第15話


「いいの?行かなくて。舞踏会は誰かと踊るためのものだ。一人では踊れない」

「私は頼んでない。勝手にこんな場所に連れてきて……舞踏会だなんて、ひどい冗談。マリーは何がしたいのかわからない」


そういうと、栞は項垂れたまま口を閉ざしてしまう。氷のように重い沈黙を割き、朝霧はゆっくりと口を開いた。


「今日あの子に…マリーにしてあげた髪は、王妃マリー・アントワネットが好んだ髪型がモデルなんだ。まさかこの時代にあのドレスに、あの髪型を頼まれるとは思わなかったな」


朝霧の言葉に、栞は答えることはない。

再び車の中に落ちた沈黙を終わらせたのは、今にも消えてしまいそうなほどか細い栞の声だった。


「朝霧さん、ごめんなさい」


小さく震える声と、うつ向いたままの細い体。

表情こそ見えないが、それだけで栞が泣いているのは明らかだった。今にも消えてしまいそうなはずの声にも関わらず、その声は朝霧の耳にはっきりと届いた。


「昨日、朝霧さん言ってましたよね。ロリータ服は着る人に喜んでほしくて作ってる……って。それなのに、私はこのドレスを着て泣いてばかりいる」


喜んでもらうために作られたはずのドレスを着て涙ばかり零しているなんて、ドレスにも心を込めて作ったはずの人にも申し訳ない。そう思うと顔を上げることすらできず、栞はただ目を伏せることしかできなかった。


「私、気づいてました。昨日マリーが着たあのドレス、王女の凱旋が私がふさわしくなかった理由」


朝霧は出会ったばかりの栞を一目見て、栞にこの服を表現するのは無理だと首を振った。あれは決して意地の悪い言葉ではなかった。

朝霧が着る人が喜ぶためにロリータ服を作るというのなら、モデルの仕事は見る者にあこがれを抱かせることだ。

『自分もあのドレスを着て、あんな風に素敵になってみたい』

そう思わせること。


「ロリータ服が好きだって、これが私の好きなものなんだって。そんなことも言えずにいつも私は逃げてばかり」


教室中に響く同級生たちの笑い声。沙也加のあざけるような声が今でも耳に残っている。


「……やっぱり、私はマリーみたいにはなれなかった」


自分の好きなものからも目を背けてばかりの自分が、マリーのようになれるはずがなかったのだ。


「君が謝る必要はないよ。むしろ、謝らないといけないのは俺の方だ」


目から零れ落ちる涙を拭おうとした栞の耳に、朝霧の声が響く。

一体何故朝霧が自分に誤る必要があるのかと、訝し気に顔を上げた栞の前に携帯の液晶画面が映る。前の座席から、朝霧が栞の目の前に携帯を掲げて見せたのだ。


「……これ、昨日の」


其処に映っていたのは、夕暮れ時に肩を寄せて座るマリーと栞の姿だった。

鮮やかな夕日の中で、まるで夢の世界を閉じ込めたようなドレスを身にまとう二人は一枚の絵本の挿絵のようだ。

朝方投稿した時に沙也加から見せられた、悪意を孕んだ写真とは違う。暖かくて優しい、見ていると引き込まれそうになる写真。


「……これ」

「気が付いたかい、昨日から拡散が止まらないんだ」


嬉しいけど、困ってもいるとでもいうように朝霧は少し肩をすくめて見せた。

増え続ける写真の下の数字。友人がほとんどいないということもあり、SNSをあまり活用したことがない栞だが、その数字が拡散されている数だということ程度は知っていた一万以上のRTに数万のお気に入りを現す数字。

途方もない数字だということは分かるが、あまりの数の多さに正直実感がわかない。だが、一つだけわかるのは自分がロリータ服を着た写真がこの世界の数えきれないほどの人間の目に留まっているということだ。


