第4話 死を以て償ひたまへ

 沸騰したように吹き上がる黒いもやは、むしろ生命力に溢れているようにさえ見える。しかし俺から視た彼らは、どれほど屈強な体躯であろうと死を待つ半死人であった。


 とはいえ俺は人を殺す訓練をしたわけでもなく格闘術の経験も無い。経験といえばせいぜい中高の柔道の授業とスポーツジムでのボクシングっぽいフィットネスくらいである。


 ごそりとスーツの胸ポケットを探る。左胸から取り出したのは武骨な異世界産の折り畳みナイフ。あの二人からの唯一のプレゼントである。「君に一番ふさわしいものを」という言葉と共に渡された凶器の重みを確かめる。「やあ、流石だねえ」と言った黄金比の美しい顔を思い出す。何が流石なのかは知らないが、手のひらに沈むずっしりとした重量は俺を不思議なほど安心させた。


 自分にふさわしいかは分からない。しかし少なくとも、人の命を奪うに足る重さだと思った。


(じゃあ殺すか)


 心の中で呟くと、出来る限り木の葉に触れぬよう音を立てぬよう、しかし散歩するように自然に。まずは泣きじゃくる子を羽交い絞めにして母の姿を見せ続けるくずの、その視線の外側に向かって歩き出した。


******


 耐えればいい。あの子さえ無事であればいい。

 泣かせてごめんね。変なもの見せてごめんね。


 荒く生臭い息遣いと吐き気の催す行為を、心を殺すことによって耐えていた。ただただ私は、一息も休まず私を呼ぶ子供へ、ひたすらに「ごめんね」と唱え続けていた。

 

 何分か、もしくは何十分か経った後だったろうか。

 突然あの子が、絶叫を止めて驚いた声を上げたのは。


「ぁあん?」


 私の右腕を組み伏せていた男が背後を振り返り、子どもを押さえつけているであろう見張り役を見やった。塞がれていた視界が開けて私も急いで子どもの方を向く。


「は?」


 振り返った男が抜けた声を上げ、私も思考が停止した。視線の先の光景が、想像とは余りにもかけ離れていたからだ。


 黒い飛沫しぶきが舞っている。


 首筋から噴水のように血液を吹き出して、その場にすとんと落ちた見張り役の男。その隣には私の子どもと、何故かもう一人。見たこともない服を着て左手にナイフを持った男が、右手で子どもの目を隠していた。


「ってめえ! なんだ手前てめえはぁ!」


 いきなり現れた男に対して、野盗が威嚇するように吠えた。しかしナイフの男はちらりと視線をくれるだけで、まるでこたえているようには見えない。


「見苦しい下半身しまってから鳴けよ豚」


 上背は高いが筋骨隆々には見えない。くみやすしと取ったのかそれとも発せられた侮辱の言葉に激昂したのか、武器無しのまま突っ込んだ野盗は、飛び掛かる寸前で糸が切れたように崩れ落ちた。仰向けの状態で後ろから見上げていた私からはそう見えた。伏したまま動かない野盗の周りには、一拍置いて夥しい程の血だまりが広がる。


「……おい、俺の獲物もってこい」「う、うす」


 この段になってようやく異常事態だと気づいた野盗の頭目が、左腕を組み敷いていた一番若い部下に指示を出す。しかし正体不明の男は間を置かずに無防備に近づいてくる。舌打ちをしつつ頭目は懐に手を入れ無駄のない動きで何かを掴んだ。一瞬キラリと光ったものを見て、私は咄嗟に「危ない!」と声を上げた。

 流れるような動作で投擲されたナイフ。至近距離からの攻撃は必中のはず。そう頭目も思ったろう、ニヤリと笑んだ顔がそれを物語っていた。

 しかし現実としてナイフは誰に当たることもなく、そのまま放物線を描いて遠く離れた地面に突き立つ。

 にやけた顔が凍りつく。目の前には当然のように投げナイフを躱した男が、片膝立ちのの野盗のボスを見下ろし、躊躇もなくするりとナイフを胸に刺し入れた。


「あぁああああ!」

「自分が傷つくのは嫌いか?」


 恐ろしいほど冷たい声でそう告げると、男は膝の位置にあった顔を思い切り蹴り飛ばす。野盗の頭目がもんどり打って倒れ込んだことによって、私との距離が開く。上体を起こそうとした一瞬の間に「ひゅっ」という吸い込む音がして顔をあげると、既に若い野盗が首を押さえてうずくまっていた。


「や゛めろぉ! わがった! 俺ら゛がわるがった!」


 蹴り飛ばされた口から赤黒い泡を吹きながら喚くリーダー格の野盗を一瞥した後、男は私に視線を移す。そして瞬時に目をそらすと上着を脱いで、こちらに放って寄越した。この時になって初めて私も上衣が脱がされていたことを思い出す。


「おかあさんっ!」

「! アレナ!」

 放られた上着を受け取る前に飛び込んできた娘を、両手でしっかと抱きしめた。


「ぅああああ! あぁああ!」

「ごめんねっ……、大丈夫だからね」


 胸の中で木霊するほど泣き叫ぶ娘を一つになるほど抱きすくめて私も謝りながら泣いた。その間ナイフを持った彼はこちらに背を向けて一言も発さず残った野盗を監視していた。

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