第33話

「……うう、なんでこんなに提出書類があるんだろ。いや、私が休んでたからなんだけど」


数か月の間に溜まりに溜まってしまった書類の束を握りしめ、栞はとぼとぼと職員室への道を歩く。既に放課後ということもあり、廊下を歩く生徒たちの数も少ない。

授業の課題は玲のくれたノートと、助け船を出してくれた数名のクラスメイトたちのおかげで何とか書き上げることが出来たが、流石に進路調査票はまだ何もかけていない、まっさらな空白の状態だ。

数か月前に高校に入学したばかりだというのに、さらにこの先、将来何をしたいのか考えるのは今の栞にはまだ荷が重すぎる。


(……私が将来やりたいことってなんだろう)


栞に話しかけてくれるようになったクラスメイト達はどうやらある程度進路をもう決めているらしい。弁護士に医者、教師。

桜ヶ咲高校の生徒たちが目指す将来としては決して珍しいものではない。きっと母親が栞に臨んでいるのはクラスメイト達が目指しているような分かりやすい仕事なのだろう。


(でも、朝霧さんや昨日のバーの人たちだって……)


きっと母親からしてみたら、そんな仕事はくだらないといわれてしまうに違いない。だが栞の目には彼らは確かに輝いて見えたのだ。


(誰かの、背中を押せるようなことをしてみたいけど)


マリーが自分の背中を教えてくれたように。

朝霧が投稿した写真にコメントをくれた誰かが自分を見て励まされたように。


(まだ、何をしたらよいかは分からないけど)


そんなことが出来たら嬉しいと思ってしまうのだ。

だが、長い間学校を休んでいた自分だけでなく、玲もまた同じ書類を出していないことが栞は意外だった。成績最下位の自分と違い、学校の中でも常に成績上位にいる彼なら、文系でも理系でも名立たる学校にどこでも入ることが出来るだろう。

そんな彼が進路希望を出さないのには何か理由があるのだろうか、そんなことを考えながら職員室の扉を叩こうとした矢先だった。

扉の向こう側から響く教師たちの声に、栞は扉の前でぴたりと足を止める。


「全く、今年の一年は面倒な生徒ばかりで困る」

「ああ、楡井と沢城ですか。まあ、楡井は学校に来るようになっただけまだよかったじゃないですか。桜ヶ咲高校の生徒が不登校なんて外聞が悪いですからね」

「……問題は沢城ですよ。校則は破る、教師には反抗する。成績が良い分厄介だ」

「まあ、私立でも国立でも名門大学の合格を一人増やせると思って耐えるしかないでしょうな」

「さあ、どうですかね。沢城は姉の件もありますから」

「ああ、沢城陽菜ですか。もう一年前のことですか」


聞き覚えのある名前に栞は息を飲む。今扉の向こう側から聞こえてきた声は「ひな」と言っていなかっただろうか。それは確かに昨日女装姿の玲が自ら「この姿の時はこの名前を名乗る」と言っていた名前だ。

盗み聞をしてはいけないと分かってはいるのだが、足が動かず立ち尽くしたまま扉の向こうでの会話は進んでいく。


「沢城陽菜も成績だけは優秀でしたからね。奇抜な格好で学校に着て、どれだけ風紀が乱れたか」

「しまいには大学は受験しないと揉めた挙句、事故にあって」

「事故と言ってますが、あれは……」


その会話が終わらない間に、気づけば震えていた栞の手からプリントの束が零れ落ちてしまう。バサリと音を立てて散らばったその音に扉の向こうの教師たちも誰かがいることに気が付いたのだろう。一斉に会話が止んでしまう。

栞は急いで廊下に散らばった紙を集めると、扉が開く前に急いで廊下を走り去った。



◇◇◇



廊下を全力で走り、栞は誰もいなくなった教室に駆け込んだ。

手に持っていたプリントの束を放り投げ、鞄の中に閉まってあった携帯へと手を伸ばす。


『桜ヶ咲高校、生徒、事故』


その文字に加えて三年前の西暦を入れれば簡単に過去のニュースがヒットしてきた。数は少ないが、それでも過去の記事が数件消えずに残っていた。

内容は至極単純。

受験を控えた高校三年生の女子生徒が夜にトラックと接触し、命を落としたというものだ。だがどうやら亡くなった生徒が名門高校の桜ヶ咲高校の生徒ということもあり、当時はそこそこ話題にあがっていたようだ。

というのも、ただの事故ではなくトラックの運転手の証言では「女子高生が道路に飛び出してきた」というものらしい。

そのせいで当時は「受験が苦になった女子生徒の自殺」という噂も飛び交い、学校にもマスコミが訪れる騒ぎになっていたようだ。


こういう時、ネットの海というのは非情なものだ。

個人情報が流出し、亡くなった生徒の顔写真がネットの海に流れてしまうということは珍しい事ではない。

案の定、匿名掲示版には亡くなったとされる生徒の顔写真が一枚残されていた。


「……これ」


そこに残っていた写真は間違いなく、栞が玲の家で目にした、写真立てに飾られたあの少女だった。

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