第9話 夢か現か
2023年の私と通話が途切れてしまった。これで目的は全て達せられた。未来が整合されるまでの時差は、計算上5分くらい。富永ちゃんと二人でその時を待ち構えていた。
「20年前の人間を生き返らせるって、結構なエフェクトが掛かる。頭痛じゃ済まない。……というか、この場所にすら居ないことになる。肉体とかどうなるんだろ……」
若干の恐怖感に襲われるが、もう後戻りはできない。このまま時空が歪んで、修正された現在に置き替わるのを待つしかない。
「私が見ていたものは何だったんでしょう?」
富永ちゃんはぼそりと呟いた。
「結局、未来なんて物理的には存在しないんですよね?」
「無いものを見ていたんじゃなくて、これから創られる未来を予測してくれてたんだよ、富永ちゃんは」
「私、卓郎みたいな努力家じゃないから、自分が思う未来を妄信してました」
「それだって努力と同じ立派な才能だよ。富永ちゃんが私を励ましてくれてたから、私はここまで——」
その時、こちらに誰かがやって来るのに気付いた。
「貴様等、やってくれたなあ」
「犬束所長……」
怒りの形相で睨む犬束所長は銃口をこちらに向けている。警察を退けたのか、周辺には誰も居ない。
「それはこっちの科白よ! ラボまで爆破して、人の命を何とも思ってないの?」
「何を言っている。天間は自爆したんだ。これまでの研究成果と組織の部下を巻き添えにしてな」
天間くんは攻めも守りもちゃんと準備していた。彼は最後には私達の側に付くことを選んでくれたんだ。
所長は銃のセイフティーレバーを解除した。
「だから最後のデータを取りに来た」
一発の轟音が構内に響いた。所長の足元に、銃弾を受けた富永ちゃんが倒れ込む。
「この裏切者が。勝手な動きしやがって。先ずはマイクロチップを取り除いたその左腕からだ」
富永ちゃんの左腕を踏み躙りながら所長は続けた。
「さ、千原さん、どうするかね? このままではこいつの四肢が無くなるぞ」
ニヤリとするこいつの顔に、私が銃弾をぶち込んでやりたかった。だが所長、もう手遅れだ。過去は既に——
「電話をされてしまったのは不覚だったが、どうなんだ? 何も変わらないじゃないか。君の目的は失敗に終わったようだねえ」
電話終了から5分はとうに経過している。しかし、何も起こらない。何故だ? 未来修正のタイムラグに誤差が生じているの? それとも、20年前の私がしくじったのか?
私に反撃の手段は無い。研究データはもう私の頭の中にしかない。生き残るためには、こんな非道な野郎に大人しく隷属するしかないのか。それだけは絶対に厭だ。
チェックメイトかと思ったその時、富永ちゃんがいきなり立ち上がった。バランスを崩した所長の拳銃を奪い取り、私を背にして胸の前で右手にその銃を構えた。
「残念。今、左腕麻痺ってんだよねえ」
赤い左腕を垂らした彼女は、振り返って私に笑ってみせた。
「千原さん、警察を呼び戻してきてください」
急な形勢逆転に勝機が差した。とにかく、今は外部からの助けを求めよう。私が駆け出そうとしたところで、また銃声が轟いた。
「これはまたしても不覚。やはり備えのもう1丁は持っておくべきだな」
失望の表情に変わった富永ちゃんから生気が消えていく。銃声に続いて、今度は彼女が仆れる音が駅構内に響いた。
「おや、銃を狙ったつもりが外してしまったようだ。これでは人質にもなりやしない」
所長は平然としている。悲しみと怒りの混濁した感情が、私の中でグルグルと渦巻く。もう、冷静になんてなってらんない。
「それで? 答えはまだ聞いていないぞ? それでも首を横に振るのなら、こいつの頭にもう一発お見舞いしたって良い。それとも、そこにある拳銃で私と勝負するかい?」
さっきまで生きていた人の頭を、所長は軽く蹴ってみせる。何処かの玉座の前で吐かれるような台詞まで口にして、私を試しているみたいだ。
私が思い描いた物語はもう終わりが見えている。味方は皆死んじゃった。書き替えによる頭痛も修正も何も起こらない。やはり、チェックメイトだ。
でも、このままこいつの言いなりになるのは絶対に絶対に厭だ。何年も掛けて私と富永ちゃんと天間くんで育て上げてきた命懸けの研究なんだ。扱うだけでも危険だし、そもそもこんなの無ければ良かったとすら思う。それをこんな外道に渡すわけにはいかない。
私のせいで死人が出た。責任を取らなきゃね。
私は富永ちゃんの手元に転がる拳銃に、恐る恐る手を伸ばした。
「この日のために、私達は全力を注いできました。でも、こんなことになってしまうなんて……」
「こんなこと? こんなことというのは君の助手達が死んだことか?」
犬束所長は嘲笑う口振りで、屈む私を見下ろしている。
「天間は勝手に自爆した。富永を打ったの私の正当防衛だ。まさか、私のせいで君の助手が死んだなんて思っちゃいないよなあ?
