第20話
「シオリ、貴方何をしているの!」
教室の中で起きた空気の変化に気付いたのだろう。マリーの声が教室に響きわたる。その声に先ほどまで沙也加を糾弾していた声も止み、再びクラス中の視線が栞へと集まった。
(……怖いけど、きっと大丈夫)
栞は震える手を握りしめ、静かに沙也加に向かって一歩を踏み出した。
「シオリ……!」
背後から聞こえるマリーの悲痛な声に、栞は振り返り答えた。
「ねえ、マリー。聞いてほしいの。私にとってロリータ服が大切なように、この教室の皆にもきっと大切な物がある。その大切な物を傷つけられたくなくて、ただ自分を守ろうとしているだけなの」
教室はしんと静まり返ったままだ。
「久城さんを教室から追い出しても何も変わらない。また自分の大切な物を誰かに傷つけられないよう、怯える日が続くだけ。それじゃあ何も変わらないの」
「でもシオリ、彼女は貴方を傷つけた。その事実は消えたりしない。ここにいる彼らだって同じよ、許せばまた同じことが起きるわ!」
「分かってる、私もまだ、全部は許せないし……どうしたら良いかわからないこともある。でも、今は傷つけあうよりも皆の事が知りたい。皆が何を大切にしているのか、知りたいの」
そう言うと、栞はマリーと、その周りに集うクラスメイト達にそっと微笑んだ。
「お互いを知らないと、何も始まらないでしょう。相手が大切にしているものを知れば、きっと傷つけあわなくて良くなるもの。もう誰かを一人を悪者にするのは終わりにしよう」
言い終えた栞は静かに息を吸う。
本当は向き合うのが怖い、怖くてたまらない。だが今彼女にこの言葉を伝えなければいけない。
「久城さん」
まさか栞が自分から声を掛けてくるとは思っていなかったのだろう。沙也加は顔をあげ、そのまま栞を睨みつける。だが栞はひるまなかった。
「ロリータ服は私にとって大切な宝物なの。この服があったからマリーに出会えて、笑いあえたの。もう私の大切なものを笑わないで、傷つけないで」
栞は目を逸らすことなく真っ直ぐに沙也加を見つめ続ける。
「……っ」
何かを言いたげに一度だけ口を開いた沙也加は、そのまま唇をかみしめ自分の椅子へと崩れ落ちた。
教室のなかに糾弾の声はなく、誰も何も口を開かない。マリーでさえも言葉を失ったままだ。
「マリー……」
くるりと振り返り、歩み寄ってくる栞の姿にマリーはようやく我に返った。
先ほどまで震えながらも毅然とした姿で立っていた栞の姿はなく、まるで叱られた子犬のように項垂れる少女の姿が目の前にあった。
「私、マリーに謝らないといけないことがあるの。ここに来る時、酷い事言っちゃったでしょ」
ごめんね、と続く言葉にマリーは呆気にとられてしまう。
一連の騒動ですっかり忘れてしまっていたというのに、栞はずっと自分にかけてしまった言葉を気に留めていたというのだ。
(私が、シオリを守ってあげるはずだったのに)
かつての自分と同じように、たった一人ですべてを失い泣いていた少女。
彼女を救ってあげられるのは自分だけだと思っていたのに。
栞の言葉にどれほどマリーが救われたか、きっと露程も気づいていないに違いない。自分自身を救うために誰かを傷つけることでしか生き残れなかった世界を、それは違うのだと教えてくれた。相手を知ることで、新しく見える世界もあると教えてくれたのだ。
本人はまだ気づいていないが、傷つきながらも前を向くその美しさが栞の強さでもあるのだろう。
マリーはそっと微笑むと、目の前の細い身体に抱き着いた。
「本当に、可愛いんだから!」
突然抱き着かれると思っていなかったのか、栞の口から小さな悲鳴が漏れた。
「シオリに免じて今日は皆さまの事を許すけれど、もうこの子を傷つけないでね」
マリーは呆けたままの生徒たちを横目に栞の手を引っ張った。誰も二人の少女を止めることもできないまま、大輪の花を咲かせたようなドレスが二つ白い廊下に広がった。
ふわふわと揺れるロリータ服と、裾が揺れるロココのドレス。時代の違う二つのドレスが躍る姿は、まるで時代を超えた舞踏会のようだった。
まるで嵐のように去っていった二人を見送り、静まり返っていた教室に再びざわめきが戻りだす。
「……なんか、好きなものをちゃんと好きって言えるの良いよな」
「この学校だとそういうのも中々言えないしね」
「あ、私実はギャル服あこがれてる」
「俺も本当はバンドとかやってみてー」
ざわめきの中、自分の席へと戻った玲は鞄の中に閉まってあった、小さくたたんだハンカチを握りしめた。
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