第29話 異能を持つということ

 三連勤の仕事終わりは軽装備の防具さえ肌に食い込む。今日は買い物もしたくないし自分で料理を作りたくないし洗濯もしたくない。舗装された道路にめり込みそうになる足をなんとか動かし、男は己を労わるために久しぶりに実家に帰ることにした。


――


「いらっしゃーい、って兄貴かぁ」

「よ。部屋空いてる?」


 ガッカリした顔をする妹を無視して必要事項を確認する。


「空いてるよ。どこでもいいの?」

「気にしない。悪いけど後で洗濯物取りに来て。けっこう量あるから」

「えぇぇー」


 綺麗に音階のついた不満声にわざとらしい笑顔を返すと、鍵と敷布団を受け取って階段を昇る。チラチラと見られているが今更気にすることもない。今はとにかく部屋に入って服を脱ぎ捨て、敷布団を追加したフカフカのベッドに身体をうずめることしか頭になかった。


(いや、それは言い過ぎか)


 実は少し気になっていることがある。「あの男」が、勧めた宿に真正直に泊ってくれていれば、この後本人と会えるかもしれない。そうでなくとも妹と親父から少しは話を聞けるだろう。


「……まぁ、親父とは接点ねえか」


 言いつつレザント守備隊隊長補佐のハラスは、うつ伏せでパンツ一丁のまま客用ベッドと秒で一体化した。


――


「はーいおきゃくさんおきてくださーい」

「―っ!? ぃいってえ!」


 瞼の裏の暗闇に閃光が奔るほどの衝撃に喉が悲鳴を上げた。慌ててうつ伏せの恰好から首をひねって見上げると、鉄鍋を持った妹のリラが立っていた。

 もしやあの鍋で俺を起こしたのか。痛む後頭部が鍋底型にへこんでやしないだろうか。


「容赦なさすぎじゃねえ?」

「客を起こすサービスは本来してないもんで。感謝してほしいくらいだよ」


 外を見るとまだ日が高い位置だった。類まれな休日を無駄にしてしまった訳ではないことにまず安堵する。


「洗濯物持ってっちゃうよ? これで全部?」

「助かる。金は払うから」

「あったりまえでしょー」


 きたないなぁ、くさいよぉと言いながらひょいひょいと全てを抱えて階段を降りていくリラを見送った後、自分がパンイチであることを思い出すと、普段着に着替えて追うようにドアを出た。


「……おう、帰ってたか」

「おす親父。肉の定食大盛りで」

「ふん」


 鼻息で了解を示した親父が厨房に戻るのを見届けて、俺は卓に置かれた水を一息にあおった。渇いた喉に潤いが浸透して思わず息が漏れる。


 実家との付き合い方は割とドライだ。しかしその距離感のほうがありがたい。この宿はありがたいことに常時忙しい。母はいない。従業員は妹と親父を含めて四人。全員が高稼働の中で、宿主の息子というだけで料理に家事にと時間を割いてもらう気にはなれない。ましてや無償で。

 ということで今のような客と宿の関係に落ち着いている。ただし料金は割安だし大量の洗濯物を出すことも許してくれたりと、普通の客より便宜を図ってもらっているが。


「ほら、しっかり喰え」


 職業病からか周囲の開拓者をなんとはなしに観察していると、親父自ら定食を運んできてくれた。


「ありがとよ。いただきます」


 ばくりと頬張った瞬間、仕事中代り映えのない飯しか食べていなかったハラスの腹が幸福にもだえた。二口、三口と立て続けに匙を動かしていると、頭上から親父の声が降ってきた。


「変わりはないか」

「ああ、別に変わりはないよ。俺も、街もな」


 そうか、と重々しく呟いて引き返そうとした父親に、俺は聞きたかったことを思い出して声を掛ける。ちょうどその時、リラも受付に戻ってきた。


「そうだそうだ。街は安全だけどさ、一人変わった男が来たんだよ」


 その言葉に料理人兼宿主は立ち止まり、看板娘兼従業員のリラもこちらを振り向く。


二日前・・・くらいにここに泊まりに来てないか? 俺が勧めといたんだが。オズって名前の黒髪黒目の」


 その名前を伝えた瞬間。

 親父の目がギラリと光り、妹の目が丸く開かれ、開拓者ばかりの食堂の空気が固まった。


(……既に何かあった模様)


 厄介事の匂いを嗅ぎ取ったハラスは、一人ため息をついて二杯目の水を自分で注いだ。


――


「なるほどねえ」

「でもさ、オズさん悪くないでしょ?」


 カウンター内で事のあらましを聞いた後、明らかにオズ贔屓な妹の言葉に、後ろで仁王立ちした父の形相が醜いほど変化する。クラス6の神型魔獣『鬼』の如しである。


「まあ、その状況だと確かにオズはそこまでの非はないね」

「だよね!」


 リラの所感が随所に入った説明から事実だけを抜き出して簡潔にまとめると、リラと仲良くなったオズを気に入らない開拓者(そこそこ強い)が、生意気な間男に刃物を持ってちょっかいを出したがオズが返り討ちにしてカッコ良かった。という話のようだ。最後のも所感だな。


