迷走ありきの青き恋

「……どうして?」

「え?」


 私の矢野ちゃんのイメージはいつも良い意味でヘラヘラとしていて、掴み所がなくて、自由に飛び跳ね続けているフリーダムなもの。だからこそ、矢野ちゃんの声が震えている事実だけで、思いっきり面食らってしまう。


「……どうして、フったの? 高橋くんを」

「え? 高橋くん……?」


 謎の『高橋くん』が登場し、張り詰めていた緊張の糸が僅かに緩む。とはいえ、それは決して『高橋くん』という存在に安心感を抱いたからではない。

 事実、降って湧いてきた『高橋くん』の存在が、いったい誰を指しているか分からず、酷く困惑する。とは言え、話の流れから考えれば、先ほど告白してきた男子生徒の名前と踏んで、ほぼ間違いないだろう。しかし、当事者であるはずの私が知らず、覗き見(鉢合わせ?)していた傍観者の方が詳しいという状況は、よくよく考えなくても大変おかしな状況である。


 とりあえず、丁寧に脳内でセルフツッコミを入れつつ、現状を一つずつ整理していく。既に私自身の考えが追い付けないくらい、おかしな展開になってしまっているとも思っている。だけど、なけなしの思考力で引き出せる回答なんて『そんなこと言われても、そもそも高橋くんとやらが誰のことを指しているのか分からないんだけど?』という素直な答え一択に尽きるのだが……。あまりにも身も蓋もなさすぎて、そういうわけにもいかないだろう。

 働かない思考の中で必死に弾き出した答えを元に、出来るだけ平和裏に物事が運ぶ方法を模索してみる。しかし、元々苦手な分野に属する恋愛絡みのこじれた会話を素人が簡単に解決に導けるはずもなかった。


 だけど、諦めたら本当におしまいだ。

 あり得ない展開を目の当たりにして、混乱を極めている残念な自分の脳みそを渾身の力でフル回転させるべく躍起になる。しかし、予想もしていなかった展開に対する衝撃は激しいもので、未だに余韻が取れそうにない。だけど、私以上に衝撃を受けている矢野ちゃんの様子を見ていれば、余韻がなかなか取れないことは悪ではないとも思えてくる。それは動揺すること自体は、ある意味で正常な反応と受け入れざるを得ないくらい矢野ちゃんがグダグダな状態に陥っていたからに他ならないだろう。


「てか、嘘でしょ……。坂下ちゃんったら、どうして高橋くんを知らないの? てか、高橋くんも高橋くんよ。告る時に、どうして名前を言わないのよ……。そんな間抜けすぎる話、聞いたことすらないわよ……」


 辛うじて『高橋くんって、誰?』と尋ねる無粋な返答は回避した。とはいえ、キョトンとした受け答えは想像以上に破壊力があったようだ。私が返す言葉のニュアンスに、矢野ちゃんが全ての事実を察するには十分過ぎるほどたくさんの情報が含まれていたらしい。

 私の受け答えから高橋くんの名前さえ知らなかったという残念すぎる事実を察した矢野ちゃんは、更なる混乱の渦にのみこまれていく。そして、その事実は矢野ちゃんがつぶやく発言に多大な影響を与えていく。


 実際、私自身に衝撃が全くなかったといえば嘘になる。とはいえ、どうにか本音が口から漏れないように気を付ける余裕が僅かとはいえ残っていた。……しかし、矢野ちゃんには私以上に激しい衝撃が走っていたらしい。

 いつも矢野ちゃんは周囲に対して、これでもかと言うほど気遣いを示している。そんな矢野ちゃんは相手を貶めたりするマイナス発言を絶対にしなかった。それは矢野ちゃん自身が、強い影響力を持っていることをキチンと理解しているからこそ、控えようとしていることも大きいだろう。


 自分の影響力を過小評価することも過大評価することもなく、正確に把握して発言内容を選び続ける生活をずっと続けていることは大いに評価されるべき彼女の美徳だろう。私にとって、まさに矢野ちゃんは人気者には人気者たる理由があるということを痛感させる存在でもあった。


 そんな矢野ちゃんが気を配る余裕すらなくす衝撃を受けたことは察するに余り有る。

 周囲への気遣いに関してプロ級の矢野ちゃんのうっかり漏らした本音が、相手を貶めるようなマイナス発言だからと言って、目くじら立てるつもりも一切ない。むしろ、プロ級の気遣いを示し続けている矢野ちゃんをそこまで混乱させたことに対して、申し訳なさばかり感じていた。だからこそ、矢野ちゃんの本音も含めて、素直に受け止めたいと思っていた。

 尤も、矢野ちゃんがこぼす本音は全て【ザ・正統派】なものばかり。ハッキリ言って、矢野ちゃんの落ち度はゼロと言っても過言ではないだろう。それでも、相手を貶めていると捉えられかねない発言をしてしまった事実は、後に彼女を自己嫌悪に陥らせるのではないかと不安に駆られる。


「……え、と」


 とはいえ、私に出来ることなんてなきに等しい。

 そもそも矢野ちゃんの本音に心の底から全面同意しているくせに、矢野ちゃんの発言を止めに入るということがそもそもおかしな話なのだ。そうかと言って、全面的に相槌を打ちまくれば、矢野ちゃんの発言がヒートアップしかねない危険性もある。ヒートアップすること自体は問題ないのだが、後で正気になった矢野ちゃんの苦悩を考えると避けてあげたいところでもある。


「というか、サッカー部のエースだから坂下ちゃんも自分のことを知っていて当然とでも思っていたのかしら? ならば、ただの自意識過剰が招いた自業自得な結果なだけなのかしら……」

「……」

「いや、でも……。坂下ちゃんは所属の部活は愚か、名前さえ知らなかったんだよね。つまり裏を返せば、今までに一度もまともな会話をした試しがなかったということなんだよね。そういうベースがあって、名乗らずに突撃(告白)してきたとか、最早コントの域としか言いようがないんじゃ……」


 頭を抱えながら矢野ちゃんは、高橋くんの行動に対する問題点をピックアップし、ダメ出しをし続けている。矢野ちゃんの発言が軒並み正論だからこそ、非常にツッコミを入れづらい……。

 さて、どう立ち回ることが正解なのだろう。一人思い悩んでいる間も、矢野ちゃんのセルフツッコミは炸裂し続けていく。いつも冷静沈着で物事を多角的に捉え、且つ全体を俯瞰した感情論に左右されない生き様が板に付いている矢野ちゃん。そんな矢野ちゃんのセルフツッコミなんて、見たいと願ったところで簡単に見られるものでもないだろう。


 私自身、自分の行動の是非を判断しかねているのだ。矢野ちゃんだって、そういう状態に陥ることがあっても何ら不思議なことでもないはずだ。そんなことを思いながら、とりあえず静観することをチョイスする。

 実のところ、積極的に静観することをチョイスしたというよりも、静観する他なかったというニュアンスが正確なのだが……。この際、細かいことは気にしないでいようと思う。

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