第50話
「……このデザイン画」
有名大学の名前が書かれた進路調査票を隠すように置かれたドレスのデザイン画。皺の寄ったそれらは見覚えのあるものばかりだった。
見覚えがあるのは当然だ。それらは全て玲が描いたものだからだ。
バー・リブレでの休憩の時間、毎日のように紙にペンを走らせて描き続けたドレス。全て休憩室の屑箱に捨てたはずなのだが、何故二人がそれを持っているのだろうか。
(……あの人か)
脳裏に浮かんだのは艶やかな黒いドレス姿の女主人。
道端に蹲っていた自分を救ってくれたあの人は、自分が捨てた夢の残滓を律儀に全て拾い集めてくれていたのだろう。
あの人らしい、と玲は思わずにはいられなかった。
二人がこれをもっている。つまり彼女たちは自分の事を聞きにバーリブレに足を運んだに違いない。そこであの人は二人にこのデザイン画を託したのだ。
「玲君、あのね」
デザイン画を持ったまま沈黙を守り続ける玲に、栞は決意を込めた声をあげる。
「ドレスを作ろう。陽菜さんでも、ヒナのためでもない。玲くんのためのドレスを作ろう。玲君が自分らしくいられるためのドレスを作ろう」
真っ直ぐにこちらを見つめてくる栞の視線から逃げるように、玲はうつむいた。
ドレスを作るのは好きだ。ドレスをデザインするのも好きだ。
自分が普段ヒナでいるために着ているドレスの大半は、姉の部屋を借りて自分で仕立てたものだ。ドレスを縫うのは好きだった。ヒナとして振舞うためのドレスはいくらだって作ることが出来た。
なのに、何故だろう。《玲》のためのドレスはどうしても作ることが出来なかったのだ。
ヒナのためのドレスと同じように、自分に似合うデザイン画を描いたつもりだ。太くなる首や手足を隠すためのシルエット、フリルが付いたロングドレスのデザイン。
だが、描いてもどうしても納得することが出来なかった。
出来あがったデザイン画は、どうしても《玲》のためのドレスには思えなかった。
「玲君は、本当はデザイナーになりたいんでしょう」
栞の問いかけが、玲の耳に届く。
そうだ、本当の自分の夢は姉と同じデザイナーだ。楽しそうにドレスを作る姉の姿に憧れて、自分も彼女と同じ道を進みたいと思ったのだ。これだけは姉の真似ではない、自分の心が決めたことだ。
だが、それでも。
「でも……自分のためのドレス一つ満足にデザインできないのに」
誰かを喜ばせるためのドレスなど、今の自分に作り出せるはずがない。
中途半端な夢を捨てきれずに持ち続ける位なら、いっそ何もかも捨ててしまったほうが楽なのではないか。そう思い、進路希望調査の紙を新しく書き直したのだ。
何も考えず、望みを捨てて意志のない人形のように決まったレールの上の人生を歩めば良い。どうせこの世界に陽菜もヒナも、いずれ玲すらもいなくなるのなら、それで良いではないか。
そんなことを考えてしまったのだ。
だが、突然響いた音に玲は思わず顔を上げる。
そこには頬を膨らませて書き上げた進路希望の紙をびりびりに破り捨てるマリーの姿があった。流石に彼女の暴挙に驚いたのか、栞も大きく目を見開いて固まってしまっている。
「ま、マリー……?」
「マリーさん?」
狼狽える二人の声に、マリー頬を上気させたまま口を開いた。
「この世界では……誰でも夢を持つことは自由なのでしょう?なら、貴方も夢を諦めないで」
こちらを見つめるマリーの強い眼差しに、玲はたじろいだ。
「でも、俺一人じゃ……」
自分手を引いてくれていた姉の陽菜はもういない。
自分一人ではどうすることもできない無力さは、玲自身が一番良く知っている。
「一人じゃない」
その声に視線を向ければ、こちらを真っ直ぐに見つめてくる二人の少女と目が合った。
「玲君は一人じゃない。大丈夫だよ。自分の為に作ったドレスを着て、お母さんに会いに行こう。陽菜さんじゃない、玲君の姿で会いに行こう。私たちが一緒に、玲君をエスコートしてあげるから」
栞の言葉に、隣に立つマリーがゆっくりと頷いた。
その姿に、玲は思わず目を細める。気づかないうちに浮かんだ涙のせいで、視界が歪んでしまったのだ。そのせいだろうか姿も恰好も全く別人のはずなのに。何故か二人の姿が姉の陽菜と重なって見えた。
「玲」と名前を呼んでくれた姉の声。あの人が「大丈夫」と言ってくれるだけで、昔の自分は本当に何でもできる気がしたのだ。
ふと姉の、陽菜が昔笑いながら言った言葉を思い出した。
『いつか、玲と一緒に素敵な服を着て歩いてみたいな』
姉と一緒に叶えることのできなかった夢。その夢を、この二人となら叶えることができるかもしれない。もう一度だけ、夢に向かって手を伸ばしてみようと思えたのだ。
「……俺に、できるかな」
「出来るよ。それに私達だけじゃなくて、助けてくれる人が玲君にはたくさんいる。バーの人たちも、それに」
目じりに浮かんだ涙を擦る玲の目に、少しばかり悪戯めいた笑みを浮かべて微笑む栞達の姿が映る。
「ねえ、マリー。あの人ならきっと助けてくれる」
「そうね、シオリ!私もちょうど同じ方を思い浮かべていたところよ!」
くすくすと笑いあう少女たちの前で、ただ一体何が始まるのかと首を傾げることしかできなかった。
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