第30話 希少魔獣
「そろそろ池ありますね。水の匂いがします」
そんなに香らないだろ、と思ったが、こと開拓者業務に関してミリアはやることなすこと的確で間違えないため、黙って鼻を引くつかせながら俺は首をひねる。
しかし注意して耳を澄ましていると、進むにつれて微かな水音が聞こえてきた。
「水辺には魔獣が生息していることが多いです。ここからはさらに注意深く進みますよ」
囁くような忠告に、ディアと俺がハンドサインで了解の意を示す。足を踏み出す先に葉が落ちていないかまで注視しながら歩を進めると、風にさらわれて今度ははっきりとした波音が聞こえてくる。鬱蒼と緑の満ちていた森の様相は、木々がまだらで細い幹が目立つようになってきた。北海道の湖のほとりのようだ、という感想を抱いていると、不意に先頭のミリアが音を立てずしゃがみ込んだ。その素早い動作から一拍遅れて俺とディアも追従すると、ミリアはこちらを見ずに一点を指さした。
促されて指が示す先に目を凝らしてみると、対岸のほとりの風景の一部が滲むように歪んでいることに気付く。その足元では、風による規則正しい波とは別の波紋が生まれ、お互いを打ち消しあっていた。
「―すごい。なんでしょう。見たことのない魔獣です」
ミリアの興奮したような囁き声が俺の耳朶をくすぐる。
「あれは」
「知ってますか?」
ディアのハッとしたような声に聞き返すと、水を呑む魔獣から視線を外さずに彼女は頷いた。
「前に言ったろう。二体ほど目撃したという噂のあった未確認の魔獣がいたと。その内の一体、鹿が素体の魔獣と証言にある姿が酷似している」
鹿が素体。その歪みを一度認識すると確かににそう見えなくもない。すらりと細い足。長めの首。牡鹿にあるような角もある。しかし。
「魔獣ってなんでもありなんですね」
「まあ、そうですね。動物の素体に近いだけ親近感ありますよ」
しかし、造形は似ていても同一動物とは一線を画している。
なぜならば、今もなお優雅に水を
「ドッペルディア」
「え?」
「言っただろう。未確認とは言いつつ、他の地域では発見されている魔獣なんだ。時間はかかるが照会をかけることはできる」
喉を潤すことに満足したのか頭をもたげた魔獣は、池の上空にぽっかりと
(キレイだ)
溢れる自然に溶け込んでいた。
「美しいですね」
「美的感覚は似てるんだな」
「私は黒い服好きじゃないですけど」
俺の服を見ながら、ミリアはくすっと笑った。
「確かに、魔獣よりも幻獣に近い姿かもしれないですね」
「幻獣?」
「それは置いておいて」
俺の疑問を脇に置いてディアはミリアを見る。
「どうします? 私も美しいとは思いますが、魔獣です。狩りますか? ドッペルディアの肉?は傷を治す効果が高いそうです。そしてあの『眼』」
言われて俺は再びドッペルディアを見た。水のような液体と膜で出来た魔鹿の中で、その眼だけが紅く浮いて輝いている。
「あの眼は魔臓だと認定されています。希少魔獣の魔臓。一攫千金ですよ」
「魔臓?」
「……それも置いておいて」
俺への応対がお役所仕事化してしまったディアが、「どうしますか?」と再びミリアに問いかけた。
「今回は魔獣討伐が主ではないですし、魔人との遭遇を考えれば無視一択ですね」
「わかりました」
ミリアの言葉に何故かディアは嬉しそうに頷いた後、不意に思い出したように付け加えた。
「そう言えばドッペルディアは―」
その時、何かに気付いたように明後日の方角を見たドッペルディアは、軽い足取りで俺らに背を向け、音も無く木々の奥へと消えていった。
「……ひとまず私は池だけ確認しておきます。割と広いですし、水中に魔獣がいるかどうかは確認しておきたいですから。安全だと判断したら呼びますね」
そう言って斥候に出たミリアの後ろ姿を眺めながら、俺はディアに水を向ける。
「さっき言いかけたこと、なんだったんですか?」
「ん? ああ」
言いそびれたディアも同じく水辺に着いたミリアを見つめていた。
「ドッペルディアは発見事例がまだまだ少ないが、最初に発見された場所では昔から『水の鹿』として言い伝えられていたそうだ。見つけてしまったら気を付けろとな」
「……強いからですか?」
俺の言葉にディアは首を振る。
「もちろんドッペルディアは強い。斬る殴るの物理攻撃はほぼ効果が無いし、自在に硬質化が可能なあの身体と角による攻撃は脅威だ。しかし『気を付けろ』というのはそういう意味ではない」
視線の先でミリアは四方に注意を払いつつ、未だ水中に危険が潜んでいないかを矯めつ眇めつチェックしている。
池の頭上に不自然に空いた空は池と同じくほぼ円形。森の新緑を額縁にした空は呆れるほどに青い。
「ドッペルディアの存在するところには、必ず別の鹿が素体の魔獣がいるからだそうだ。事実、別の鹿の魔獣の群れをドッペルディアが統べていた例もあるらしい」
「え、じゃあ」
俺は急いで周囲を見回す。
しかし、今のところ首のヒリつきも危険な視線も感じなかった。
「私も今のところ何も感じないな。それにこの森には他の鹿の魔獣も確かにいるが特筆して強くはない。群れで来られたら流石に困るが、そんな一群の目撃情報は無い。まあ、今回は大丈夫だろう」
ディアが言い終えたタイミングでちょうどミリアの検分も終わったらしく、こちらを向いて大きく手招きしていた。俺らは頷き合ってゆっくりミリアに近づいていく。
「特に何もいませんね。水も綺麗です」
「ここから、こちらの方角ですか?」
「そうです。一応、池から少し離れたところで休憩して次に向かいましょう」
女子二人の会話を聞きながら、嫌に耳に残った言葉を俺は反芻する。
『ドッペルディアの存在するところには、必ず別の鹿が素体の魔獣がいるからだそうだ』
前世は鹿です、て顔したディアがそう言っているのだ。そうなのだろう。
疑問に思う必要などない。
ないはずなのに、首筋には誰かに撫でられたように鳥肌が立っていた。
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