」
何か楽しい思い出でも浮かんだのか、凶悪な笑みを浮かべて握りこぶしを頬の辺りに掲げて見せる。仮にも騎士とは思えない悪辣さです。
「だからこそ、いつ辞めんのかもアタシの好きにすんのさ。当然だろ?」
「嘘、そんな理由でグリーナが私たちから離れるわけない。本当のことを言ってよ!」
「はぁ~……本当に聞き分けのない子だね」
大きなため息を吐いたグリーナは、こちらへ歩み寄って来て老女のものとは思えない大きくざらついた感触の掌を、優しく私の頭にのせてきました。
「ちょっとは落ち着きな、おバカ。『風詠み』の名が泣くよ」
「……」
グリーナはそのまま私の頭を撫でながら、先ほどまでとは打って変わって慈愛に満ちた、まさに母親のような顔つきで笑っていました。
不覚にも頭を撫でる掌の感触が心地よくて、彼女の言う通り心を支配していた焦燥感を追い出すことができました。
「お前の頭はちょうど撫でやすい高さにあるから、ついつい手を乗っけたくなっちまうんだよねぇ」
「グリーナの背が高すぎるんですよ」
「お、少しだけいつもの顔に戻ってきたね」
満足そうに頷くと、グリーナは手を引っ込めてしまいます。それに私が名残惜しさを感じているのを知ってか知らずか、大柄の老女はこちらの目を見つめて言いました。
「今生の別れってわけじゃないんだ。聞き分けておくれ」
「……はぁ、わかりました」
グリーナにこんな顔をされては、流石に私もこれ以上追及することはできません。それに少々取り乱していたとはいえ、先ほどまでの自分を振り返ってみると、あまりにもみっともない振る舞いをしていたような気がします。私としたことが、このような醜態を人前で、よりによってグリーナの前で晒してしまうとは……いえ、むしろ相手がグリーナだったからこそなのですが。
「未だに納得はできませんが、飲み込むことにしますよ」
「私は不服です、と顔に書いてあるねぇ」
「当然です。しかし、これだけ頼んでも話してくれないなら諦めるしかありませんので、ひとまず主命が関係していると考えることにします」
ほぅ、と一呼吸ついて心を落ち着けると、自分の言葉に改めて納得を見出せました。グリーナのおかげで冷静になれたため、出奔の理由がいくつか思いついたのです。
「ククッ、そこまで思い至れば上出来だ。アタシも安心して田舎へ帰れるよ」
「田舎――というと、リトリヒトへ?」
「ああ、もう随分と長いこと帰ってないからね。ちょっと昔馴染みの顔でも見に行ってくる」
そう言うと、グリーナは傍らに置いていた大きなトランクを軽々と片手で肩へ担ぎ、私に背を向けて歩き出してしまいます。
「皆を頼んだよ。後釜はセリーナに頼んどいたから大丈夫だろうが、アンタがしっかり支えてやんな」
「貴女の代わりが、私たちに務まるでしょうか……」
「アタシのやり方に拘る必要はない。お前たちのやりたいようにやればそれでいいのさ。それに―――」
言葉を切ったグリーナが一度こちらを振り返って、今日一番の快活な笑みを浮かべて言います。
「最後の鬼ごっこ。お前がアタシを見つけられたのは途中でアタシが手を抜いたからじゃない」
「―――っ!」
「実力は十分だ。エクセラ、胸を張りなっ」
そして、グリーナは今度こそ振り返ることなく歩き出します。
老女とは思えない程にまっすぐに伸びた背筋、広い肩幅の大きな背中が遠ざかっていく。優しく吹いた風が、彼女の細く束ねた灰色の髪を弄んでいました。
「ありがとう、グリーナ」
私の呟きは風に乗って消えていく。
この声はグリーナに届かなくても、きっと心には届いたと思います。
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