第39話

部屋の中に響くミシンの音を聞きながら、玲は手にした本をめくり続ける。

実際のところ本を読んでいるフリをしてはいるが、目に映しているのは文字ではない。本越しに見える、ミシンを踏む姉の姿だ。ロリータ服を着たままリズムを刻むようにミシンを踏むその姿は楽し気だ。


「よーし、できた!新作、最高に可愛い!玲、ほら見てみて~」


くるりと振り返りぬいあがったばかりのドレスを見せる陽菜に、玲はため息交じりの返事を返す。


「うるさいよ、姉さん。今勉強してるんだから」

「ここは私の部屋。勝手に入ってきてるのはそっちじゃない。それに勉強って、確かに歴史の本だけどさあ。『ベルサイユから学ぶフランス服飾史』なんて、高校入試には絶対必要ないでしょ」


指摘されたことに反論しようとするが、陽菜はそれよりも今縫いあがったばかりのドレスを見せたくて仕方がないらしい。玲の手から本を奪い取ると、まるで自慢するように出来上がったばかりのドレスを掲げて見せた。


「見てみて、新作です!大きめの襟が可愛いでしょ!」

「これ、デザイン違い?二着あるけど」

「そう、双子風にして着ても可愛いかなって」


自信満々に掲げられたドレスに視線を向け、玲は口を開く。


「確かにこれだけでも可愛いけど、上に濃い色のチュールとか重ねたらもっと可愛い気がする」


姉が作ったドレスは今のままでも確かに可愛いが、違う素材と色の生地を重ねるとまた違う雰囲気が出るのではないか。なんとなくそう答えただけなのだが、陽菜は感心したように目を瞬かせた。


「確かに、それは私にはなかったアイデアだわ。ちょっとカジュアルっぽくなるし面白いかも。玲、デザイナーのセンスあるね」

「……笑えない冗談いうなよ」

「冗談じゃないわよ。早速そのデザインで作り直してみよ!」


このデザインなら、と続けた陽菜の言葉に玲は首を捻る。姉の浮かべる表情が、昔から何か企みをしている時の顔とまったく同じだったからだ。


「そのデザインなら玲も着てくれるかなって思って。ほら、私とおそろいコーデできるでしょ!」

「はあ?な、なんでだよ!着るわけないだろ」


慌てて首を横に振る玲に、陽菜は不満げに唇を尖らせた。


「ええー、でもせっかくお揃いのデザインで作るのに。これは二人で着て完成するドレスなんだよ?玲とお揃いで着てみたいなって」

「だからって、なんで俺なんだよ。着るわけないだろ!」

「なんでって……だって玲、本当は可愛い服好きでしょ?」


突然の言い放たれたその言葉に、先ほどまでの無表情を崩し玲はぽかんと口を開けたまま固まってしまう。そんな玲を気にせず、陽菜はにこりと笑いかけてきた。


「父さんの目を盗んで私の部屋に良く来てるの、ドレスが好きだからだよね。いつも地味な服とか制服ばっかり来てるけど、本当は可愛い服が好きなの知ってるんだよ」


だから一緒に着よう、とにじり寄ってくる陽菜を玲は睨みつけた。


「男がスカートなんて履いたら、笑われるにきまってる」

「そんなことない。少なくとも私は絶対に笑わないわ」

「それに父さんに見つかったら、なんて言われるか」


その言葉に、陽菜は不満げにふんと鼻を鳴らす。それだけで陽菜がどれほど父親を嫌っているか分かるというものだ。だが、陽菜の気持ちもよく分かる。


二人の父親は極端に学歴を重視する人間だ。かつて自分が通った名門校である桜ヶ咲高校に子供たちが通うのは当然、大学も名門大学に通うのが彼の中では当たり前の事。自分の敷いたレールから外れることなど決して許されることではない。そう思っているのは明らかだった。

だからこそ、桜ヶ咲高校に入れたものの勉学よりも裁縫に時間を費やす陽菜のことを快く思っていないのは当然だった。彼女が好むロリータ服と呼ばれる服も「いつまでのそんな子供のような服を着るつもりだ」と否定する。

ことあるごとに玲自身も「桜ヶ咲に入っても、決して姉のようにはなるな」と何度も何度も言い聞かせられていた。


勝手に制服を改造し、髪を明るく染めた陽菜に教師たちも手を焼いているらしく、学校でも問題児と呼ばれているのは確実だった。だが、教師たちから何度も注意をされ、父親から叱責を受けても陽菜が自分の「好き」をあきらめることはなかった。


「自分が好きなものに父さんは関係ないでしょ?だって私は私だもの。玲は可愛い服が似合うと思うし、自分が好きだと思う姿になっていいんだよ?」


その言葉に玲の喉が僅かになる。

陽菜の言う通り、玲は幼い頃から姉と同じで可愛いものが好きだった。まだ本当に幼い頃、一度だけ姉が貸してくれたひらひらのドレスを着てみたことがある。

今まで経験したことのない、歩く度にひらひらと揺れるフリルが嬉しくて思わず歓声をあげてしまったのがいけなかった。ドレス姿を父親に見つかり、姉と共に酷い折檻を受けたのは記憶の底に残っている。

あれからは、一度も「ドレスを着てみたい」と口にしたことはなかったのだが。どうやら姉の目というのはごまかせないものらしい。


姉の持つドレスに手を伸ばしかけた玲の耳に、玄関の扉が開く音が響く。おそらく父親が帰宅したのだろう。厳格な父親の存在に無意識に体がかたくなってしまうのは昔からの事だ。


「俺、もう部屋に戻る」


もし陽菜の部屋にいることがばれたら二人共父親から叱責を受けるのは避けられない。

玲は高校受験、陽菜は大学受験を控えた身だ。服作りなどで遊んでいる時間はないだろう、と怒鳴られるのが目に見えている。それこそもし玲が陽菜の作ったドレスを着れば、どんな叱責をうけるか分からない。


「姉さんももうすぐ受験だろ、ちゃんと勉強もしなよ」


陽菜にとって勉強など不要なのは玲が一番良く知っている。自分よりもはるかに成績の良い彼女は、間違いなく父親が入れと命じてきた難関大学の試験を簡単に突破できるだろう。その成績ゆえに教師たちも彼女の校則破りをあまり強く指摘できないのは明らかだった。


「あー……うん、そう、だね」


珍しく歯切れの悪い返事に玲は姉を振り返る。其処には先ほど出来上がったばかりのドレスを見つめながら、少しばかり表情に影を落とす陽菜の姿があった。

その数日後、玲は彼女のその表情の理由を知る事になった。

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