第13話

「……はい、もしもし?」


携帯に表示された見覚えのない番号に朝霧は眉を顰め、数度のコールのあと観念したように通話ボタンを押した。この忙しい時に一体誰だというのだ。

こちらは昨日の写真を投稿した後、方々から「あの写真に写っている少女たちは誰か」という問い合わせに追われ続けているというのに。


(連絡が取れるなら、もう取ってるに決まってるだろう……)


このご時世に連絡先一つ持っていないというマリーに手渡せたものは名刺だけ。

もう一人の少女はまだ知り合って間もない男性に個人情報を教えるのを戸惑ったのだろう、連絡先の交換まで至れなかった。

結局こちらとしては彼女達から来るかもわからない連絡を待つことしかできないのだ。


「もしもし……もしもし?」


気分が晴れない中せっかく電話に応えたというのに、電話口からは何の音も響いてこない。悪戯か、とため息交じりに電話を切ろうとした瞬間、聞き覚えのある声が大音量で朝霧の鼓膜を震わせた。


「す、すごいわ!本当にここに居ない人の声がする!これってどんな魔法なのかしら」

「あー……もしかして、昨日の子かな?」


想定以上の声の大きさに痛む耳を抑え、朝霧はくしゃりと前髪を書き上げた。どこか現代の感覚からずれた不思議な少女の声。

どうやら連絡を取る、ということには成功したらしい。



◆◆◆


「馬車……ではないわね。馬が引いていないから。でも、迎えをありがとう。私のドレスは一人では運べなかったから、助かるわ」


連絡先へ迎えをやり、スタジオへと連れてこられた二人の少女を前に朝霧は笑みを浮かべたまま固まってしまう。基本的にはあまり動揺を表に出す性格ではないのだが、昨日からマリーと名乗る少女には驚かされてばかりだ。

背後には明らかに疲れ切った顔で何やら大層なドレスを抱えているスタッフたちの姿が見えた。二人を連れてくるだけかと思いきや、なにやら舞台衣装のようなものを運んできたらしい。


「昨日のお礼はいらないわ、代わりにお願いがあるの。これからシオリと舞踏会にいきたいのだけれど……ここには髪結いもいないから。昨日みたいに着替えの手伝いをしてほしいの」


昨日とおなじ、いやそれ以上に素敵にしてほしいと詰め寄ってくるマリーの気迫も朝霧は思わず一歩後ずさる。


(……舞踏会って、いったいどこに行く気なんだ)


ロリータを好む少女たちが集うお茶会というものは存在するが、きっと彼女が行こうとしているのはそういった場所ではないのだろう。

マリーは表面上微笑んではいるが、昨日とは明らかに空気が違う。まだ年端もいかない少女だというのに、気を抜けば畏怖の念を抱かずにはいられないような静かな怒りのようなものを感じるのだ。

それに加え、見覚えのある…いや、見覚えしかないブランドの紙袋を抱えて俯いているのは栞と呼ばれていた昨日の少女だ。

出会い頭に泣かせてしまった女の子。

昨日「王妃の休息」のドレスを身にまとっていた時は、穏やかな笑みをのぞかせていたというのに。昨日見せたあの表情はどこにもなく、今はまるで人形のように血の気の無い顔で時折嗚咽を漏らすだけだ。

昨日別れてからたった一日、その間に彼女の身に何があったというのだろうか。


「……あれ、君。栞ちゃん、だよね。桜ヶ咲高校の生徒さんだったんだ」


二人を前に、何と声をかけるべきだろうか。そう思い悩んだ朝霧だが、ふと栞の服装に目が留まった。紺色を基調にした落ち着いたデザインのブレザーの制服。

一見するとどこにでもある普通の制服だが、腕章に入れられた高校の名前はあまりにも有名なものだった。

桜ヶ咲高校、それは都内でも有名な進学校の一つだ。もちろん偏差値自体が高いことでも有名だが、もう一つ。あまりにも校則が厳しい事でも有名だった。

学業に専念することを理由に、制服の丈から靴下の色、鞄のデザインなど数えきれないほど無意味と思える規則で生徒たちを縛り付けている。当然バイトなど厳禁、休日に外出する際も余程のことがなければ制服を着るのが暗黙の了解になっているほどだと聞いている。


