第8話 2033年4月26日 通時に

「千原さん? 千原さんですよね?」


 翌日の朝6時過ぎ。私は京成本線に揺られ、伝えられた場所に向かっていたところだった。私の名前を呼んだのは、毎日聞いていた声だ。


「富永ちゃん!? 何でここに?」

「何とか夜行バス乗れたんで。由比の爆発で新幹線も東名も通行止めでしたけど、新東名は無事で帰って来れました。またスマホ充電してませんでしたね? 全然既読付かなかったんだから」

「あ、ほんとだ。昨日の夜はまだ生きてたのに」

「無事再会できて良かっ——」


 電車にブレーキが掛かる。慣性の法則に流されるまま、富永ちゃんは派手な転倒をかました。


「うわあ、ちょっと大丈夫?」

「いてててて……。今左手使えないんです。こっちに戻ってくる前、マイクロチップを外科医に摘出してもらって。あの医者、腕悪過ぎる。麻酔まだ醒めないんだけど」


 彼女はストラップ同然の左腕を擦った。


「それで、千原さんもラボの様子を見に行くんですか?」

「いや、天間くんからメールが来たの。『明日の朝6:30に江戸川駅の改札に来てください』って」

「ええ!!! そのメール、何時のですか!?」

「昨日の夜8時」

「それって……」

「うん。天間くん、生きてるかもしれない」




 昨日の爆発で江戸川駅は依然として不通。その手前の京成小岩で降りた私達は、江戸川駅の改札に向かって歩いた。

 江戸川駅を外から見ることはあまりなかった。駅の外観は特に崩れていないが、きっとこの地下は惨状と化しているのであろう。KEEP OUTの黄色いテープをガン無視して忍び込もうとする私を富永ちゃんは止めた。


「待ってください。メールってそれだけですか? 私は何も知らされてませんよ?」

「マイクロチップのこともあるし、富永ちゃんには伝えなかったのかもね」

「絶対罠ですって! 電話を造るのに協力する振りして、やっぱり私達を裏切ったんですよ、卓郎は!」

「富永ちゃんも一緒に天間くんの声を聞いたでしょ? あんなに一生懸命動いてくれたんだよ? 私は彼があの状態で裏切るつもりだったなんて思えない」

「にしても、あの状況からの形勢逆転なんて不可能です! もう彼は奴等の手中です。そのメールだって、本当に卓郎が送ったものか分からないじゃないですか!」

「だとしても、このまま隠れていても何も始まらない。たとえ無理でも罠でも乗り込んで決着を付けなきゃ」

「千原さんが無事なら、時間が掛かっても今から立て直せます! 手ぶらで踏み込むなんて自殺行為ですって!」


 そうこうしているうちに現場の警察に見つかり、ここで何をしているのかと問われる始末に。まずい、もう6:30だ。駅の入口で足止めを食らっていると、警察の無線が喋り出した。


「江戸川駅構内から。公衆電話が鳴っているのですが、応対すべきでしょうか?」


 聞きつけた私は制止を振り切り、駅の構内へと駆けだした。


「千原さん!」


 猪突猛進して電話に飛び付いていく。


「私が出ます!」


 突然鳴り出した公衆電話の対応に困っていたのか、現場の誰も私を止めなかった。

 一呼吸置いて、私は受話器を取る。

 果たしてこれは罠か、救いの御言葉か。


「もしもし!?」


 一つの物音も聞き逃すまいと耳に全神経を研ぎ澄ます。


「もしもし、千原さんでしょうか」


 聴こえてきたのは、聞きたかった天間くんの声だった。


「天間くん? 天間くんなん——」

「俺です。天間卓郎です」


 富永ちゃんも駆け寄ってきて、食い入るように受話器の外側に耳を押し付けてきた。


「良かった。生きて——」

「電話の相手が千原さんと信じてお話しします」

「そうだよ私! 千原澄美子だよ! 言われた通——」

「これを聴いているということは——」


 何だろう。会話が噛み合っていない。


「俺は既に死んでいます」


 耳を疑う私達は、ただただ茫然としていた。


「俺は今、念のため耳栓をして喋っています。ですから、電話口の向こうの声は聞こえていません。一方的ですが、俺の最期のメッセージだけ聴いて、指示に従ってください」


 これはボイスメッセージなんかじゃない。リアルタイムの通話だ。でもなぜ耳栓をしている?


「えー現在、2033年4月25日12:03ですね。そちらの時間で言うと、過去から電話を掛けています」

「過去……から?」


 私達が開発したのは過去に電話を掛けられる技術だ。未来には掛けられないはず。


「過去の人間が未来のことを知ってしまうのが不味いのは既知の通りですので、千原さんの声は聞こえないようにしています」


 間違いない。これは昨日まで生きていた天間くんの遺言だ。


「もうじきここの防犯シャッター破られそうなんで、それまでお話できることはしようと思います」


 私達は固唾を飲み、彼の言葉の続きを待った。


「俺は、今の世界を変えてほしくなかったんです。千原さんが過去に電話を掛けることも、組織がその技術を乱用することも無い、今のままが良かったんです。 

 そこで、俺は千原さんの技術を研究し直すことにしました。これ以上世界を変えずに済む手掛かりが得られるんじゃないかと思いまして。報告書書くからって俺だけラボに深夜まで居残ってたり、徹夜で籠ってたりしてたのはそういうことです。

 ある日、9年前の千原さんの研究結果を目にしたんです。時間遡行を可能にさせたNo.1134のちょっと前、No.1121の試験金属。あれ、データ出ていませんでしたよね。試しにもう一度電球点灯の実験してみたんです。そしたら、No.1121、電気通ってましたよ。電球点きました。電源入れてから約5時間後に。千原さん凄いですね。時間遡行金属を開発したあの日、通信時間を滞行させる金属まで生み出していたんですよ」


 通信時間を滞行させる金属?


