第4話 2033年 進捗と葛藤
時間遡行の研究を始めて10年。我等が研究チームは技術の応用段階まで着手している。
例の特殊金属線No.1134をPCの一部に組み込めば、過去にメールを送ることができるようになった。時間もある程度は指定できる。
この実験での重要な決まり。送信先は研究室内のPCにのみ。そして、情報の有る中身を送信メールに書き込んではいけないということ。スクラッチの宝くじの当選番号やいつぞやの事件、災害なんて過去に知らせようものなら、何が起こるか分からない。未来に影響を及ぼさないように、慎重に実験を進めた。
では、時間を遡ってメールが届くということを認知しながらメールを送信したらどうなるのか。実験の結果がこちらである。
受信時間は14:55、送信時間は同日5分後15:00の設定の下、14:50から如何なる現象が発生するか待機してみた。しかし、14:55を過ぎても何の変化も起こらない。そして、15:00になったその瞬間、軽い頭痛が研究者一同を襲った。その頭痛が止んで平静を取り戻すと、研究者一同は14:55にメールが届いていたことに何の違和感も抱いていなかった。どうやら実行しなければ過去は変わらないけれど、実行した時点で頭痛を伴う記憶と状態の修正が行われるらしい。それは、修正が大幅であればあるほどに頭痛が激しくなり、修正されるまでのタイムラグが大きくなる。まるで地震の様だ。
十数年前の過去なんて書き替えでもしたら。それが、死んでいた人間を死んでいなかったことにするとしたら。脳溢血になるくらいの頭痛に襲われて、体が持たないかもしれない。
苦労や痛みに代えてでも就くんを取り戻したい。でもそれは、技術開発者として正しい技術の使用方法なのだろうか。研究者としての倫理観も問われてくる。
私を研究に専念させるモチベーションは、同時に、糾弾するに値する利己的な欲求でしかなかった。
蝶の羽搏き一つで未来が変わってしまう。人一人の死を無かったことにしたら、一体どれだけの影響を及ぼしてしまうのか。
私のしようとしていることは、生命倫理に反するのかもしれない。過去の書き替えが実現可能になっていくにつれて、予想もつかない未来の展開に不安を抱くことが多くなっている。私は、その不安に徐々に押し潰されていた。
「千原さん、どうしたんですか? 塞ぎ込んじゃって」
休憩時間でもないのにデスクに突っ伏す私は、相当思い詰めているように見えたのだろう。伏し目がちな私の視界の片隅に、心配そうな表情を浮かべる富永ちゃんが映っていた。
「私、間違ってるよね……」
「え?」
「やっぱり、私なんかの都合で過去を書き替えるなんて、駄目だよね」
「どうしてそう思うんですか?」
「時間を遡るなんて、ほんとにできると思ってなかった。実現不可能なテーマだからこそ、そこに科学としての夢やロマンがある。でも、もう書き替えが可能なところまで来てる。過去が替われば、不幸になる人がいるかもしれない。大切なものを失う人がいるかもしれない。こんなことなら、こんな技術、生み出さなければ良かった……」
助手の前では弱気にならないように努めてきた。けれど、日毎に募る鬱々とした感情の処理が追い付かない。誰にも相談できずに抱えてきたこの迷いと憂いは、行き場を失い、こうして不意に零れてしまう。
「千原さんが生み出した技術なんだから、千原さんには使う権利があります。使っていいと思います。愛する人にまた逢いたいっていう強い気持ちがあれば、亡くなった人と再会できるっていうのを、千原さんは証明しようとしてくれてるんですよ? ロマンチックじゃないですか。私は千原さんの夢が無事に叶うって信じてます。何年も頑張ってきたんですから、気にしなくていいんですよ」
「けど、私の幸せの代わりに誰かが不幸になるなら、私は心から就くんの復活を喜べない」
「そんなに心配しなくても良いんじゃないかと思いますよ。私には見えるんです。千原さんの明るい未来が」
「そんなの気休めだよ」
「見えますとも。オレンジ色です」
「へ?」
「優しい暖色なんで、きっと未来は明るいですよ」
富永ちゃんはそう言って、何かを迎える様に手をひらひらとさせた。彼女には、一体何が見えているというのだろう。
「まだそんなこと言ってんのか?」
天間くんの声と合わせて椅子の音が微かにキイイと鳴る。普段女子トークに見向きもしない天間くんが、いつもの回転椅子に座ったままこちらを向いたようだ。
「何年も前から言ってるじゃん」
「だから『まだそんなこと言ってんのか?』って聞いてんだ。科学者の癖に、そんなスピリチュアルなセンセーションを信じるなんて滑稽だね」
「頭使ってばっかじゃ機械と一緒だよ! 時には感覚に頼らなきゃ! そうやって人類は法則性を見出して科学してきたんだから!」
