第29話
「着替え終わった?入って大丈夫かな」
「ええ!今ちょうど終わったところよ」
「良かった、じゃあ失礼するよ」
扉を開ける音と共に入ってきたその姿に、栞とマリーは思わず息を飲む。其処に居たのは黒いゴシック調のドレスを身に纏った沢城玲の姿だったからだ。
だが、まだ完全な女性の姿ではない。既に顔に化粧はしてあるが、まだ髪の毛は栞の知る男性の沢城玲のままだった。
「そのドレスにしたんだ、他にも沢山あるのに」
ドレス姿の二人を前に、玲もまた驚いたように呟いた。
「も、もしかして、着たらいけないやつだったかな?」
玲の表情に慌てたのは栞だ。確かに他のレナエルのドレスと違い、このドレスだけタグが付いていなかった。きっと市販のものではない、誰かが作ったものなのだ。
だが慌てる栞に玲は静かに首を振る。
「大丈夫だよ、良く似合ってる」
顔を上げた栞の目に映ったのは、穏やかに微笑む玲の姿だった。
玲が浮かべるその表情に栞は見覚えがある。初めてレナエルであのドレスを買った時、鏡に映った自分が浮かべていたのと同じ顔だ。きっと彼にとってこのドレスが特別で、とても大切なものなのだろう。
「さあ、俺の最後の仕上げはここでやるから。見ててくれる?」
それだけ言うと、玲は鏡台の椅子に腰を落とす。
少しずつ男性から女性の姿に変わっていくその姿に、マリーと栞は声を漏らすこともできなかった。長い金のウィッグをかぶり、赤い口紅を塗り、最後にチョーカーで首を隠す。慣れた手つきで流れるように化粧を施すその姿から目を離すことができない。
再び玲が立ち上がった時、そこには男性の姿はなく美しいゴシックドレスを身に纏う女性の姿が其処にあった。
「どう、これで信じてもらえたかしら?私が沢城玲だって」
一人称と言葉遣いまで変わったその姿は、まるで魔法で変身したとしか思えないほどだ。
「まあ……本当に、同じ人だったのね」
「……魔法みたい。凄く綺麗」
栞とマリーは互いに顔を見合わせて、感嘆の声を漏らす。一人の人間が、目の前で別の人間に変わっていく。そんな過程を一部始終見せられて、驚かないはずがなかった。
本当に目の前の女性は、あの沢城玲なのだ。
ありがとう、と微笑む玲にマリーは不思議そうに首をかしげて見せた。
「その黒いドレスもとても素敵だけど、貴方はこっちのドレスは着ないのかしら?」
たしかに、と栞は玲が纏う黒いドレスを見て頷いた。黒で統一されたその姿は、玲にとてもよく似合っている。だが彼、いや彼女は最初からこの部屋に置かれているロリータ服は着ないと決めているようにも見えた。
「良いの、ここのドレスは私には似合わないし」
そこまで言った後、玲は慌てて「サイズも違うから」と言い足して首を横に振った。
「この黒いドレスはレナエルのお洋服ではないのね」
「ああ、そうね。これは私が作ったやつだから。市販のものじゃないの」
「作ったって、沢城君が?」
「まあ、貴方……仕立て屋だったの?すごいわ!」
予想外の言葉に栞とマリーは互いに顔を見合わせ歓声を上げる。確かに栞が先ほど見た机の上にはミシンと作りかけの生地が置かれていたが、まさか玲が着ている服が自作ものだとは思わなかった。
「全部作ったわけじゃないけど、ブラウスは自分で作った奴かな。よく見ると作りが荒くて恥ずかしいけど」
「そんなことないわ、とても素晴らしいわ!」
「店で見て可愛いと思った服はどうしても小さかったりするから、自分で作るしかなくて。それに、私……服を着るのも作るのも、好きだから」
まるで自分に言い聞かせるように笑うその姿に、栞はそっと息を飲む。
どこか痛みを隠すように笑うその姿が、マリーと出会う前の自分に重なったような気がしたのだ。
(それに、やっぱり似てる)
あの写真に写っていた女性の姿と、今目の前にいる沢城玲の姿がとてもよく似ているのだ。
「さあ、それより。着替えも終わったし出かけましょうか」
ついてきて、と扉へ向かおうとする玲を栞は慌てて引き止めた。
「出かけるって、どこかへ行くの?」
「そう、そのドレスのままで大丈夫だから。ついてきて欲しい場所があるの」
その姿に栞はそっと自分が着るドレスへと視線を落とす。
誰かが作った大切なドレス。きっとこのドレスは玲にとって何よりも大切なものなのだ。自分にとって、あの真紅のドレスが宝物であるように。何も知らない自分が、軽々しく身に纏って外に出て良いものではきっとない。
「あの、このドレス……もし汚したりしたら大変だから、私着替えるね。貸してくれて本当にありがとう」
「そう、楡井さんって本当にドレスが好きなのね。こちらこそ、着てくれてありがとう」
栞の気持ちが伝わったのだろう。
少しばかり残念そうな表情を浮かべる玲に、栞はそっと微笑んだ。
「じゃあ、着替えたらすぐに出かけましょう。急がないと遅刻しちゃうから」
「遅刻って、どこに行くの?」
慌てて問いかける栞に、玲は悪戯じみた笑みを浮かべ片目をつぶって見せた。
「ついてからのお楽しみ」
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