第18話


一度も休むことなく階段を駆け上がった栞は荒い息を吐きながらクラスの入り口である扉へと手を掛け、そして固まってしまう。

ただマリーを追いかけることに必死でここまで来たが、目に映る教室の景色が自分が想像していたものと全く違ったからだ。

教師が不在の教室の中央で向かいあうマリーと沙也加、そしてその隣に立つ沢城。異様なのはその光景だけではない。クラスの中に漂う空気も栞が一度も感じたことのないものだった。

酷く重く冷たい空気。まるで裁判でも行われたようなその冷たい空気の出所は、間違いなくクラスの中心に立つマリーだった。


「マリー……?」


思わず栞の口から震える声が漏れる。

教室の中で薄い微笑を浮かべて佇むマリーの姿は、栞の知る彼女の姿ではなかった。お転婆で無邪気で、誰をも引き付ける可憐な少女の姿ではない。圧倒的な傲慢さすら感じされる気高さを持つ、王妃としての姿だった。

思わず口端から漏れてしまった声に反応するように、クラス中の生徒たちの視線が一斉に扉の前に立つ栞へと注がれる。

鋭い、針のような視線。

その視線に、栞は自分がロリータ服を着ていることを思いだした。マリーの事を追いかけるのに夢中で、そのことをすっかり忘れてしまっていたのだ。

脳裏をよぎるのは、今朝身に受けた嘲笑だ。

きっとまた笑われてしまう。無意識に目を閉じ身構える栞はいつまでたっても耳に届かない笑い声におそるおそる瞼を開き、そして息を飲む。

クラスメイトたちの口から笑いが漏れることはなく、むしろ彼らの視線と表情は戸惑いと恐れを滲ませたものだったのだ。


(私がいない間に一体何が起きたの……?)


栞の知る教室と、今の教室はあまりにも別物だ。マリーの前に座る沙也加は、普段の彼女からは想像できないほど体を丸め、青ざめた顔でただ震えるばかりだ。

異様な空気が広がる中、クラスの中心にたたずんでいたマリーがゆっくりと顔を上げ、栞の姿に目を細めた。


「シオリ、やっぱり来てくれたのね。信じてたわ!」


先ほどまでの冷たい空気が嘘のように、マリーはまるで花が咲いたような笑みを浮かべて見せた。先ほど目にした冷たい微笑みを浮かべた少女と同じ人物には到底思えず、栞は困惑した表情で何度も瞬きを繰り返す。

だがやはり目の前にいるのはあのマリーで間違いがない。


「さあ、こちらへいらっしゃいな。今皆さんにシオリの素晴らしい所をお話していたのよ」


違和感は残るが、マリーの手招きに応え栞はおずおずと教室の中に足を踏みいれた。

クラスの中は変わらずしんと凪のように静まり返ったままだ。

笑い声一つなく、ただ教室の中央に立つドレス姿のマリーとロリータ服を着た栞に視線が注がれている。


「皆さんが知らないだけで、シオリは本当に素敵な女の子なの。こちらに来たばかりで、何も……何も知らない私にもとてもやさしくしてくれた」


伸ばされた手を取れば、マリーは優しく栞の手を握り返す。


「それにね。シオリはこのお洋服が本当に大好きなの。このお洋服を着ているシオリはとっても可愛く笑うのに、それをご存じないなんて。そんな残念なことはないわ!」


それこそ世界で一番かわいいのよ、と冗談抜きの真顔で言い放つマリーに今度は栞が慌てる番だった。


「いや、可愛いのはこのレナエルのドレスで……!」

「レナエル……?そのブランド、知ってる」


栞の口から漏れたレナエルという言葉に、クラスメイトの一人がピクリと反応した。入学してから栞はまだ一度も会話を交わしたことはないが、クラスの中でも比較的おとなしい物静かな少女だ。おそらく、無意識に言葉が漏れてしまったのだろう。


「何、有名なの?」

「有名なモデルの子が着てて……確か海外でもすごい人気のロリータ服ブランドだったはず」


確かSNSにも載っていた、と携帯で検索を掛けたその少女は思わず驚きの声を漏らす。公式アカウントの最新投稿写真に写っていたのは、間違いなく目の前に立つ栞と謎の少女の二人の後ろ姿だったからだ。


「え、これブランド公式のアカウントだよね?」

「なんで楡井さんが映ってるの?」

「ってかバズり方やば、まじで?」


同じ投稿を見つけたのだろう。教室の中にまるで波のように驚きの声が広がる中、おずおずと最初に投稿を見つけた少女が声を上げた。


「楡井さんって、モデルだったの?」


純粋な驚きと、僅かな羨望を滲ませたその視線に栞は慌てて首を横に振る。


「違うの。それはたまたま昨日事故でモデルが来れない現場に鉢合わせて……デザイナーの人がドレスを貸してくれて」

「すごい、だってそれってデザイナーに認められたってことでしょ?」


その言葉に栞は思わず顔を伏せた。

彼女が自分に向けてくる視線は、今まで自分に向けられていた嘲りを含んだものではない。戸惑いながらも、まっすぐに自分を見つめてくるその視線が、自分に向けられたものだというのが信じられなかったのだ。

何か答えなければ。意を決して顔を上げた栞の耳に届いたのは、聞き覚えのあるクラスメイト達の歓声だった。投稿を見つけた彼らが、いつの間にか栞の元へと集まっていたのだ。


「それってもうモデルと一緒じゃん、楡井すげーー!」

「だから、私は最初からロリータ服可愛いっていってたじゃん」

「いいなあ、有名人。ねえ、今度撮影があったらモデルの人からサインとかって貰えるの?」


先程声を掛けてくれた少女とは違う。彼らが浮かべているのは作り物のの笑顔だ。沙也加と共に栞の事を嘲笑した女子たちすらも、まるでそんな過去なかったとでもいうようにわざとらしい笑みを浮かべながら栞へと話しかけてくる。


(……何、急になんで)


クラスメイトたちの突然の変わりように、栞はただ立ち尽くすことしかできなかった。突然何が起きたのか、理解することが出来なかったのだ。

だが隣に立つマリーはまるでこうなることが分かっていた、とでもいうかのように穏やかな微笑を浮かべたままだ。


「そうよ、皆さんが気が付いていなかっただけ。シオリはとってもすごい女の子なの。私はただ、皆さんが知らないシオリの意外な一面を知ってほしかったのよ」


マリーの言葉に許しを得たとでもいうように、クラスのざわめきは勢いを増していく。


「ほ、本当は私楡井さんの事ずっと素敵だなって思ってたの。タイミングが無くて話しかけられなかったけど」

「そう、そうなんだよね。だからちょっと行きすぎちゃったっていうか」

「というか、私たちが楡井さんに話しかけられなかったのってもとはと言えばさ――久城さんが変な事を言い始めたせいだよね?」

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