「試作品の電話機を作った時、No.1134とNo.1121の両方の金属を配線に使いました。それで、実際に未来の自分に電話を掛けてみました。5分後の自分に。でも、出ませんでした。5分後の自分なら確実に電話に出ているはずなのに。

 でも、ちゃんとその5分後に電話は鳴りました。あの時は緊張しましたね。5分前とはいえ、過去の自分から電話が掛かってきたんですから。電話に出て応答すると、いつもの様に頭痛に襲われました」


 天間くんは、私の研究結果から、私が気付かなかった産物を発見していた。そして残業しながら、独自にその技術を応用して別の発明品を作り出していたみたいだ。


「このことから、2つのことが分かりました。

 1つ。未来に電話を掛ける技術を開発できたこと。No.1121はあくまでも時間滞行をさせる物質なので、既に開発済みの時間遡行を併用すれば、過去の人は未来と会話が可能になるというわけです。千原さんの16年の研究をなぞったことで、更なる発見が得られました。

 2つ。やはり、未来なんて当てにならないということ。先程も言いましたように、これで過去の人が未来の人と会話が可能になりました。これは、電話を掛けたというのが過去でなければならず、現在進行形で未来に電話を掛けている人には何の結果も齎されません。その時点では、未来は創造されていないんです。俺が未来なんて信じられないって言うのは、これが理由です。未来なんて、今を生きる者にしてみれば、ただの幻想妄想、夢や暗示に過ぎないんです。そんな明らかに存在しないものに縋るくらいなら、俺は自分の手で未来を切り拓いてやりたいって思ったんです」


 天間くんは淡々と話し続ける。私の知らないところで、彼は彼なりに努力し、思い悩んでいたことを、もうこの世にはいない彼の口から知っていった。


「そんな未来なんて信じないとか、千歳には悪いこと言いましたけどね。

 その時間の千歳……元気にしてるんですかね。散々文句言われながらも三重に送りつけましたけど、居場所が監視されてる千歳は東京に居たら間違いなく奴等の餌食ですから、時間稼ぐために遠方に避難させました。無事だと良いんですけど」


 富永ちゃんは受話器に顔を強く押し付けた。天間くんは、これを本人が聞くことになるなんて思っていなかっただろう。


「……千歳と、最後くらいは一緒に居たかったなあ。喧嘩別れのまま死に別れとか凄く後味悪いですけど、あいつ言ってましたからねえ。『愛する人にまた逢いたいっていう強い気持ちがあれば、死に別れた人と再会できるっていうのを、千原さんは証明しようとしてくれてる』って。だから俺、千原さんを、そして、未来が見える千歳を信じてみます。今の電話が繋がっているということは、俺は過去の人間。きっと千原さんが出るまでに、電話が繋がってこうして話している未来を祈りながら死んでいった俺がいたんでしょう」


 その時、金属の軋む音がより大きく響き始めた。


「うわ……。シャッター抉じ開けに掛かってるんで、そろそろ限界ですね。

 さあ、千原さん、時ときは来ました。公衆電話の番号をお伝えします。メモのご準備を」


 私は急いで紙とペンを鞄から引っ張り出し、電話番号を書き留めた。


「ハッシュとスターのマークも忘れずに。お掛け間違いの無いようにお願いします。

 数分後に俺はこの通話グルから抜けますので、その間にあと二人の千原さんをこの通話に入れてください」


 暫くの無言の中に、研究室外の騒音が響いてくる。

 深呼吸を一つして、天間くんはまた声を発した。


「俺からは以上です。死後の世界を経由した先にあるパラレルワールドに先に行って、千歳を待ってます。

 千原さん、後は頼みました。世界を変えてください」




「あのバカ……。少しくらい相談しろよ……」


 富永ちゃんは泣き崩れていた。


「逢いに行かなくちゃね」

「成功しますか?」


 充血した目でこちらを見上げる彼女に、私は緊張の表情を返した。


「……掛けるよ」


 #03-3267-XXXX*2023-04-26-09-03-00と26回ボタンを押す。丁度10年前の同じ日を私はよく覚えている。あの日、電車が遅延していた。研究所に遅刻の電話を入れようと公衆電話を目指して走っていたら人にぶつかってしまい、相手の持っていたコーヒーが私の私服に掛かってしまった。そんな最悪な日だ。

 暫くのコール音の後、恐る恐るの応答が返って来た。


「良かった~、繋がった。ごめんね。驚かせちゃって。千原澄美子さんね? 落ち着いて聞いて。私の名前は千原澄美子。10年後のあなたなの。事情は後で分かるわ。急ぎの用なの。今から言う番号のボタンをそのまま押して、電話を繋いで」


 過去の自分の戸惑いを他所に、26桁をゆっくり列挙する。


「先ず右下のハッシュマーク、番号が059ー266-XXXX、次に左下のスターマーク、番号が2013-04-26-16-35-00」


 20年前の同じ日もよく覚えている。大学でできた友達と初めて名古屋に遊びに行った日だ。

 コール音が聞こえる。電話を掛けてくれた証拠だ。


「更に不思議なことが起こるけど、黙って聞いていてね」


 再び応答の声が返ってくる。その声は、さっきよりも少し若い同じ声だった。

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