第32話

賑わう夜の繁華街を歩きながら、先頭に立つ玲がくるりと後ろを振り返る。



「楡井さん、マリーさん。今日は突然連れてきちゃってごめんね。驚いたでしょう」

「驚いたけど、すごく……楽しかった」

「ええ、私も仮面舞踏会のようで楽しかったわ!」

「仮面舞踏会か、確かにそうね。あそこはみんな本当の姿を隠してるのに、どこよりも自由でいられる場所だもの」


ヒナはそっと目を伏せ、そう呟いた。


「昨日、楡井さんが私に聞こうとしてくれたでしょう。大切なものはなにかって」


その言葉に栞はふと昨日の教室での出来事を思い出した。確かに栞は玲にそう問いかけた。教室の中で彼がその問いに答えを返すことはなく、ただ自分を見つめ返すだけだったが。


「だから、あの場所にいる私を見てもらおうと思ったの」


雑踏の音が響く中、僅かな沈黙が落ちる。その沈黙を破ったのは、栞の隣にいたマリーだった。


「その姿の貴方はとても素敵だわ」


青い大きな瞳で真っ直ぐにヒナを見つめながら不思議そうに首を傾げて問いかける。


「でも、あの場所でもあなただけは何処か寂しそうだった。その姿は、本当に貴方がなりたい姿なのかしら」

「マリー……!」


隠すつもりのない言葉に栞は慌てるが、確かにマリーの言う通りだ。

今日一日席から玲を見ていたが、楽し気な表情の中で時折酷く寂しげな顔を浮かべる時がある。

影を落とすその顔が、まるでマリーと出会う前の自分と何処か似ている気がしてそれがひどく気になったのだ。


「……っ」


マリーの言葉に、一瞬端正な玲の、いやヒナの顔が悲し気に歪む。形の良い唇が何か言葉を紡ごうと開きかけるが、すぐに諦めたように閉じられてしまった。

代わりに少し寂し気な表情で栞とマリーに向かって微笑んだ。


「もう遅いから、早く帰りな。また学校で」


そういうとヒナはくるりと背を向け雑踏の中へと姿を消してしまう。いつの間にか見えなくなってしまったその姿を、二人は追いかけることは出来なかった。



◇◇◇



翌日。

既にチャイムが鳴り、HRも始まったというのに栞の隣の席は空席のままだ。


(沢城君、まだ来ない)


マリーも昨日の別れ際の彼の様子が気になったのだろう。「私、失礼なことを言ってしまったに違いないわ」とすっかり気落ちしてしまっていた。学校で謝っておくと伝えてきたが、当の本人がいないのでは謝ることも不可能だ。

だが、確かに玲の様子が気になったのはマリーだけではない。


(……学校終わったら、マリーと沢城君の家に行ってみようかな)


流石にそれは迷惑だろうか、そんなことを考えていたからだろうか。

どこか遠くから自分の名前を呼ばれたような気がして、栞は顔を上げる。どうやら担任教師が何度も自分の名前を呼んでいたらしい。明らかに苛立ったような声に、栞は我に返った。


「――れい、楡井!聞いてるのか」

「は、はい!すみません」

「全く、たるんでるぞ。休んでいた間の提出書類を早めに提出するように。それと、進路希望調査を出してないのは……楡井と沢城か」


苛立ちを隠そうともせず、教師は忌々し気に空席を睨みつける。


「沢城は今日は休みだが、楡井も早めに出すように。いいか、まだ一年だがもう受験に向けて動き出さないと、三年なんてあっという間だからな」


落ちこぼれになりたくなければな、と付け加えると教師は用は済んだとばかりにさっさと教室を後にしてしまう。

ざわざわと再びざわめきが戻る教室の中で、栞はぽっかりと空いた隣の席をただ見つめることしかできなかった。

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