第19話

それが誰の声だったのかは分からない。

だが、その言葉に栞に向けられていた視線が一斉に沙也加の方へと向けられた。


「は……?なによ」


針のような冷たい視線の中で、沙也加は震える手で携帯を握りしめたまま立ち上がる。苛立たし気に顔をゆがませ、自分を取り囲むクラスメイト達を一人一人睨み返していく。


「何よ、あんたたちだって同じように笑ってたじゃない?今更良い子ぶって何様のつもりよ!」


吐き捨てるようなその言葉に、教室の空気がしんと静まり返った。次の瞬間、まるではち切れんばかりに膨らんだ風船が破裂したような怒声が響き渡る。


「何だよそれ、お前が変な事を言い始めなければこんなことにならなかっただろ!」

「そうよ、ちょっと成績が良いからってなんでも許されると思わないでよね」

「というか、久城がいるとクラスの空気が最悪なんだよ!俺たちがどれだけ我慢したと思ってるんだよ」


まるでクラスの中が沸騰でもしてしまったかのようだ。

口汚く沙也加を罵るクラスメイト達の姿を直視することが出来ず、栞は思わず顔を背けた。まるで栞を守るような口ぶりだが、彼らの本心は違う。

ただ標的が変わっただけ。自分の罪を今度は沙也加一人に擦り付けたいだけなのだ。


謝れ、謝れ、謝れ!


加速するその声に栞は思わず助けを求めるように隣に立つマリーへと視線を向ける。だがそこに居たのは無感情な冷たい眼差しで教室を見つめるマリーの姿だった。氷のように冷たい眼差しは教室を見ているようで、まるで違う世界を目に映しているようにも見えた。

天真爛漫な少女の姿とはあまりにかけ離れたその姿に、栞は息を飲む。そんな栞の視線に気が付いたのだろう。場違いな程穏やかな笑みを返すと、栞にだけ聞こえるように静かな声で囁いた。


「これでもう大丈夫よ。貴方を傷つける人はもうすぐいなくなるわ」


向けられた微笑みに栞は言葉を失ってしまう。


(……ああ、そうか)


何故忘れてしまっていたのだろう。今目の前にいるこの少女はマリー・アントワネットなのだ。波乱の人生を歩み、歴史上では断頭台に消えた悲劇の王妃。

人間の愚かさや醜さを誰よりも知っている彼女は、きっとこの教室の中に宮廷を見出していたのだろう。

権力にすり寄り、わが身が危なくなればすぐに手のひらを反す。その果てにマリーは断頭台に送られてしまったのだから。

処刑されないためには、常に処刑をする側に回らなければいけない。

マリーはそうすることで自分を守ろうとしてくれたのだ。


(でも、マリー。それは違う)


目に映る教室の景色はまるで一方的な処刑の場だ。確かにこのまま現状から顔を背ければ、きっと栞が明日から傷つけられることはなくなるのだろう。

確かに久城沙也加の事を許すことはできない。

だが、栞が望んでいたのはこんな結末ではない。


「……怖い、どうしてこんなことになっちゃったの」


耳に届いた涙交じりの声に、栞は後ろを振り返る。目に映ったのは教室の隅で震えるように縮こまるクラスメイトの姿だ。


(あの子は、確か……)


先程レナエル、という言葉に応えて声を掛けてくれた少女だ。見たこともない怪物のように急変してしまった教室を前に、ただ震えることしかできないのだろう。

何かを変えたい、そう思いながらもちっぽけな自分ではどうすることもできず震えることしかできない。その恐怖に栞は痛い程覚えがあった。


(でも、私にもどうすることもできない)


マリーを、この教室を止めたくても自分にできる事なんて何もない。そう思い逃げるように目を伏せた瞬間だった。


『シオリ、貴女は人を惹きつける力を持っているのよ』


ふと、マリーの声が頭の中に響き渡る。自分に自信が持てず何もできないと蹲っていた時にマリーがかけてくれた言葉。

その言葉がまるで暗闇の中の蝋燭のように心に灯ったのだ。


(私にも、できるのかな)


朝霧から見せられた写真に投稿されていた見知らぬ誰かからのメッセージ。こんな私のようになりたい、と言ってくれた誰かがこの世界にいる。


(私でも、何かを変えることが出来るのかな)


マリーがそれを教えてくれたのならば、今がきっと変わる時なのだ。


「……あ、あのさ。レナエルのこと、しって、たんだね」


振り絞った言葉は自分でもおかしくなってしまうくらい酷くかすれた小さいものだった。だが、涙ぐむ少女にその声は確かに届いたのだろう。

僅かに赤くなってしまった目を拭い、同じように小さな震えた声で栞に向かって力のない笑みを返してくれた。


「うん、私……可愛い服を見るのが好きで。自分では着ないんだけど、見てるだけで幸せだから。だからレナエルも知ってたの」


私のせいで、投稿が見つかっちゃったね……と少女は申し訳なさそうに頭を下げる。その姿に栞は慌てて首を横に振った。


「いいの、気にしないで。私もレナエルのドレス大好きだから、可愛いって言ってくれただけで、すごく嬉しい」


互いに顔を見合わせ、他愛もない会話でくすりと笑いあう。そんな姿を見ていたのだろう。ふと会話に加わってきたのはやはり会話を交わした覚えのないクラスメイトの少女だった。


「なに、好きな物の話?実は私もなかなか人にいえない趣味があって……」


どこか恥ずかしそうに取り出した彼女の携帯に映っていたのは、普段の清楚な制服姿からは考えられない、迷彩服を身に纏った姿だった。


「あはは、驚くよね。実は私の趣味ってサバゲーでさ、家族からもあんまり良い顔されないんだけど」

「う、ううん。びっくりしたけど、すごく、格好良い」


驚いてしまったのは本心だが、格好良いと思ったのもまた本当だ。

彼女もまた学校ではいつもつまらなそうな表情をしている、クラスの中でも目立たない生徒だったはずだが。写真の中で笑う彼女は本当に楽しそうに見える。


(私、何も知らなかった。ううん、知ろうとしなかったんだ)


自分にとってロリータ服が宝物であるように、このクラスの誰もが大切な物を持っている。けれどそれを傷つけられてしまうのが怖いから、誰もが殻に閉じこもり震えることしかできなかったのだ。


マリーに出会う前の私のように。

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