第14話



(しかし、驚いたな)


ミラー越しに見える後部座席に座る少女達の姿に、朝霧は本日何度目かになる感嘆の息を飲んだ。信号で車をとめる度、横に並んだ車の運転手たちが驚いたように首をのぞかせる姿を見るのもすでに両手の指の数をとうに超えていた。


(いつから俺の車の中はロココ時代になったんだ)


朝霧がそう思うのも無理はない。

後部座席に座っている二人の少女、一人はロリータ服の中でも定番の装いをしているが、もう一人は歴史の教科書にでも登場するような本格的なロココ風のドレスを身にまとっているのだ。


(……この子、いったい何者だ。あのドレス、舞台衣装なんかじゃないぞ)


マリーが持ち込んだドレスを、朝霧は最初なにかの舞台衣装かなにかだと思っていた。だが服飾に携わる者として、一度手を触れればそれが舞台衣装などではないのは明らかだった。

機械編みとは程遠い、気が遠くなるほど繊細な手編みのレース。細部に施された刺繍もすべて手縫いのものだ。生地は新しいものだが、今風に作られた舞台衣装などとは程遠い。美術館に飾られていてもおかしくない品だった。


「私の知ってる髪型とは少し違うけど、こちらの髪結いの方も腕が良いわね!」


鏡越しに目があったことに気付いたのか、マリーの楽し気な声が車の中に響く。

花飾りのついたヘッドドレスが揺れる巻き髪は間違いなくスタジオで奮闘したスタッフたちの傑作に違いない。

おそらくスタッフ達はマリーのドレスに合わせて、かのマリー・アントワネットが好んだ髪型をイメージしてセットを施したのだろう。

中に詰め物を施し、高く結い上げる髪型はかの王妃マリー・アントワネットが好んだものだ。今の彼女に施されているのは今風に前髪を出したものにアレンジされ、盛られた髪にはレースやリボンが華やかに飾られている。

「船の模型をも乗せた」と言われる当時の髪型より華美さは抑えられてはいるものの、一度みたら目を引かずにはいられない華やかさだ。

華やか過ぎる髪型にも関わらず、それは不思議なほどマリーに似合っていた。まるで彼女のために考えられた髪型だとでもいうかのように。


「……ねえ、私たち何処に向かってるの?」


楽し気にはずむマリーの声とは正反対の、暗い影を帯びた声。深紅のロリータ服に身を包んだ栞は、車に乗ってからというものずっと下を向いたままだ。きっと窓から見える景色も隣に座るマリーの姿も、今の彼女には殆ど目に映っていないのだろう。


「……もうつくよ」


その姿をミラー越しに見ながら、朝霧は静かに呟いた。

ブレーキを踏む音と共に、ようやく栞はゆっくりと顔をあげ窓の外に映る景色に小さな悲鳴を上げた。


「いや、やだっ……なんで、どうして?どうしてここに連れてきたの!」


栞の目に映ったのは、つい数時間前に自分が逃げ出してきたはずの場所だ。教室中から響く嘲笑がいまも脳裏に響き渡る感覚に、栞は思わず車の中で蹲る。


「やだ、やだ……お願い、早く車を出して」


まだ授業が終わる時間ではないため、道を歩く学生の姿はないが、あと少しすれば今は人気のないこの場所も帰路につく学生たちであふれかえる。その中には、きっと沙也加達の姿もあるだろう。

もし、この姿をもう一度見られたら…そう思うだけで栞の体は震えだしてしまう。だがそんな栞の手を握ると、マリーはゆっくりと口を開いた。


「さあ、シオリ!私と一緒に行きましょう」

「……な、に言ってるの?」

「此処には貴方を傷つけた人がいるんでしょう?だから私……」

「だからって何、どうして私をここに連れてきたの?頼んでない、やめてよ……出て行って。一人にさせて」


差し出された手を払い除け、栞は叫ぶ。

その言葉に、マリーの顔がわずかに曇った。

俯きこちらを見ようともしない栞に、マリーは少しだけ寂しげに微笑むとそっと栞の頬へと手を伸ばした。


「ねえ、シオリ。昨日私は貴方に言ったわね。どんな場所でも私が私であることに変わりはないって」


俯いたままの栞から聞こえる返事はない。それでも栞の耳元で、彼女にだけ聞こえる小さな声で囁いた。


「確かに私が王妃であったことは変わらない。でもね、あの時と違うこともある。今の私は何も持っていない、それでもあなたは私みたいになりたいと、そう言ってくれた」


自分がかつて一国の王妃であったことを知っているものはこの世界にいない。今此処ではマリーは地位も権威もない。何も持っていないにも関わらず、栞はマリーの傍に居てくれたのだ。

罵詈雑言の海の中、すべてを失い断頭台の露に消えるはずだったマリーにとって、栞は身分や生まれなど関係なく初めてできた友人だった。


「貴方にとってそのドレスが大切なものなのと同じように、この世界で私にも守りたいものができたのよ」


そういうと、マリーは栞の顔にかかった前髪をそっとはらう。


「シオリ。貴方は自分では気づいていないだけ。シオリはね誰をも引き付ける、そんな力を持ってる女の子なのよ」


あの日、処刑台から突然見知らぬ場所へやってきたマリーは、目の前に現れた真紅のドレスをまとう少女から目を離すことができなかった。薄暗い部屋の中、涙を流しながら振り向いた少女の眼差しにマリーは運命を感じてしまったのだ。

だが、マリーの言葉に栞はただ憂鬱そうに首を横に振るだけだ。今の彼女には、自分の言葉は届いていないのだろう。


「———……ねえ、シオリ。私は何があっても貴方のお友達よ。それだけは、どうか忘れないでね」

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