第8話

休日の街中を二人の少女が歩いていく。

風がスカートのフリルを揺らす度に、すれ違う人々が通り過ぎた少女たちの姿に小さく感嘆の息を漏らした。


(……手が熱い)


気温が高いわけではないのに、マリーと繋いだ手が熱くて堪らない。走っているわけではないのに、心臓がどくどくと鼓動を刻む音が耳に届くようだ。

あの時も、クラスメイトたちから冷たい視線と嘲笑を浴びせられた時もとても心臓が痛かったけれど、あの時とは全く違う。


(不思議、全然こわくない)


自分の一歩前でマリーが手を引いてくれるだけで、不思議と世界が色づいて見えるのだ。スカートの下に履いたパニエは重いはずなのに、一歩歩くたびに羽のように揺れて心地よい。


(そうだ、初めてロリータ服を着た時もこんな気持ちだった)


栞が初めて買ったロリータ服は今着ている服よりもずっとシンプルなデザインだったけれど。

それでもパニエでふんわりと膨らんだスカートが、胸元で揺れるリボンが一歩歩くたびに揺れるのが楽しくて、本当にお姫様になったようで思わず顔を綻ばせてしまったのをよく覚えている。

あの時は狭い部屋の中でスカートを膨らませるためにくるくる回って、鏡を倒してしまったのだ。まさかあの鏡から心の中で憧れ続けていたマリー・アントワネットが現れるなど、一体誰が想像しただろうか。


(まだ、ちょっと信じられないけど)


もしあの頃の自分が「今目の前にマリーアントワネットがいる」といったらどんな顔をするだろう。信じられないと笑うだろうか、それとも意外と信じて驚いて見せるだろうか。そんなことを考えていた矢先だった。


「シオリ、シオリどうしたの?」

「ちょっと、マリー……ふふっ」


目の前で振り返ったマリーの姿に、シオリは思わず吹き出してしまった。其処には先程かったばかりの三段のアイスと奮闘するマリーの姿があったからだ。

溶けてしまうから危ないという栞が止めるのを振り切って、鮮やかな色のアイスばかり三つも選んだマリーは案の定みるみる溶けてくるアイスを前にすっかり困り顔になってしまっていた。

マリーが暮らしていた時代にもアイスクリーム自体は存在したはずだが、まるで絵具を溶かしたような色のアイスはきっと初めて見たのだろう。

ショーケースの前で歓声を上げるマリーを、栞が止められるはずがなかった。


「溶ける前に食べちゃわないと」


ドレスが汚れちゃうよ、と笑えばマリーは慌ててぱくりと大きく口を開けると最後に残ったアイスへと齧り付いた。その姿は何度も本の中で読んだ、高貴な王妃のイメージとどうしても一致せず、栞はもう一度噴き出してしまう。


「……良かった、シオリが笑ってくれて」


マリーの言葉に、栞は初めて自分が笑っている事に気が付いた。ずっと一人ぼっちで部屋の中にばかりいたため、声を上げて笑ったのは随分と久しぶりな気がする。


「シオリは笑っていた方が絶対に可愛いわ。貴女はこの世界の私の初めてのお友達だもの。シオリを傷つける人がいたら絶対私が守ってあげる」

「守ってあげるって、そのアイスも私が買ってあげたんだけどなあ」


姫を守る騎士が一文無しとは、と揶揄って見せればマリーは顔を赤く染めると、拗ねたようにわざとらしく頬を膨らませ立ち上がった。

だが直ぐにふと真顔に戻ると栞へと向き直る。


「ねえ、シオリ。今楽しいかしら?」


先ほどまでの無邪気な表情は影を潜め、真剣なマリーの表情に栞はゆっくりと頷いた。

マリーの手を取ったからといって自分の中の何かが大きく変わったわけではない。きっと彼女がいなければ、このドレスを着て街中を歩くことなどきっとできなかっただろう。

だが、彼女のおかげで少しだけ足を踏み出すことができたのは確かだった。少しだけ、本当に少しかもしれないが栞の中何かが変わったのかもしれない。


「楽しい、よ。うん、すごく楽しい」


楽しい、という言葉をかみしめるように栞は呟いた。楽しいと感じる事があまりにも久しぶり過ぎて、先ほどから心がふわふわと踊るようなこの感情になんと名前を付けて良いか分からなかったのだ。


