相互の熱量ギャップが引き起こす悲劇
しばらく一人で呟き続けた後、矢野ちゃんはおもむろに声を張り上げ、私へ尋ねてくる。残念そうに、恨めしそうに……。そして、ともすれば野次馬根性丸出しのように……。
「てか、坂下ちゃんも! 何で、名前を尋ねなかったのっ!」
「あー……」
矢野ちゃんの中で、たくさんの感情が渦巻いているからこそ、様々な感情が入り混じった声色になったのだろう。私自身が混沌とした気持ちを抱いているからこそ、矢野ちゃんの問い掛けは声色もさることながら、内容に至るまで全てが真っ当なものと感じている。……にも関わらず、咄嗟に間延びした相槌を打ってしまうあたりが、私が凡人たる所以ではないだろうか。
「…………」
矢野ちゃんの疑問は、確かに至極真っ当なものだ。古今東西、自己紹介は初対面の定番と言っても過言ではないだろう。そして、相手の名前を知らない状況で、相手の名前を尋ねる行為を批難する人がいたとするならば、まず批難した人の方が糾弾されるケースが多い。そのことからも、初対面で相手の名前を尋ねることの正当性は高く確立されていると言えるだろう。
つまりは、初対面の相手に名前を尋ねる行為を無粋と捉える方が、余程『無粋』であると多くの人たちは認識している。言い換えれば、名前を尋ねたことで憤慨する相手はそれまでの相手であり、名前を尋ねる行為さえしないことは、憤慨しかねない相手と見下していたとも捉えられかねない行為とも言えるだろう。
……ということくらいは、さすがに凡人の私も理解している。とはいえ、全ては今後も何かしらの関係を築いていきたいと願うことが大前提で進む話だとも思っている。だからこそ……。
「開口一番、告白されちゃったら名前なんて聞けないよ。聞いてしまったら、断るハードルがますます上がっちゃうことが分かりきっているのに」
「……えー。坂下ちゃん、何その超正統派な答え」
「正統派も何も、こんなことで神経すり減らすのだけはマジで勘弁願いたいの。私はただただ色恋沙汰とは一切無縁の平和な暮らしがしたいだけなんだよ」
「うん、まぁ……。そういうことなら、坂下ちゃんの行動は花マル級の大正解とは思うけど」
「じゃあ、もういいじゃない……」
私がげんなりとした表情を浮かべている様子を目の当たりにした矢野ちゃんは、若干困惑気味な表情を浮かべつつ、言葉を慎重に選んで返してくる。明らかにおべっかを使うことこそしなかったが、絶妙な軽さを含めた言葉をチョイスする辺り、実に矢野ちゃんらしい臨機応変な機転の利いた行動と言えるだろう。
神妙にされても息苦しい。だからと言って、むやみにはしゃがれるのも癪に触る。面倒なほどナーバスな状況であっても、矢野ちゃんは絶妙な言葉を的確にチョイスする。そんな矢野ちゃんの先見の明には毎度のことながら惚れ惚れしてしまう。その匙加減の難しさを知っているからこそ、矢野ちゃんの凄さに心の底から感心する。
以前から、矢野ちゃんが自分自身の影響力を正確に把握して、他人を貶めるようなマイナスの発言を控えていることには気付いていた。だけど、それもこれも他人の心の踏み込み度合いを見定める正確な判断能力故の賜物だとしたら……。的確な言葉をチョイスし、絶妙な匙加減を成立させることだって、矢野ちゃんだからこそ軽々と出来ることなのかもしれない。
とは言え、生まれ持った天性の才能も大きく関係しているとは思っているが、その才能を磨き続けた矢野ちゃんの努力を思うと、矢野ちゃんなら軽々と出来ると表現するのは失礼だろう。きっと『矢野ちゃんなら自然と出来る』という表現の方が相応しいだろう。
しかし残念ながら、感心と尊敬は恋バナに比例しない。恋バナではしゃぐ気持ちを更々持ち合わせていない私としては、どう転んでも『マジで勘弁』以外にピタリと当てはまる表現もまたないわけで……。どんなに取り繕おうと努力したところで、限界がある点は目を瞑ってほしいところである。
「じゃあさ、坂下ちゃんは告白の返事を一切迷わなかったわけだ。学校一のイケメンが相手でも」
「イケメン……な、の?」
控えめに疑問符で返してみたところで、失礼な反応であることに違いはないだろう。だけど、そうとしか返しようがないと思う程度にしか、相手のことを認識していない時点で色々と察して欲しいものでもある。
「あらあら、坂下ちゃん的にはイケてなかった感じかしら?」
私からの困惑気味の返事を聞きつつ、矢野ちゃんは苦笑混じりに尋ねてくる。
矢野ちゃんからの苦笑混じりの質問は嫌いじゃない。だけどそれは矢野ちゃんが苦笑しつつ、質問を投げ掛ける行動をすることこそ、彼女自身が本質を理解している故の行動と気付いているからに他ならないだろう。
「いや、うーん……。というか、そういうつもりで見てなかったから……。うん、ただただ返事に困っただけ」
馬鹿正直に語る私を見ていて、頭を痛める人が一定数存在することは理解している。実際、私自身も全ての情報を開示する行為を須らく美徳として繋げる思考はナンセンスだと思っているし、正直解せない感覚の方が強いタイプと言っていいだろう。とはいえ、物事の本質を見極めている相手でさえも、闇雲に煙に巻くか一刀両断にするしか出来ない人生も、また想像以上に息苦しいものだと思っている。
つまり、矢野ちゃんに対して、明け透けに語ることを美徳とする心意気という名の下心で行動しているわけではなく、全ては状況把握が可能な矢野ちゃんだからこそ、甘え切って全てをぶちまけているというわけなのだが……。まぁ、その下心が《自分を良く見せようとする》という意味だけではなく、《自分の居心地の良い環境を求めようとする》という意味合いも含めるならば、どんな御託を並べてみても下心の付随は避けられそうにないだろう。
「あははははっ! 学校一のイケメンも坂下ちゃんの前じゃ立つ瀬がないねえ」
だが、現実は想像以上にセカイは優しさに包まれているらしい。
そんな心配も何処吹く風と言わんばかりに、矢野ちゃんはケタケタと笑い転げている。責めるでもなく、咎めるでもなく、笑い飛ばしてくれる矢野ちゃんだからこそ、素直な気持ちを包み隠さず吐露してみたくもなるわけなのだ。
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