「……しまった、昨日の写真」


朝霧の脳裏をよぎったのは、昨日の投稿から世に広まり続けている一枚の写真だ。顔がほとんど見えないから、という独断で流してしまった写真だがいまだに拡散の勢いは止まらない。

寄せられるコメントの殆どが好意的なものばかりだが、ネットの世界というのはどこに悪意の目が潜んでいるか分からない。もし彼女が桜ヶ咲高校の生徒だと露見すれば、どんな目を向けられるかは明らかだった。


「……っ」


だが、朝霧が言葉を続けるより先に、どさりと栞の手に抱えられていた紙袋が床へと落ちる音が響く。紙袋から零れるように広がった服に朝霧は見覚えがあった。深紅のそのドレスは間違いなく、自分がデザインしたものだったからだ。


「……っ、うっ」

「シオリ、大丈夫?誰か、この子に暖かい紅茶かショコラをあげて頂戴」


袋を拾い上げた朝霧の目に映ったのは、今にも倒れてしまいそうなほど青ざめて震える栞の姿だった。暖かな部屋の中だというのに、白い歯はカチカチと小さく震え続けている。

その姿を見れば、昨日の写真のせいで彼女の身に何かが起きたのは明らかだった。


「隣の部屋に僕の紅茶があるから、それを入れてあげて。少し向こうで休むといい」


心配そうに声をかけるスタッフに連れられて行く栞を見送り、マリーと二人きりになった空間で朝霧は少し困ったようにぽつりとつぶやいた。


「あの子には悪いことをしたな……昨日の写真があそこまで広まると思っていなかったから。まさか桜ヶ咲高校の生徒だとは思わなかった」

「あら、昨日の写真ってなんのことかしら?」


きょとん、と首をかしげて見せたマリーに、朝霧は自身の携帯に映る一枚の写真を見せる。


「あら、貴方が撮ったの?とても素敵だわ。でもこの下の数字は何かしら。先からずっと増え続けているけど」


マリーは瞬きをするごとに数を増やし続ける数字へと指を伸ばした。今時この年頃でSNSの存在を知らないというのも珍しいが、マリーと名乗る少女は朝霧から見ても不思議な子だ。携帯の番号を聞いた時も、そもそも「携帯電話」というものすら知らない様子だった。


「この数字はこの写真をみて反応してくれた人の数だ。昨日後姿を取らせてもらって投稿したら思った以上の反響でね」


朝霧の言葉にマリーはまあ、と感嘆の声を上げた。マリーの目に映る数字の数はとうに一万を超えている。


「ドレスも、君たちに対しても今届いている反応は良いものばかりだけれど。これだけ多くの人の目に触れているということは、良い事ばかりじゃない」


画面越しではあまり実感できない数字だが、かつて王妃だったころに向けられる民衆の眼差しを思い出しマリーは思わずぶるりと体を震わせた。王太子妃として嫁いできたころは誰もが自分に羨望の眼差しを向け、愛らしい、美しいとほめたたえた。

だが最後に向けられ続けた幾千の冷たい眼差しが、一体どれだけ自分を苦しめたことだろう。


「桜ヶ咲高校か…あの学校の生徒だったとしたら、もしかしたらつらい思いをさせてしまったかもしれないな」

「ねえ、貴方。さっきシオリが通っている学校……?のことをご存じだったわね。なら場所も知っていらっしゃる?」

「まあ、良くも悪くも有名な学校だからね……君、何か企んでるね」

「まあ、悪戯なんて企んでいないわ。本当にシオリと舞踏会に行きたいだけよ」


わざとらしく浮かべたマリーの微笑みが、栞という少女のために何かしようとしているのだと告げていた。昨日美しい片鱗を見せてくれたあの少女が、自分の投稿したあの写真のせいで再び殻に閉じこもりかけているというのなら、その原因は自分にもある。


「……わかったよ、お姫様。舞踏会に行くための魔法をかけてあげよう」

「まあ、ありがとう!でも私はここではただのマリーなの…だから、マリーと呼んで頂戴」

「……わかったよ、マリー」

「もう一つ、お願いがあるのだけど」


ここまで来たらなんでもどうぞ、と朝霧は笑う。


「シオリにはこのドレスを着せてあげて。きっとシオリにとって特別な宝物なの」


マリーは朝霧の持つ深紅のドレスへ優しい眼差しを向けて微笑んだ。


「ああ、そうだ。シオリには行先は秘密にして頂戴!」

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