「マリーのおかげで、今凄く楽しい」


そう笑って見せれば、マリーは一度だけ大きく目を見開くと安心したように穏やかな顔で息を漏らした。


「良かった」


何も持っていな今の私でも、誰かを喜ばせる事が出来て。

そう小声でつぶやいたマリーの声は栞に届くことは無かった。


「マリー、ごめんね。何か言った?」

「いいえ、何でもないの!さあ、次は何処に行きましょうか」


くるりと踵を返して歩き出してしまうマリーを、栞は慌てて追いかけた。世間知らずなお転婆な彼女は少し目を離したら何をするか分からない。


「マリー、ちょっと待っ……」


待って、と言おうとした瞬間、栞の身体がぐらりと傾いた。慌ててマリーを追いかけようとしたせいで、丁度目の前に人が歩いてきたことに気が付かなかったのだ。


「ご、ごめんなさい」


慌てて頭を下げれば、ふと視線の先に自分の着ているドレスと同じようにふわりと膨らんだスカートが視界に映る。


(……うわ、ぁ)


おそるおそる視線をあげれば、目の前にいたのは黒一色のドレスに身を包んだまるで人形のような少女だった。栞やマリーより元々背が高い上に、ヒールの高いブーツを履いているため自然と見上げるような形になってしまう。

金髪のその少女は、まじまじと栞を見ると何か言いたげに口を開いた。


「シオリ、早くしないと置いて行っちゃうわよ!」

「マリー、待ってったら。ごめんなさい、ぶつかっちゃって」


小さく頭を下げると、栞は道の向こう側で手を振るマリーの元へと駆けだした。その瞬間、先ほどしまったばかりのハンカチがふわりと音を立てずに鞄から舞い落ちてしまう。だが、栞は鞄から落ちてしまったその存在に気付くことは無かった。


「……シオリ、楡井栞?」


黒いドレスの少女は落ちてしまったハンカチを拾いあげ、遠ざかっていく背中にそっと目を細めた。



◆◆◆



「……ふぅん」


朝霧は携帯に映し出された二人の少女の姿に、楽しげに眉を上げる。

デザイナーという仕事をしていると、思わぬところで驚かされることがあるが、まさか今日一日で二回も心躍るような驚きに出会えるとは思っていなかった。

思い返せば、先程の撮影でマリーと名乗る少女がドレスを身に纏った時も随分と驚かされたものだ。彼女と同じ年ごろのモデルを目にするのは日常茶飯事だが、カメラを向けられた瞬間のあの威厳は普通の少女に出せるものではない。

あの空気は生まれながらにして「衆人に見られる存在」であることを自負していなければ出せないものだ。


「……それにあの子も、良いじゃないか」


液晶画面に映っているのは、先ほどマリーに手を引かれ歩く栞の写真だ。出会った時の不安げに揺れる眼差しは其処にはなく、初めて心の底から笑う少女の姿が其処にはあった。

華やかなドレスに負けることなく、花のように笑うその姿が彼女の本当の姿なのだろう。


(……ぴったりだな)


栞が着ているドレスは、まだ何処にも発表されていなものだが「王妃の休息」をテーマにしたものだ。

少女達が見る夢のような世界をモチーフに、白いレースをふんだんに使い雪のようなデザインに仕上げてある。

「王女の凱旋」をモチーフにしたマリーのドレスとは別の華やかさを持つ、ある意味真逆のデザインと言えるだろう。

「王女の凱旋」のドレスに必要なものが、他者を圧倒する高貴さであるとすれば、「王妃の休息」に必要だったのは誰かを安心させるような穏やかな優しい微笑みだ。


「……顔もあまり映ってないし、大丈夫かな」


遠目に写したその写真は、ドレスの雰囲気こそ分かるがモデルたちの顔までは鮮明に映し出されていない。だが、対照的な二人はまるで一枚の絵画のように美しかった。

投稿終了を示す表示を消し、朝霧は撮影スタッフ達が待つ広場へと足を向ける。


おそらくあと一時間もすれば、お転婆な二人のお姫様が戻って来ることだろう。

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