第38話

かちゃり、とテーブルの上にカップを置く音が響く。

賑やかなカフェの中にいるはずなのに、周りのざわめきよりも不思議とそのカップの音の方が栞の耳に良く響いた。

カフェに入ってから続く長い沈黙を最初に破ったのは、玲だった。


「……驚いた、まさか二人がいるとは思わなかったから」


その声に栞は真っ直ぐに玲の顔を見る。

場所を変えて話そうとあの部屋を後にした玲についてきた時は、勝手についてきたことを叱責されるものだと思っていたのだが。今の玲の顔には失望や怒りは滲んでいなかった。


「どうして二人はあそこにいたの?」

「それは……」


玲の問いに、栞は自分たちがあの場所にいた理由を話始める。

今の玲に嘘だけはついてはいけない。学校の職員室で玲の姉の事を聞いてしまった事。一年前に亡くなった彼の姉の名前が昨日玲が名乗っていた名前と同じ「陽菜」だと知ってしまった事。その事を知り玲の家に向かい、玲を追いかけてあの施設まで辿りついてしまったこと。

隠すことをせず、話しきった栞に玲はそっと目を細めた。


「ごめんなさい。お姉さんの事勝手に調べて、後をつけてきて……」

「楡井さんは、どうして私の事を気にしてくれるの?知らないふりをすることだってできたでしょう」


その言葉に、栞は先ほどあの部屋で見た玲の姿を思い出してしまった。大好きだと言っていた服を着て笑っている彼はまるで泣いているように見えた。

その姿が、「陽菜」と呼ばれる玲が「本当になりたい自分の姿」とは到底思えなかったのだ。

可愛い服を着て可愛く振舞いたい、そう言った彼の言葉は間違いなく本心なのだろう。だが、ドレスを着て「ヒナ」と名乗るその姿が本当に彼がなりたい姿とは、栞には思えなかったのだ。


「あのね、私。実は一度ロリータ服を捨てようと思ったの」

「……え」


突然の告白に驚いたのか、玲の目が大きく見開いた。

マリーと出会う前、栞はあのドレスを捨てようとしたのだ。自分に自信を失い、大好きなドレスを着ても笑うことも出来なくなってしまった。ならばなりたい自分を捨てて、母親や学校が望む「ただの良い子」になろうとしていたのだ。マリーと出会うまでは。


「マリーがいてくれたから、私はもう一度あの服を着て笑えたの」


マリーがいてくれたから変われたのだと隣に座る少女に笑いかければ、マリーもにこりと笑みを返してくる。


「……ごめんね。実はあの部屋でお姉さんの写真も偶然見ちゃったの。沢城君の今の姿、お姉さんとそっくり。そのゴシックの服も本当に良く似合っているけど、それが玲君が本当になりたい姿なの?」

「どうして、そう思うの?」

「さっきお母さんに陽菜って呼ばれた時、沢城君、泣いているように見えたから」


本当に「ヒナ」が玲のなりたい姿なのだとしたら、きっとあんな悲し気な顔は浮かべないはずだ。栞の言葉に、玲はそっと目を見開く。まさかそんな言葉をかけられると思っていなかったのだろう。


「二人には話してもいいかな……私と、姉さんのこと」


そういうと玲は覚悟を決めたように、そっと口を開いた。


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