まあ、社会の発展に犠牲は付き物。この屍を無駄にしないよう、君の技術を有効活用していこうじゃないか」
ここまで血も涙も無い奴だと解ると、逆に清々しい。
「助手達が死んだのは私のせい。私がこんなもの作り出しちゃったから、あんたみたいな狂った輩が湧いてきたんだ」
「おいおい。誰のお蔭で今の君があると思ってんだ? 私のバックアップが無きゃ、君は研究すらできなかった。それを理解しての口の聞き方かね? 君は私の下で研究をしてきたんだ。私の部下の一人なんだ。それを忘れてもらっちゃあ困るねえ」
過保護に育てられたと思ったら、とんだ毒親だ。少なくとも私は、あんたのために研究をしていると思ったことなど、ただの一度も無い。
「所長と私って、似ていますね」
なんだか可笑しくなって笑みが零れた。怪訝そうにする所長の反応が聞こえる。
「私も、目的のためなら手段は選ばない方だし、周りを顧みることもろくにしていませんでした。その結果、人を傷つけてこの様です」
「漸く気付いた様だな。私と君は同じなんだ」
「でも、一人よがりでは夢を叶えられない。私が望む理想を手に入れられなかった。このままでは富永ちゃんが見た暗い未来を迎えてしまう。それも厭だ」
私は屈んだまま銃を構えた。
「だから、その元凶をここで抹消して——」
「おい!」
顔を上げ、所長に別れの眼差しをくれてやった。
「それなら私は、天間君が望んだ今のままの今を選びます」
「やめろー!!!」
生き物は、未来を切り拓いていく為に、今を精一杯生きるもの。過去を書き替えようだなんて、タブーに触れてしまったんだね。
私は贖罪の思いで、引き金に掛けた両の親指を曲げた。
江戸川駅構内にまた銃声が一つ。銃弾の軌道は、確かに真上を向いていた。
***
体を揺すられて目が覚めた。多量の汗を掻いていてパジャマが冷たい。
「どうしたの澄美子? 魘されてたよ?」
私の寝惚け眼には、愛しい顔が映っていた。
「んん~おはよう……。何か、悪い夢でも見ていたみたい。よく覚えてないけど」
「そう、大丈夫?」
「うん。逢えて良かった」
「何言ってるの? いつも傍に居るじゃないか」
微笑む私に、彼も笑い返してくれた。
「もう朝だ。子供達起こしてくるね」
「うん。朝御飯作らなきゃ」
まだ心臓が足速に脈を打っていて、心が落ち着いていない。何か大切なものを失いかけた気がする。何かこことは違う世界を見た気がする。気になるけれど思い出せない。私はよく忘れ物をする癖があるから。
なんだっていいや。切り替えて今日を始めよう。今は家庭円満で幸せなんだし、私の望む今は手に入れられているから。
今何時だろう。時間を確かめようと、スマホに手を伸ばす。起動ボタンを何度も押すけれど、黒い画面は一向に光らない。
「あ、またやっちゃった」
ワイヤレス充電器の上に載せると、スマホは起動音を伴って充電を開始。
私は階下からの呼び声に答えて、急ぎ足でキッチンに向かっていった。
江戸端三重奏 群鳥安民 @shiharaiyuyo
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