第30話

空はすっかり藍色に染まり、時刻も既に夜だというのに栞達の歩く街はまるで昼間のように賑やかだ。至る所に色とりどりのネオンが灯り、一歩歩けば声を掛けられてしまう。

顔を上げれば目に映るのは仕事の帰りのスーツ姿の男性に、同じスーツ姿ではあるが明らかに明るい髪色をした派手な姿の男性や、カラフルな服を着た派手な姿の女性たちばかりだ。正直明らかに未成年と分かる制服姿の栞と私服姿のマリーは街の景色から浮いてしまっている。


(……こ、ここって歓楽街ってとこだよね?制服で着ていい場所じゃないし、沢城君何処に向かってるの?)


派手な看板や電気が灯る街並みが珍しいのか、楽し気にあたりを見回すマリーとは正反対に一歩歩くたびに栞の背中からは冷や汗が流れ落ちていく。

そんな様子に気付いていないのか、前を歩く玲は涼しい顔で客引きの勧誘を断ってはまっすぐにどこかへ向かって足を進めるばかりだ。


「ね、ねえ。沢城く……」


一体どこに向かうつもりなのか。栞がそう問いかけようとした時、ようやく玲はピタリと足を止めた。


「ついたよ、ここ」


顔を上げた先には、どこかノスタルジーを感じさせる文字で書かれた「Livre」という看板が目に映る。何の店かは書いていないが、看板の様子から見るに酒を提供する店なのは明らかだった。


「まあ、綺麗なお店ねえ。なんのお店なのかしら?劇場?」


ほわほわとした世間知らずな微笑みを浮かべるマリーの横で、栞は石のように固まってしまう。そんな様子を横目で見ながら、玲はくすりと笑うとそのまま「ついてきて」と声を掛けた。

木製の扉へと手をかければ、どこか懐かしい鈴の音と共に栞の目に飛び込んできたのは色の洪水だった。


「やっと来たわね、待ってたのよ~!」

「やだ、本当に可愛い女の子。しかも二人も!みて制服よ、女子高生と外国の女の子!お人形さんみたい」

「友達を連れてくるって聞いた時は信じられなかったけど……やだ、私泣いちゃいそう」

「ちょっと、泣かないでよ、メイクが崩れるでしょ。不細工になるわよ」


まるで雪崩のように掛けられる言葉と目の前に広がる光景に、栞だけでなく流石のマリーも固まってしまう。

ようやく我に返り、今自分に声を掛けてきたのは目の前のドレスを身に纏った女性たちだということに気が付いた。色の洪水だと思ったのも彼女たちが来ているドレスだったのだ。


(あ、あれ……でも)


目の前にいるのは確かに皆華やかなドレスを着た女性たちだが、かけられた声色は男性のものではなかっただろうか。


一体自分の身に何が起きているのか分からないが、少なくとも歓迎をされていることだけは分かる。何か返事を返さなければ、と栞が口を開きかけた瞬間ひと際凛とした声が響き渡った。


「まったく騒がしいわよ。九官鳥じゃないんだから、そんなに騒がないで」


店の奥から現れた黒いドレス姿の女性に、栞は思わず目を瞬かせた。

茶色い髪は肩程度に揃えられ、細身のドレスが良く似合っている。目じりに皺はあるものの、年齢というものを全く感じさせない美しさだ。もし道で何も知らずに鉢合わせただけならば、栞は目の前の人の事を女性だと勘違いしていただろう。

だが、こうしてしっかりと声を聴けばわかる。

彼女も玲やこの場を取り囲んでいる人たちと同じように、女性の姿をしているが、間違いなく男性だ。

玲は栞とマリーの手を取り、その人の元へと駆け寄った。


「約束通り連れてきたよ。私の学校でできた初めての友達」


玲に背中を押され、栞は慌てて頭を下げた。


「あ、あの。はじめまして、楡井栞です。こっちは友達のマリーで……」


栞の紹介に、マリーもごきげんようと静かに腰を落とすが、いつまでたっても返事は帰ってこない。何かまずいことでも口にしてしまったかと顔をあげれば、栞の目に映ったのは驚いたように固まる姿が目に映る。

瞬きもせずじっとこちらを見つめてくるその姿に、栞は何処かであったことがあるだろうかと記憶をたどる。だがこんなに艶やかな姿をした人と出会った記憶はない。


「あ、あの」

「あ、ああ。ごめんなさい、ちょっと驚いてしまって。まさかあのヒナが本当に二人も友達を連れてくるとは思わなかったから」

「……ヒナ?」


聞き覚えのない名前に首を傾げる栞に、隣に立つ玲が自分の事を指さした。


「ここでの私の名前。この格好をしてるときは、玲よりもヒナのほうが似合うでしょ」


良い名前、と笑う玲に栞は頷いた。

玲、という名前でも違和感はないが、目の前のお日様のような金色の髪をした姿には「ヒナ」という名前が良く似合う気がした。


「ここではね、スカートを履いていても誰も笑ったり乏したりしない。私にとって大切な場所なの。だから、二人にはここに来てほしかったんだ」


無理矢理連れてきてごめんね、と言って笑う玲を、ドレス姿の女性、いや男性たちがまるで妹を可愛がるように撫でた。迷惑そうに玲は顔を顰めているが、きっとまんざらでもないのだろう。

まるで年上の体格の良い姉たちが年の離れた妹を可愛がっているような、なんとも言えない不思議な光景だ。


「そうよ、この店は世間のはぐれ者みたいな私達でもありのままでいられる場所なの」

「こんな素敵な場所ってないわよ、ねえマスター」

「ママって呼びなさいって何度いったら分かるのかしら、この馬鹿娘たちは。さあ、そろそろ開店の時間よ」


騒ぐのも良いけど、準備をして!という一声にフロアの中に甲高い返事が響き渡る。


「あの、お店が開くなら私達そろそろ帰りま……」

「駄目よ、ヒナがお友達を連れてくるっていうから御馳走を作ってまってたんだもの」


カウンターの奥から響く「本当は一番楽しみにしてたの、ママだものね」という声に、女性はうるさい、と言葉を返す。言葉はきついが、口元に浮かぶ優し気な笑みを見るとどうやら素直になれないだけで、喜んでいるのは間違いないようだ。


「未成年にお酒は出せないけど、ゆっくりしていって。折角だからヒナが働いてるところも見ていってあげて」


力強い腕で有無を言わさずマリーと共に壁際の席へと押し込まれた栞は、「またあとでね」と微笑む玲、もといヒナの背中を見送ることしかできなかった。


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