第22話
「あ、あの……これ、お茶。良かったら」
「ありがと、気にしなくて良いのに」
ダイニングテーブルに並んで座るマリーと栞の前に座るのは、優雅な動作でティーカップを口に運ぶ長い金髪に、ゴシックなドレスに身を包んだ少女だ。
いや、見た目には目を奪われるような美しい少女なのだが、先ほど彼女の口から漏れたのは間違いなく男性の声だ。それだけでも驚きを隠せないのというのに、その声が聞き覚えのあるクラスメイトのものなのだから、栞が不躾に少女を上から下までじろじろと眺めてしまうのも仕方がないことだろう。
流石のマリーも目の前にいる少女が本当は男性であることが信じられないのか、大きな目で何度もぱちぱちと瞬きを繰り返している。
(……本当に、あの沢城君なんだよね)
沢城玲。あの学校に通っていてその名前を知らないはずがない。
学年一優秀で、おそらく学校一変わり者の彼はいつだって学校中の話題になっていからだ。
スカートの丈や靴下の色、前髪の長さまで何もかもが細かく校則で規定されているにも関わらず、彼は何時だってそんな規則自分には関係ないとでもいうように自由な格好で登校してきた。
彼によく似あう明るい色の髪に、制服の中に着込んだパーカー。校則破りを数えればきりがないが、黒一色の髪色の生徒たちの中で、一目でわかるほどに明るく染められた髪は良く目立った。
国内有数の進学校の生徒とは思えない格好のせいで、クラスの誰もが彼を問題児だと噂していたし、教師も眉をひそめていた。だが、当の本人はまるで教室の雑音など聞こえていないとでもいうかのように、イヤホンを付けたまま平然と座っている。そんな姿に、栞は密かに憧れを抱いていたのだ。
だが、どうしても隣の席に座っていた男子生徒の沢城玲と、今目の前で美しい所作で紅茶を飲む女性が同一人物だとは思えない。たとえ彼が持ってきたハンカチが、確かに昨日なくしたはずのものだったとしてもだ。
「本当のほんとに、沢城君?」
「疑いたくなるのも当たり前だよね。そうだな、学校で私と楡井さんの席は隣同士。私の出席番号は十五番、楡井さんは二十一番。ついさっき、ロリータ服で学校に……」
「分かった、信じるよ!」
少女の口から漏れる言葉を遮るように、栞は顔を赤くしたまま小さな叫び声をあげる。先程学校で起きたばかりのあの出来事を知っているのは栞と同じクラスメイトだけだ。
「恥ずかしがることないと思うけど。楡井さんすごく恰好良かったし」
「やっぱり、貴女もそう思うでしょう!」
テーブルに身を乗り出すようにして声を上げるマリーに、玲は少しばかり驚いたような顔をした後にこりと微笑んだ。
「もちろん。でも、楡井さんは昔から恰好良かった。前に先生から私の事かばってくれたことがあったでしょ?覚えてない?」
玲の言葉に、栞は記憶をさかのぼる。
そうだ、確かに以前そんなことがあった。あれはまだ、栞が高校に入学して日が浅い頃の出来事だった。
◇◇◇
進学校に入学したは良いものの、栞の学校生活は酷くつまらないものだった。成績も悪く今時の話題についていく事もできないせいで、友達もできずクラスから浮いてしまっている。
だからこそ、せめて教師の反感を買わず、クラスメイト達から目を付けられないよう、校則だけは破らないよう模範生徒のような恰好で影を潜めることしかできなかった。
たしかその日は定期的に行われる服装チェックの日だったはずだ。教師が生徒が校則を違反していないか、細かく確認して回るのだ。
いつものように服装チェックをパスし、小さな安堵のため息を漏らした栞の耳に明らかに苛立ちを帯びた担任教師の声が響く。
「沢城、お前その髪色はなんだ。地毛じゃないだろ。次に黒に戻してなかったら処分するって話したよな。校則も守れないような奴がいると風紀が乱れるんだよ」
「……俺がこの格好をしてることで風紀が乱れるならそれは俺が原因じゃなくて、周りの奴らの自制心がないからだと思います」
「余計な事ばかり言うな!どうせお前みたいなやつは校則を破ることが恰好良いとでも勘違いしているんだろう」
「別に、俺はただこの格好が好きだからこうしてるだけです」
「いい加減にしろ!」
怒気を帯びたその声に栞は思わず肩を竦めてしまう。
教師の標的が自分ではないと分かっていても、身体の震えを止めることが出来なかった。だが、ちらりと盗み見た隣の席の青年はあれほど教師が顔をゆがめて罵声を浴びせているというのに、まるで何事もないように顔色一つ変えていない。
一体何故、彼がかたくなな態度で校則を破るのかは分からない。もしかしたら本当は何か理由があるのかもしれない。彼の事情は分からないが、栞に言えることは一つだけだ。
黒一色で気が滅入るようなクラスの中で、彼の明るい髪色は間違いなく沢城玲という存在に間違いなく良く似合っているということだ。
相変わらず教師の言葉に耳を貸さず、前を向く沢城の姿に気づけば栞は口を開いていた。
「……沢城君は、誰にも迷惑をかけてないと思います」
消えてしまいそうな程小さな声。
臆病な自分がどうしてそんなことを言ったのか、今思い返しても驚いてしまう。
だが、あの時自分の好きなものを決して譲ることがなかった彼の姿を見て、気が付けば口が開いていた。
言い返した、というよりも思わず自分の心の声が漏れてしまったのだ。
先ほどまで声を荒げていた教師も、まさかその言葉が隣の座る栞の口から漏れたものだと思わなかったのだろう。
楡井栞といえば、クラスで一番大人しい地味な少女だったからだ。だが、その少女の小さな抵抗に気付いた教師は僅かに怯んだあとこう言い捨てた。
「楡井、お前がそんなこと言える立場か!少しでも成績をあげる努力をしてから言ってみろ!」
沢城と教師のやり取りは既に日常茶飯事だったが、クラスの中で落ちこぼれの栞が教師に反抗したのが余程面白かったのだろう。くすくすという小さな笑い声と共に向けられる視線に耐え切れず、栞は深く項垂れてしまう。
隣から何か言いたげな沢城の視線を感じたが、恥ずかしさと居た堪れなさでどうしても顔を上げることができなかったのだ。
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