第37話

覗き込んだ部屋の中は、病室というよりはまるでホテルの一室を思わせるような場所だった。窓から穏やかな日差しが差し込む部屋の中には、最低限の家具と大きな寝台が一つ置かれている。


そこに横になっているのは一人の女性だ。

長い髪を下ろしたその姿は栞の母親と同じ位の年齢なのだろう。だが、今にも消えてしまいそうな儚さを滲ませていた。

彼女が「沢城茜」、おそらく、玲の母親なのだろう。

栞は玲の家を訪れた時、彼が「両親は家にいない」と話していたことを今さながら思い出した。玲は詳しくは語らなかったが、おそらく長い間家に戻ってきていないのだろう。きっと此処で療養を続けているのだ。おそらく、沢城陽菜がなくなったあとからずっと。


寄り添うように寝台の隣に置かれた椅子には玲が座っている。先ほど見かけた冷たい表情ではなく優し気な笑みを浮かべてはいるが、その表情はどこかぎこちない。

茜は玲の髪に痩せた手を伸ばし、そっと口を開く。


「陽菜、陽菜。そこにいるのよね」


消えそうなほど小さな声で聞こえてきたその言葉に、栞はそっと息を飲む。

今あの人は、玲のことを「陽菜」と呼ばなかっただろうか。昨日玲はバーでこう言っていた。「この姿をしているときは、ヒナと名乗っている」と。ドレスを着ている時はその名前の方が似合うから、と。

だが、あの人が口にした「陽菜」という名前はきっと意味が違う。

目の前にいるのは玲なのに、彼女の目にきっと彼はうつっていない。茜の目には、目の前にいる玲は映っていないのだ。


「大丈夫、母さん。ちゃんと私は此処にいるでしょう」

「ええ、ええ。そうよね。でも毎晩夢に見るのよ、貴方がどこかに行ってしまう夢を見るの」


細い真っ白な手を握りしめ、玲は「大丈夫、私は此処にいるよ」と笑う。

栞の記憶にある笑顔とはまるで別人。人形が笑っているような、玲ではない誰かの仮面をつけているような不自然な微笑みだった。


(……沢城君、泣いてる?)


何故そんなことを思ったのかは分からない。だが、栞には笑みを浮かべているはずの玲が何故か泣いているように見えたのだ。

あの日鏡の前でロリータ服を着て泣いていた自分。大好きなドレスが似合う自分になれず、全てを捨ててしまおうと泣いていた自分。マリーと出会う前の姿と、今扉の向こうに居る玲が何故か重なってしまった。


(シオリ、危ないわ!)

(……、えっ、あっ)


どうやら無意識に前のめりになってしまっていたのだろう。

無理な体勢で部屋を覗き込みよろけてしまったのだ。バランスを崩した栞はマリーを巻き込み、無様に部屋の中へと転がり込んでしまう。

マリーと折り重なるように部屋の中へとなだれ込み、栞は何とか顔を上げる。

目に映ったのは心底驚いたようにこちらを見つめる二対の眼差しだった。

しん、と静まり返った静寂を割いて最初に口を開いたのは寝台の上にいる茜だった。栞の制服を見て、驚いたように目を細め顔をほころばせる。


「あら、桜ヶ咲高校の制服。もしかして陽菜のお友達かしら」

「あ、あの。私」


なんと答えたら良いのだろうか。続く言葉を失い狼狽える栞の代わりに、今度は玲が口を開いて笑いかけてきた。


「そう、母さんに紹介したいと思って。楡井栞さんとマリーさん。私のお友達なの」


どうやら助け舟をだしてくれたらしい。

口元は微笑んでははいるが、やはり先ほど同じ。昨日見せてくれた笑顔からは程遠いどこか不格好な微笑みだった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る