第3話 2033年 江戸川駅に至るまで

 あれは2024年。今から9年前ということになる。その日もラボでゴールの見えない研究をしていた。闇雲に混ぜた金属や、普通はケーブルには使ったりしない希少金属なんかを使って、ただただ電球の灯りを点けていた。


実験日:2024年9月2日


     電源入れ時刻   点灯時刻


No.1120 10:50“00‘06  10:50”00’19

No.1121 10:53“00‘57     —

No.1122 10:57“30‘98  10:57”31’43


 何か法則やパターンが見出せれば、過去を操作できる手掛かりが得られると信じていた。各試験体のデータが入力されていく。しかし、何の発見も無い。いつもと変わらずに、ただ電球が光るだけ。


No.1132 11:37“40‘20  11:37”40’80

No.1133 11:41“00‘31  11:41”00’49

No.1134 11:45“10‘28  11:45”10’09


 突き刺す様な痛みが私の頭を襲った。灯りの見過ぎ。数字の見過ぎ。パソコンの見過ぎ。体を酷使するばかりで不毛な時間が過ぎていくのに嫌気を感じていた。

 はなから夢を見過ぎていたのかもしれない。また就くんに逢えるなんて、そんなの叶うはずはないんだ。もうモチベーションも枯渇していた。


 昼休憩を前に、ここで一旦切りを付けることにした。いつもの様に、PCが、入力したデータから電球が点灯するまでの時間を自動的に算出してくれていた。ぼおーっと眺めていると、最後の試験体にエラーが出ていることに気付いた。


「あれ? 1134番……」




 結局、休憩返上で再実験した。No.1134の金属だけは、何度やっても点灯時間が電源を入れた時間よりも早く表示される。そして、毎回頭痛がおまけに付く。研究員総出で調べた結果、原因不明の時空の歪みが発生している模様。頭痛はそれによる記憶の書き替えが行われて発生するものかもしれないということだった。


 生産性が無いと思われていた私の研究が遂に認められた。これで過去の書き替えも可能かもしれない。漸く一歩前進し、希望が沸々と湧いた瞬間だった。

 この研究の続きは、秘密裏に行われることとなった。本当に過去の書き替えが可能だとして、そんな技術が世に出回ったら、どんな悪用をされるか分からないからだという。


 それからというもの、研究機関の私に対する扱いは変わった。1回きりしか使わないような物資の調達を申請しても、二つ返事で物を与えてくれるし、高額な機械の導入を希望してみたら、数日後には何食わぬ顔でラボに安置されていた。勿論、これらの費用は研究経費で落とされている。

 研究機関から、私は今までさほど目を掛けられていなかった。にも拘わらず、今後に期待の掛かる結果を出した途端にこの好待遇だ。まるで胡麻でも擂り始めたかの様な組織の態度の変わり様に、「だったらもっと前から私を大事にしなさいよ!」という反発心と、「やっと私のこと、大事に思ってくれるようになったんだ……」という嬉しさが、私の中で鬩ぎ合っていた。

 そんなツンデレ感情を抑えつつも、「やればできるじゃない」と上から目線で組織を賛嘆し、私はこの恩恵の下でより一層の研究に邁進できることを楽しみにしていた。






 ところが、私への恩恵はこんなものでは終わらなかった。あの世紀の大発見から半年後になる2025年の春、私の為に特設の新しいラボが用意された。場所は、京成本線江戸川駅直結の地下研究所。アクセス良好で設備も完璧。ほぼ住めるくらい整えられた個室の宿直室まで完備されていた。

 これには、犬束さんという当研究機関のお偉いさんが特別な計らいをしてくれたらしい。私の研究に一番関心を抱いていた人だ。

 有り難いのではあるが、ここまで持て成されると、正直引いてしまう。ホームレスだったのが急に豪邸の家主になった気分だ。何か裏でもあるのかと疑念を抱いてしまう。そもそも、たった半年で地下にラボを開設することなんて可能なのだろうか。まさか、最終的に私の功績を横取りするんじゃ……。


「良かったんですか? 私一人にここまでして。他の研究員から不公平だって非難されません?」

「結果を出してしまえばこっちのもんだ。先進的な研究には先進的な環境が必要だろ? 文句言う奴には、結果出して見返してやればいいのさ」


 犬束さんは「ヒッヒッ」と笑って言った。

 彼はこの新設ラボの所長を名乗り出てくれたらしい。本当に私の研究の成就を願ってくれているのだろうか。「必要なものがあれば可能な限り取り寄せるし、施設の維持管理は私がやっておく。千原くんは思う存分自身の探求を行いたまえ」なんて言ってくれたから、私は強力な味方を獲得していたのかもしれない。


