第49話

突然問われた言葉に、マリーは口籠る。


「え、わ、私は……」


まさかそんな問いかけをされるとは思っていなかった。

将来、未来。そんな言葉はマリーにとって本来あるはずのないものだったからだ。

あの断頭台が、本来マリーにとっての終わりの場所だった。自分にあるのは過去のみで、その先の未来など与えられるはずがなかったのだ。

だが、今こうしてこの世界で「未来に何をやりたいのか?」と聞かれ、マリーはすぐに答えることが出来なかった。


「あの、この世界では……どんな夢を持つことも出来るのかしら?身分や生まれも関係なく?」


その言葉に、店主は「いったいこの子は何をいっているのだろう」と一瞬不思議そうに首を傾げくすりと笑みを漏らした。


「当り前よ、どんな夢を持つことも自由だわ。もちろん目指した先にかなわない夢もある。でも夢を持つことは自由なのよ。この世界では誰だって、私だってこうしてお姫様になることができるんですから」

「そう、なの……ね」


その言葉にマリーは静かに俯いた。

かつて自分が生きた世界では、誰もが平等に夢を持つことなどできない世界だったからだ。自分が王族として自由を許されなかったように、平民に生まれた者達の殆どは夢を見る事すら許されない。それが当たり前の世界だった。

だからこそ、誰も自分を知らないこの世界で「なんでも自由な夢を持って良い」と言われても、すぐに答えを出すことができなかったのだ。


「私は、今は……シオリと……大切なお友達とずっと一緒に居たい。それが今の私の夢よ」

「マリー……」


隣で震える手を栞はそっと包み込む。何も知らない人が聞けば、なんと愚かな夢だときっと笑われてしまうだろう。だが栞にだけは、マリーの持つその小さな願いが持つ意味を分かってしまったからだ。

思いつめたようなマリーの姿に店主もそれ以上声をかけることはなかった。


「二人の夢、聞かせてくれてありがとう」

「マスターさんも、ありがとうございます!」

「いいのよ、玲の事。よろしくね」


性別も違う、血縁関係もない。

だが店主が浮かべるその表情は、本当に母親が娘を思う表情そのものだった。二人の関係が羨ましいと、栞はそう思わずにはいられなかった。


「あなたも、また店においでなさい」

「沢城君と一緒に、必ずまた来ます」


マリーを連れて店を後にしようとする栞に、店主は最後に声をかける。


「ねえ、この店の……Livreの名前の意味を知ってるかしら?」


その言葉に、栞は立ち止まり首を横に振る。だが、シオリに代わるように隣に立つマリーが口を開いた。


「……本、という意味ね。素敵な時間をありがとう」

「その通りよ」


ぱたん、とベルの音と共に締まる扉を見送り、店主は深く椅子に腰かけた、グラスに注いだ酒を一息にあおる。

バー『Livre』。

マリーという少女が言った通り、それはフランス語で本という意味だ。この店が本ならば、訪れる者たちは皆本に挟む栞なのだ。


人生は本と同じだ。

長い長い物語を読み続ける間、必ずどこかで休みを取らなければいけない。この店を訪れる人たちが、長い物語の中で栞を挟んで休むことが出来るように、この店に「本」という名前を付けたのだ。


「あの子はきっともう大丈夫ね」


陽菜でも、ヒナでもない。玲という彼自身を見つめてくれる大切な友人が出来たから。きっとまもなくあの子もこの店を巣立っていくのだろう。本に挟んだ栞を抜いて、新しい人生を歩くために。


「……大きくなったわねえ」


Livre、という本の名前を冠する自分の城を構えることになったもう一つの理由。もう二度と目に移すことはないと思っていたもう一つの「栞」を想いながら、店主は静かに目を閉じる。



◇◇◇



「沢城君……!」

「楡井さん、マリーさん……どうしたの?」


驚いたような顔で出迎えてくれたのは、まだ学生服を着たままの玲の姿だった。連絡もなしの突然の来訪にも関わらず、家に上げてくれたということは余程モニターに映った栞の顔が必死な表情を浮かべていたのだろう。


「何があったか知らないけど、ちょっとあがっていきな。今お茶入れてくるから」


マリーと共にリビングに通された栞は、ダイニングテーブルの上に置かれた紙に気付く。自分が持っているのと同じ進路希望調査票が置かれていたのだ。

おそらく、元々書いていたものを無くしたと思いこんだ玲が新しく教師からもらったものなのだろう。そこには栞が預かる紙に書かれていた服飾専門学校の名前はなく、誰もが知っているような有名大学の名前だけが書かれていた。


「楡井さん、マリーさん……お茶が入ったから」


何も知らずに部屋へと戻ってきた玲に、栞は鞄に入っていた進路希望調査票と、マスターから預かった玲が捨てたはずのドレスのデザイン画を突き付け、口を開いた。


「玲君、ドレスを一緒に作ろう」

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