「消してください、私の写真なんて」

「どうして?ほら、ちゃんと見てごらん」


なんて酷いことを言うのだろう。

本当のことをいうと、今すぐ画面から目を逸らしてしまいたいというのに。

朝霧の手から受け取った携帯を栞は震える指でそっとスクロールする。写真の下についているのは数えきれないほどのコメントだ。


「この金髪の女の子、とても素敵!本当のお姫様みたい」

「可愛いだけじゃない。気高くて格好良い!」


見知らぬ誰かからのコメントに、その通りだと栞は頷いた。写真越しでもわかるマリーの気高さにあこがれる気持ちはよくわかる。

そんなマリーの隣にいる自分なんて、そう思った瞬間だった。


「この白いロリータ服を着てる女の子、すごく素敵!」

「黒髪にアンニュイな表情がすごい似合ってる」

「モデルさんだよね、調べて出てこない。誰か名前知らない?」

「いいなあ、私もこんな風にロリータ服を着てみたい」


気が付けば、携帯を持つ栞の手は震えていた。写真につけられた名前も知らない誰かからの憬れや好意が、自分に向けられたものだとは信じられなかったのだ。


「こんな、だって……私」

「俺は昨日君と出会った時に、『王女の凱旋』を表現するのは無理だといってしまった。だが、君はその後『王妃の休息』を完全に着こなしてみせた」


だからこそ、俺は君に謝らなければいけない。

そういうと、朝霧は「すまない」という言葉とともにゆっくりと栞に向かって頭を下げた。


「王女の凱旋は名前の通り、見る者すべてを圧倒するような気高さが必要だった。だが、君が着た王妃の休息は違う。見る者を安心させるような穏やかさが必要だったんだ。無視意識だったかもしれないが、君はそれを完璧に表現して見せた」

「でも、それは朝霧さんがあのドレスを貸してくれたから」

「俺たちは君が持っているものを引き出したに過ぎないよ」


昨日撮影現場にいたスタッフたちのことを朝霧はよく知っている。

メイクもスタイリストも誰もが皆一流の腕を持つ人間たちばかりだ。何か秘めたものを持つ彼女だからこそ、その魅力を引き出すことができたのだろう。


「マリーが持っているのは見る者に恐れすら感じさせるような圧倒的な美しさだ。だけど君が持つ美しさはきっと違う。周りの人間を包み込むような、勇気づけるようなそんな美しさなのかもしれない」


ロリータ服を着た栞に、あの穏やかな微笑みを引き出したマリーだけは最初から彼女の持つ美しさに気が付いていたのだろう。


「マリーは君が持つその強さと美しさに気が付いていたんだろうね。ずいぶん君の事をよくわかっている」


長い付き合いなのかい、と尋ねられ栞は思わず首を振った。長い付き合いどころではない。マリーと自分が出会ったのはまだたった二日前なのだ。

口ごもりながら「出会ったばかりだ」と伝えれば、朝霧は驚いたように目を瞬かせた。


「それなら、君とマリーが出会ったのは本当に運命だったんだろうね。あの子は君自身も知らなった美しさを引き出してくれたんだ」


その言葉に栞はもう一度画面の中の写真に視線を落とした。

画面の中で微笑んでいるロリータ服を着た自分。

画面に反射して映る暗い表情をした今の自分と同一人物は思えないほど、穏やかな微笑みを浮かべている。栞自信が「こうありたい」と思い描いた、理想に近い姿がそこにはあった。


「君は自分がロリータ服に相応しくないというけど、自分では気づかなかった一面も持っている。だから、そんなに簡単に自分のことを決めてしまわなくてもよいんだよ」


気が付けば、栞の両の目からは大粒の涙がこぼれ始めていた。せっかく綺麗にメイクを施してもらったのに、こんなに泣いては涙で崩れてしまう。そう思っても、まるで雨のようにこぼれる涙を止めることはできなかった。

自分でも気づかない「何か」を栞が持っている思ってくれたことも、画面の向こう側の誰かがロリータを着た栞に憧れを抱いてくれたことも、きっと栞一人ではそう思ってもらうことすらできなかっただろう。

彼らがそう思ってくれたのは、栞の隣にあの子が、マリーがいたからだ。マリーといると不思議と心の底から笑うことができた。

臆病で、何からも逃げてばかりだった自分が前を向けるような気がした。


「マリーが、いたから」


思わず口から洩れたその言葉に、栞ははっと顔をあげ隣の座席へと目を向けた。目に映るのはぽっかりと空いた座席だけだ。

先ほどまで窮屈そうに納まっていたドレスを身にまとった少女の姿はそこにはない。


「わたし、マリーに酷い事を言っちゃった」


マリーは、いや王妃マリー・アントワネットである彼女はこの世界の住人ではない。今まで生きてきた世界とは全く違う世界に放り出されてしまった彼女は間違いなくこの世界で一人ぼっちなのだ。

その孤独は栞には決して想像することができないものだ。

それなのに、彼女は笑顔を崩すことなくずっと栞のそばにいてくれた。自分だけは栞の味方なのだと、背中を押し続けてくれた。

それなのに、殻に閉じこもろうとした自分の手を引いてくれた彼女を自分はあろうことか「ひとりにして」と突き放してしまったのだ。マリーはただ、最後に囁いた言葉通り「友達」である私を守ろうとしてくれただけなのに。


「朝霧さん、私行きます」 


メイクが崩れてしまうかもしれない、その思いを振り切り栞はこぼれる涙を乱暴に拭うと車のドアから飛び出した。

まるで赤いバラの花が揺れるように、無機質な学校に向かってロリータ服姿の少女がかけていく。なんともアンバランスな光景を見送りながら、朝霧は一人きりになった車の中で静かに呟いた。


「御者はおとなしくお姫様の帰りを待つとしますか」


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