 もう充分なくらいなのに、私には更なる特典が齎された。4月になって私のラボ移転作業が完了した頃、とあるプレゼントがラボに送り込まれてきた。というより、彼等は訪ねてきたのだった。

 ドアフォンに呼び出されて玄関のカメラを覗くと、そこには私より歳下と思しき男女が開門を待っていた。


「初めまして。天間卓郎と申します」

「富永千歳です。私達、千原澄美子さんの助手として、こちらに出向してきました!」


 急な来訪に驚いたが、追い返す理由も無いので、彼等をラボに通すことにした。この施設は他の研究所とは隔離されているから、応援の人員は気軽に呼べない。専属の助手が必要なのも確かだ。


「助手が就くなんて聞いてなかったからびっくりしたよ」

「急に決まったことですからね」

「私達、千原さんの助手に立候補して来たんです! どんな雑用でもやりますので、何でもお任せください」


 研究はずっと個人で進めてきた。だから、就くんを失って以来、私は一人でいることに慣れてしまったのかもしれない。研究に情熱を注ぐことで、自身の寂しさを払拭してきたのだろう。


「うわ~! 立派な研究室ですね!」


 富永は荷物を手放して、ラボのあちこちを物色し始めた。


「休日以外でしたら、俺等はここに常駐することもできますので、仕事は何なりと」

「そんなに献身的に私に就いてくれるんだ」

「ええ。千原さんの監視も俺等の仕事ですので」

「監視って、私は囚人かい。そりゃあここのラボは地下で脱走しにくいけども(笑)」


 天間のボケと思しき発言に突っ込んだのだが、彼は私と目を合わすこともなく視線をスマホに移していた。まるで飼い主に関心の薄い猫の様な奴だ。


「千原さん! 千原さん! この機械は何に使うんですか?」


 一方の富永は、目に付く物の正体が知りたくて、私の元に駆け戻ってきた。まるで飼い主に構ってほしい犬みたいな子だ。

 天間卓郎と富永千歳。研究を手伝ってくれるというのは心強いが、こんな性格が正反対みたいな二人がコンビで来て気が合うのだろうか。


 新しいラボに新しいメンバーを迎えて、三人態勢で私の研究は再出発を迎えたのだった。




***




「千原さんは、好きだった人を蘇らせたくてこの研究を始めたんですか?」


 二人の助手の助けを借りて、より実用的な改良を進めていた時期だった。その日の帰り際、天間が私に質問した。依然に冗談めかして言ったのを覚えていたみたいだ。


「え? ま、まあね……」

「それだけなんですか?」

「それだけって?」

「もっとこう使いたいとか無いんですか?」


 夢を見ようと思えば幾らだって見られる。

 私達は日本の科学と未来のために一丸となり、過去の書き替え技術が実用的な形になるように取り組んでいる。しかし、実用的になっても実用して良いわけではない。そんなこと、とっくの昔に理解していた。


「実用化の未来とかあるんすかねえー」

「だから、何度も言ってるでしょ!?」


 思わず語気が強くなってしまった。びっくりした富永ちゃんが振り返り、一瞬の静寂が辺りに響く。


「未来に悪影響が出るかもしれないから、ほんとは過去なんて変えちゃいけないの。ほんとは……」

「分かりますけど、なんか惜しいですね」


 天間は特に動じることもなく、本日の研究報告書を私の代わりにカタカタと綴っている。


「一度死んだ相手とまた巡り逢えるなんて、凄くロマンチックじゃないですか。私は応援しますよ」


 富永ちゃんも会話に加わって来た。天間が溜め息を吐いた気がした。


「ごめんね。私の我儘なんかに大切な時間を割かせてしまって」

「良いんですよ。それが私達の任務ですから」

「面白いもん見れそうで、俺も楽しみです」

「……ありがとう」




 明日は休日。宿直しない私と富永ちゃんは、帰り支度を終えていた。戸締りの担当は、いつも居残っている天間が行うのがなんとなくの慣例になっていた。


「天間君ごめんね。いつも研究報告書任せちゃって。私の研究なんだから、本来私が書くやつなのに」

「今日一日を振り返ることで復習にもなりますし、新しい発見があるかもなんで。千原さんはもう休んでください」


 私のゴーストライターは、何食わぬ顔で作業を続けた。

 彼は何を考えているのかよく分からないところがある。けれど、研究に対する姿勢は人一倍熱心だから、信用に足る人物だと思っている。研究報告書なんて今日あったことの纏めなんだから、改めて私が中身を確認する必要はない。だから、後処理は彼に全任せしていた。


 多難の研究に進展を見出すこと10年。もう10年の時が経とうとしていた。実用化の兆しが明白になるにつれて、周囲からの期待も高まってきた。その反面、この技術の是非を問う私の中の葛藤もどんどんと膨れ上がっていった。

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