第31話

「わ、あ……御馳走」

「まあ、シオリ!すごいわ、こんな御馳走は晩餐会でも見たことがないわ」

「晩餐会なんてマリーちゃんって面白いこというわね。まさかどこかの外国から来たお姫様とか?」

「ふふ、どうかしら。秘密よ」


机の上に次々と乗せられていく料理の皿にマリーはきらきらとした視線を向けて感嘆の声を上げる。机に乗っているのは揚げたてのから揚げにポテトサラダ、一目で熱いと分かるグラタンに焼きそばそのほかetc。

主菜だらけの食事の脇にはたっぷりとアイスがのったカラフルなクリームソーダが仲良く並んでいる。

バーの雰囲気とは明らかに異質な、それでも歓迎だけは十分に伝わる料理の数々に栞は遠い目をしたまま笑いを浮かべてしまう。一口食べたが確かに美味しい、間違いなく美味しい。

ここ最近冷凍食品ばかり食べていた身としては、作り立ての料理の数々は嬉しいのだが、問題はいかんせん量が多いことだ。マリーは嬉しそうに並んだ料理にせっせと口に運んでいるが、女子二人では到底食べきれる量には思えなかった。


(せっかく作ってくれたんだから、残さないようにしないと…!)


この時ばかりは玲の家にあったロリータ服を着てここに来なくて良かったと思ってしまう。もしあのドレスを着ていたら、間違いなく食べ終わるころには腹回りが大変なことになっていたに違いない。

から揚げを頬張りながら顔を上げれば、ちょうど隣を通り過ぎていった玲と、いやヒナと目が合った。ぱちりとウィンクを投げた彼女は、手慣れた様子で酒や料理を運んでいく。ドレス姿の女性たちは皆テーブルで接客をしているが、未成年のヒナの仕事は酒や食事を運ぶのが主な仕事なのだろう。

だが、通り過ぎ様に「ヒナちゃん」と何人もの客に声を掛けられているところをみると、常連たちとはすっかり顔なじみになっているようだ。ヒナ自身も笑いながら時折手を振り返して返事をしている。

スカートを翻して忙しそうにしながらも、笑みを絶やすことのないその姿に栞は目を細めた。


(沢城君、楽しそう)


栞の知る玲の姿と言えば、隣の席でいつもつまらなそうな顔をしている姿だけだった。休み時間はイヤホンを耳にして決して誰とも話そうとせず、常に無表情で本を読んでいる。まるでこの世界の何もかもがつまらなくて堪らない、と全てをあきらめているようだったのに。

今目の前でくるくると動くヒナの姿はまるで別人だ。

ヒナだけではない。この店で働く誰もが、楽しそうに笑っている。恋人に振られたらしい女性客の悩み相談でも聞いていたのだろうか。先程自分の事を「世間のはぐれ者」と言っていたドレス姿の男性が、笑いながら女性の肩を叩いているのが見えた。

きっと自分がロリータ服が大切なように、彼らにとって自分らしくいられるための服があのドレスなのだろう。あの服を着た時だけは本当の自分でいられるのだ。

とはいえ、男性が女性の服を着るのはまだとても当たり前とは程遠い。その中でこの場所は彼らが自由に笑える大切な場所なのだ。


「ねえ、マリー。ここって素敵な場所だね」

その言葉にマリーはゆっくり頷いた。

「ここはまるで仮面舞踏会みたいね」

「仮面舞踏会?」

「そう、私の世界では仮面で顔を隠して踊る仮面舞踏会というものがあったのよ。顔を隠しているから、本当の身分も姿も分からない。私の事を誰も知らない場所で踊るのは本当に楽しかったわ」


身分を忘れて自由に笑って、自由に踊って、そして自由に恋に落ちることが出来る場所だったのだとマリーは笑う。


「きっと此処は外の世界の事を忘れて、誰もが本当の自分でいられる場所なのね。でも不思議だわ」

「不思議って?」

「あの子だけ、少し違う気がするの」



マリーの視線の先に居たのは、先ほどまでの笑顔を消し何処か寂しげに立つ玲の姿があった。だが、向けられる視線に気づいたのだろう。

再び柔らかな笑みを浮かべ、コツコツと足音を響かせてこちらに向かって歩いてくる。


「休憩貰ってきちゃった。二人ともちゃんと食べてる?」

「ええ、頂いているわ!どれも本当に美味しいわ、一体どんな素敵な料理人を雇っているのかしら」


あとでご挨拶したいわ、と話すマリーにヒナは思わず噴き出した。


「これは全部マスターの手作りなの」


そういった後に、「ママっていわないと怒られるんだけど、マスターって呼んじゃうのよね」と言いながら慌てて後ろを振り返る。栞は思わずその姿にくすりと笑みを零してしまう。


「楡井さん、全然食べてないじゃない。ちゃんと食べないと。ほら、マスターの作るポテトサラダは絶品だから。お客さんの中にはこれ目当てで来る人もいるんだよ」


マリーさんも、と手際よくヒナはふたりの更にポテトサラダを盛り付けていく。食べてみて、と勧められ口に運べば確かに普通のポテトサラダにはない酸っぱさがある。よく見ればポテトサラダの中に所々赤い何かが入っているのが見えた。


「これって梅干し?」

「そう、お酒に合うって評判良いんだよ。まだ未成年だからお酒は飲めないけど……ジャガイモと梅干って意外だよね」


ヒナの言葉に栞はふと首を捻る。確かに珍しい組み合わせではあるが、自分はどこかでこの味を食べたことがあったような気がする。


(……なんでだろう、懐かしい味な気がする)


一体どこで食べた味だっただろうかと記憶をたどろうとするが、マリーの声で栞はふと我に返る。


「まあ、このお料理ジャガイモでできているの。私、ジャガイモなんて殆ど食べたことがなかったけど」


マリーの言葉に、栞は当時のフランスではジャガイモは庶民の食べ物で貴族は殆ど口にしていなかったことを思い出した。いまでこそ誰もが好む食材ではあるが、彼女たちにとってはジャガイモは庶民だけが口にするような食べ物だったのだ。


「こうやって食べると美味しいのねぇ……」


だがどうやら心配は杞憂だったらしい。ぱくりと再び口に運ぶマリーを見ながら、玲は机の上に乗るから揚げへと箸を伸ばした。


「折角マスターが作ってくれたから、私も食べよ」


ご一緒させてもらうわね、と笑うとヒナは机の上の料理を美しい所作で口の中へ運んでいく。まるで人形のようなヒナが次々と料理を空にしていく姿を栞とマリーは呆けたまま見守ることしかできなかった。

先ほどまで机の上に所せましと並んだ料理を食べきれるかと心配していたが、どうやら完全に杞憂だったようだ。


「ごちそうさま、じゃあ私は仕事に戻るからゆっくりしてね」

二人は完全に忘れていたのだ。


目の前に座っていたのは美しい女性の姿をしているが、中身は年相応の胃袋を持った健全な男子高生だということを。


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