第22話 日本人の心

 あの人かな、と言ったミリアの視線の先には、姿勢良く立つ一人の女性がいた。俺たちが近づくと相手もこちらに気付いて一歩進み出る。


「ミリアさんですね。初めまして、ディアと申します」

「こちらこそ、お手数ですがお世話になります。ミリアです」

「初めまして、オズです」


 ミリアにはきれいなお辞儀を、そして俺には冷めた視線のみ送ったディアは、ミリアの「あそこの卓で調査作業のすり合わせをしましょうか」という言葉に小気味よい返事をした後、テーブルに座るまで一度もこちらを振り向かなかった。


******


「わかりやすい人でしたねぇ」

「どっちが?」


 俺からすればレンドラントさんもディアさんも充分にわかりやすかったが、ミリアは笑って「もちろんディアさんですよ」と言った。

 あれから小一時間ほど自己紹介と明日からの調査討伐について、日程やルート、役割を話し合った。しかし終始ディアはミリアに向かって会話し、都度ミリアが俺に話を振るたびにあからさまに見下した顔をした。

 それは俺が下らない質問をしたためなのか実は男性不信なのか生理的に受け付けないタイプだったのかは分からない。


「オズさんって、女性にああいう態度取られても気にならないんですか?」

「いや、性別関係なく気になるけど、わざわざ表には出さないよ」


 仮にもこれから一蓮托生のパーティとなるのであれば、不要な争いは避けたい。居心地は悪いが我慢して割り振られた役割を全うして全員五体満足で返ってこれるのであれば、多少のやるせなさは取るに足らないことだった。

 という事をかいつまんで語ると、ミリアは嬉しそうにまた笑う。


「いい開拓者になりそうですね」

「……それはどうも」


 じゃあ明日に備えて今日も美味しいもの食べましょうか!と元気いっぱいな声を出して彼女は大通りへ向かった。


――


 今何が食べたいですか、と聞かれたら俺は間髪入れずにこう言いたい。


(米と焼き魚が、食べたいです)


 安西先生……。


「―どうしました?」

「いや別に」

「しっかりしてくださいよ。何の気分ですか? ちなみに私はバゲットサンドです。あのお店いい匂いさせてますよ」


 確かに通りに立ち込める匂いは香ばしい。しかしやはり具材は肉。三日目で既に心が日本食を欲している。


「あのさ、ここら辺の街って魚とか出すお店……は、なさそうね?」


 言葉の途中で呆れたような顔をされたので流石に分かった。ミリアがじーっと俺を見つめるので目をそらす。


「オズさんって、海辺の街出身ってことですか? それとも実は上流階級の人?」

「海辺、ではあるかな」


 滅多なことは言わないよう慎重に応える。日本は島国。間違ってはいない。

 俺の返事に「ほーん」と意味不明な相槌を打った後、「魚をここら辺で食べたいならちょっといいお店に入らないとだめですね」とミリアは言った。


「しかもけっこうしょっぱいですし。新鮮な魚食べたいなら街を出るしか、―ないですがお肉も美味しいですしここらは野菜も種類多くていい街ですよ!」

「ん? うん、そうだね?」


 急に早口で言い添えた彼女を不思議に思ったが、それ以上に魚が食べられないことにガックリした俺はぼんやりと辺りを見回す。


「でも近くに川があるでしょ。川魚って食べないの?」

「あー。昔は獲ってたらしいですけど、今はないですね」

「そりゃまたどうして」

「川が荒れたんですよ。今はけっこう綺麗になりましたが、魚の量が戻ってくるまでは禁漁になってます」


 乱獲されたら生態系が壊れるのはどこも一緒なようで。

 それにしても一時的に河川が破壊されるとはどれほどの漁獲量だったのだろうか。とりあえず魚はあきらめるほか無さそうではある。


「せめて米が食べたい……」


 ひもじい戦時中の子のような台詞を零した俺に、ミリアはきょとんとした顔をした。


「あ、お米の気分でしたか? 久しぶりに食べてもいいですね」

「え?」


 な、んだと。


「あるの!? こめ!」

「ひぇ!? あるます、ありますよ!」

「行こう!」


 有無を言わさず俺はミリアを先導させて店に向かわせる。「そんなに食べたかったんなら先に言ってくださいよ」とぶつくさ言っている声も耳に入らなかった。


――

「そっち系かぁ」

「どっち系ですか」


 少しがっかりした顔をした俺に、勝手に昼食を決められたミリアはむすっとした顔をした。

 連れてきてもらった店は露店ではなくちゃんとした実店舗であり、いそいそと入店した俺を待っていたのは若干の失望だった。


(スペイン料理に近いなあ)

 魚介系は無いのでムール貝ではなく野菜と肉が散りばめられた他の客の料理をみつめる。

 これではない。これではないのだが。

 三日ぶりの米なので、知らずごくりと喉が鳴った。やはり米が食べたい。


「俺もあれと同じの頼もうかな。いや、他に何か種類あるの?」

「米料理ならあと一つありますよ。メニューどうぞ」


 それからひとしきり唸って注文した十数分後。俺の前には鳥肉とパプリカらしき色鮮やかな野菜の目立つものが、ミリアは豚バラに似た肉の入った精の付きそうな匂いの米料理とスープが並んだ。