「それで、それから帰ってこないんだ?」

「うん……」


 途端にしょんぼりする妹。それを見て一喜一憂している親父がまた鬱陶しい。


「聞く限りそんなに金に余裕もある訳じゃなし、どうせまた戻ってくるだろ」

「そうかな?」

「「死んでなければな」」


 俺と親父の声が重なる。


 直後。ダカン!という重低音と共にカウンターを震えた。

 思わず男二人の背筋が伸びる。恐る恐る妹の顔を覗き見ると、冷気の帯びた視線が半眼になった眼から射殺さんばかりに漏れ出していた。こいつは開拓者の目だぜ。


「そういうこと言わないでくれる?」

「はい」「すみません」


 冷え冷えとした声音で自省を促した後、リラは音も無く立ち上がり受付に戻っていった。


「おっかねえな」

「……ああいうところは母親譲りだな」

「開拓者に向いてたなぁ」


 実際さっきの双眸は相当な威圧感だった。今からでもいい開拓者になれる。

 そう笑うと今度は親父から剣呑な視線が注がれる。


「馬鹿を言うな。……お前だけでもう充分だ」

「俺は開拓者じゃないだろ」

「似たようなもんだろうが」


 離れた食堂にまで届くほどのヒリついた空気に、再び開拓者どもが静まり返る。

 数秒後、俺は視線を上に逸らして息を吐いた。実父と見つめ合う趣味はない。


「悪かったよ」


 ふすー、という鼻息が巨体の店主から漏れたと同時に、宿全体も空気が抜けたかのように弛緩した。


 オズの印象について聞いてみたかったが、ひとまず間を置こうと俺も席を立つ。その時だった。


「オズという奴だが」


 唐突に話始めた親父を、俺は驚きつつ振り返る。


「お前は変わった男だと言ったな」

「ああ、うん」

「……俺もそう思った」


 その言葉に、俺は二重に驚いた。


「……へえ。なんでそう思ったんだ?」

「二つある」


 元開拓者の父親ガルドは、太い腕を組み低い声で呟く。


「一つはリラだ」

「あん?」


 なんだよまた娘の心配かよ、という顔が表に出たのか、「違う」と一言断ったあと親父は続けた。


「あの子は客の持つ空気に聡い。だからだろうな。自然、開拓者の殺伐とした雰囲気を避ける節がある。逆に身なりだけ整えた初級開拓者も相手にせんが」


 後者は単純にお眼鏡にかなわなかっただけだと思ったが、前者については納得できる。

 妹の観察力は侮れない。あいつの目に付いた開拓者や衛兵は軒並み有望株に成長する。ただ、妹はそんな奴らを「怖い」「危なそう」という表現をして避けていた。一種の危機回避能力なのだと思う。返す返すも、あいつは優秀な開拓者になれる。


「ただオズに対しては違った」

「うん? いやそりゃオズも初級開拓者だったからじゃねぇか?」

「……お前も解ってるはずだ。いや、お前なら尚更わかるはずだ」


 思わず反駁したが、ガルドの一言で俺は次の言葉を飲み込んだ。


「俺はその場面を見ていないが、リラと客は皆一様にこう言った」



―速すぎて視えなかった



「……そんな芸当のできる人間が、堅気な訳がない。しかしリラはオズを怖がらなかった。あいつはどこかアンバランスだ。そこが変わっていると感じた一つ目の理由だな」


 頷いて、目線で二つ目を問う。


「もう一つは、視線だ」

「視線?」


 ガルドは自分の下半身に視線を落とす。俺も釣られて親父の脚を見た。


「野郎、初見で俺の腰と膝をじっと見つめてきやがった」

「……」


 腰と膝。ガルドが開拓者から料理人に転身するきっかけの一つとなった古傷の位置だった。


「普通は欠けたこの薬指と小指に目がいくもんだが、あいつは違った」


 そういって俺に向けた右の手の平からは、本来あった五指のうち外側の日本を失っていることが容易にわかる。


「……異能かな?」

「いや、丸腰だ。だからこそ気になる。観察することに長けているが慣れていないのか、視線を隠すすべがお粗末過ぎる。危険は感じないが、……油断できん奴だ」


 ハイクラスな開拓者であったガルドの意見は、俺を思考の海へいざなうが、いかんせん情報が少なすぎてたちまち海面へ顔を出した。


「わかんねえな」

「そりゃそうだろ」


 思わず嘆いた言葉に、親父が鼻で笑ったように受け合う。


「優れた異能を持ってようが、人となりや過去までわかるもんじゃねえ。お前はお前でやれることをやればいい。それで充分役に立ってるだろう。……疲れてるみたいだが、働き過ぎだ。もっと休め」


 珍しく分かりやすい労いを口にした親父に、居心地の悪くなった俺ははぐらかすように応えた。


「まあ、求められることはいい事だろ」


 異能付きの贈装を顕現したことで俺の取り巻く状況は変わった。

 さらに、希少で汎用性も高い異能であったことから重宝もされて覚えも目出たい。


 異能付き贈装の発現者の宿命だと思う。そしてそれは誇りに思っていいことだ。


 『能力があるならば人のために役立たせる義務がある』などとは言わない。

 ただ、義務ではないが、無駄にする必要もないはずだ。誰だって頼られれば嬉しいし、役立つならば使えばいいと思う。事実、俺の異能のおかげで未然に防げた犯罪もあった。

 結局「適材適所」というだけの話である。


 異能は特別なものじゃない。

 数多くある才能の内の一つ。力が強い。足が速い。手先が器用。暗算が得意。それと同じこと。

 才能を活かすことにためらう理由もないので、俺は今日も門に立ち、街を歩いている。行方の知らないオズの異能も、いつか適切なフィールドで役に立てばいいと思う。


 そこで宿のドアベルがなった。


「おお、やっぱりここにいましたか」

「あれ、レイフさん。どうしました?」


「呼び出しがかかってますよ。開拓者組合のリルフィールドさんから」


 思わず厨房へ戻り始めていた親父と目が合う。

 多分オズだな。と直感的に思った。

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