助手二人の小競り合いも、今に始まったことじゃない。思考の読めない天間くんといい、不思議なことを言い出す富永ちゃんといい、10年経ってもこの二人についてはまだ分からないことが多い。それでも上手くやっているから、喧嘩するほど仲がいいというのは的を射ているのだろう。
「見えるって言っても、天気予報士みたく、何処で何が起こるかまでは見えないんですけどね。共感覚?みたいな感じで、色の付いた靄っぽいのが私には見えるんです。だから、今と全く違う世界になったとしても、千原さんのせいで不幸になった人は現れないと思います。根拠は……無いですが……」
「はぁぁ」と今聞こえてきた溜息は、間違いなく天間くんの呆れた反応だ。富永ちゃんはそれに構わず「へへへ」と笑っている。その笑顔を見た自分の心が、少し釣られていくのを感じた。
「だと良いんだけど。この研究が大成して広く発表することになったら、きっとこの技術を使いたい人が殺到する。悪用する人も絶対いるし、私達の命も狙われるかもしれない。各所で過去の書き替えが妄りに行われてしまったら、未来はもっとカオスになるよね」
「ん~そうだと思います。カオス過ぎて私にもよく分かりません」
私が創る世界は、現在とどれくらい違うのか。そんな技術が乱用されてしまったら、どんな世界を迎えることになるのか。全く想像がつかない。それくらいに恐ろしい。
今後は我が産物とどう向き合っていくべきか。大きな課題を抱えながら、開発を進めていかなければならない。
「ま、それを管理していくのも俺等の仕事ですから」
キイイと微かに聞こえた後、天間くんは再びPCのキーボードを叩き始めた。私にあまり関心を示さないように見えていたけれど、ここまで鬱ぎ込んでしまった私を、流石に心配してくれたのかもしれない。
幾度の実験の末、過去に電話ができるようになったのは、それから間も無いことだった。試作品の電話機は、一昔前の固定電話を思わせるノスタルジックな構造。とても過去に電話できるような先進的な電話には見えなかった。
「大発明ですよ、千原さん! これはもう研究完成と見て良いんじゃないですか!」
「うーん、だけど、これじゃあまだ足りないんだあ……」
奇跡の発明に、富永ちゃんはテンション爆上がりしている。しかし、これだけでは私の目的を成し遂げることはできない。
まず、どうやって過去の就くんを起こそうか。当時の彼の連絡先は知らないから、直接連絡する手段は無い。ここは当時の私に一役買ってもらうしかない。
後はその通話方法。改良を重ねたけれど、現在の私から20年前、つまり、2013年の私に直接連絡することはどうしてもできない。No.1134が為せる電気信号の時間遡行は、どう頑張っても10年くらいが限界。こうなれば、連絡を仲介してもらう更にもう一人の私が必要になる。しかし、その仲介人の私がいる時代からの時間遡行が不可能。過去と通話できる電話なんて、2033年の今、ここにしかないのだから。
No.1134に頼るだけでは技術不足というのを結論とせざるを得ない。10年かけて摑みかけていた私の夢は、全てが振り出しに戻ろうとしている。
とはいえ、大発明なのは尤もだ。なんせ、過去に電話を掛けることができるのだから。
報告書の執筆は殆どを天間くんに任せてしまっているから、自分の文章構成能力が衰えていないか心配なところだ。胸を張って自慢できる功績だし、今日はちゃんと私が報告書を綴ろうと思った。
「あ、いいよ天間くん。今日は私が書いとくから」
出した道具を富永ちゃんと片付けていると、天間くんは既にいつものPCデスクで作業を始めていた。
「いつも書かせておいて悪いし、今日は私が——」
「いや、いいですよ。もう書き始めちゃいましたし」
そう言いながら、彼は手を止めない。カタタタタタタという高速音が、凄まじい速さのブラインドタッチを物語っている。
片付けの方が早く済んでしまい、私は天間くんの書く報告書の内容を覗き込んだ。
「あれ? 電話完成したこと書かないの?」
「報告する進捗は、現実よりも鈍足に進んでいることにしています。現状が知れたら騒ぎになって、研究が滞りますから」
分からなくもないが、せっかくの発明を黙っておくのは、もどかしくもあった。
「うちらは犬束所長に寵愛されてますし、研究支援が絶たれる心配もありませんから」
まあ、最後まで「こんなのできてました!」っていう特大ニュースを残しておくことも悪くないのかな。そう思うことにした。
キーボードを叩く音が止んだかと思うと、天間くんは報告書の送信を完了させていた。
「久し振りに皆で夕飯どこか食べに行こ? モグラみたいな生活してるから、たまにはパーッと地上に出たい」
「良いですね!」
「行きましょうか」
私の研究と夢は必ず大成する。そう信じて、今日もまた今日を終えたのだった。
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