「匂いが残りそうなのいったね」

「がっつり食べたかったんですよ」


 一応異性の前なんだけど、と思ったが勘違い野郎と思われそうだったので言わずに手を合わせる。

 結論、パエリアのような料理は美味かった。



「この後は買い出し?」

「ですね」


 卓上の水を飲みながら俺たちは会話する。

 ある程度の装備は既にユーテリアさんから受け取り済だが、食料などは

リギニアの市場で買う予定だった。

 異世界の市場が初めてな俺の嬉しそうな雰囲気を感じたのか、ミリアが不審そうに俺を見つめる。


「オズさんって、状況わかってます?」


 その言葉に今度は俺がミリアを見つめ返す。


「こっちがお願いした事ではありますけど、明日からの調査討伐は計9人が既に死んでる危険な依頼ですよ。なに市場にワクワクしてんですか」

「……確かに、そうだな」


 言われてみれば、三日目にして危険な魔人の討伐に行こうとしている割には俺の心に悲壮感や焦りが無かった。もちろんリルフィールドさんに最初説明されたときは、運良く拾った二度目の命を危険にさらしてまで依頼を受ける必要は無いと思ったし、それは今もそう思っている。できれば帰りたいし、緊張もしてるし、金があれば今からでも断りたかった。


 ではなぜ俺はこれほど楽観的な心持ちなのか。背中を丸めて自己分析をしてみる。

 その間、ミリアはレモン水を注文しつつ待ってくれた。


――


(たぶん、野盗を殺した時からか)


 そう思い至る。言葉にするのは難しいが、直感的に間違ってないと思った。


 リルフィールドさんの言っていた通り、俺も自分が殺される立場であることを本気で考えていない可能性もある。一度死んでいるくせに。


 だがそれよりも、一度人を殺した時から俺の中で何かが変わった気がした。


 日本で長いこと育んできた常識とか普通とか価値観とか、たぶんそう言った諸々の、人間の倫理的な根底がだ。


******


 目の前の席で年上の男が背中を丸めて熟考している。


 卓に届いたレモン水を飲みつつ、割と見目の良い男性と向かい合うテーブルで左巻きのつむじを眺めながら過ごす晴れた午後の昼下がりである。


(しかも魔人討伐の出発前日ときたもんだ)


 どういう状況であろうか。とも思うが、昔はこんなことも日常茶飯事だった気がする。緊急の依頼というのは突然来るものだし待ってもくれない。

 あの頃はひたすら討伐してできる限りお金を稼ぐことしか念頭になかった。


(受付嬢に転職したのにまた魔人討伐しようとしてるし)


 自分で言ったことだが、開拓者組合は慈善事業ではなく営利団体だ。なのでリルフィールドがあちこちのパワーバランスを考慮して今回の依頼を受けたのは理解している。できればセントロさん位のハイクラスが手伝ってくれればもっと楽にこなせるはずだが、それはもう言っても詮無いことである。

 そして私は再び対面の男性を見た。


(この人、どれくらいの実力なんだろ)


 できれば手合わせしておきたかったがそんな余裕は今回なかった。一日過ごしてみて人となりとしては信用のおける人物だと思ったが、いかんせん素性が不明すぎる。さらに言えばあのセントロさんの言葉。


―危険だ


 とセントロさんは言った。『ベンチュラ―』の主である開拓者セントロが。


 クラス2への自動昇格を初めて促したことといい、オズさんはそれに値する実力者だという事。危険だと言われた異能は確かに魔人に相性がいいが、実際にどれほど有効なのか、もっと言えば実戦でオズさんは使い物になるのかは未知だ。不安は尽きない。


 それにしても良く分からない人だな、と私は肘をついて顎を手に乗せた。

 あまりにもウキウキした顔をしていたのでちょっと言葉でつついて自覚させようとしただけなのだが、思いのほか相手が考え込んでしまったことに驚く。


 うつむく男にレモン水だけ飲む女。そろそろ周りの視線が痛い。


「あのー」「うん、ちょっとすっきりした」


 おっかなびっくり声をかけたタイミングでオズさんも顔を上げたので再び驚く。


「な、なにがすっきりしたんです?」

「んー」


 私がバクバクいってる心臓を落ち着かせながら聞くと、彼は腕組みして首をひねった。


「……俺は最近ここ・・に来たんだけど」

「はあ。まあそうでしょうね」


 どう考えてもここらの人ではない。

 そんなことを今さら言い出したことに、こちらも首をひねりたい気分だ。


「意外に、もうこの世界の人間になってるのかもなって」

「この世界?」


 聞き返すと彼は「まあまあ」と何かを誤魔化した。


「死ぬのは怖いけど、どこかで仕方のないことだって自覚してるから心配すんなってことだよ」

「……ふーん」


 これは粋がった開拓者からよく聞く台詞と似ていた。しかし目の前の男からは自己陶酔や見栄は感じられない。


「……魔人に会った時に、もっかいその台詞聞かせてもらいましょうかね」


 ちょっとイジワルに返すと、オズさんは「りょうかい」と言いながら笑った。

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