第2話 2013年 江戸橋駅

「今日は友達と寄り道するので晩御飯は要りません」たったそれだけを母に伝えたかったのに、携帯の充電が切れていてガン萎えしてる。これじゃあ写メも撮れない。


「澄美子まだガラケーなの? 時代はスマートフォンだよ?」

「携帯買うのもうちょっと待っとけば良かったんやけど、前のが完全に使えやんくなってさあ。携帯無かったら連絡できやんから仕方なく」

「で、結局今も充電切れで、連絡できやんと?」

「今日こそ充電器に刺してから寝る!」

「スマホは良いよ~」


 機能もさることながら、あのコンパクトな装いの中身がどんな構造になっているのか気になってしまう。単純にスマホを手に入れたいというか、ちょっとした分解欲求の方が澎湃と湧いていた。


「取り敢えず、そこの公衆電話で家に晩御飯要らないって言ってくるから待っとって」


 大学の最寄り駅に着いたうちらは、これから名古屋に向かうところだった。




 こんな失態を度々やらかすうちは、ガラケーがスマートフォンに乗っ取られつつある現代で、誰よりも公衆電話を使っている自信がある。それが習慣になっているのか、携帯の充電よりも多めの小銭を持ち歩くことが癖になっている。

 散々自慢されたスマホを友達から借りて、家に電話を入れることも考えた。が、まだまだ新品同然で大事そうに抱え持つ友達を目の当たりにして、使い方も知らないのに貸してくれと言い出すことは、ちょっと気が引けた。


 小銭入れを確認しながら、公衆電話の元へと歩み寄っていく。

 受話器を手に取ろうとした時、公衆電話が聞いたことのない悲鳴を上げた。

 ……え? ……。

 この鳴き声が、目の前の公衆電話に着信が来ていることを報せるものであることを理解するのに、何秒の間があったろうか。

 そもそも、公衆電話って鳴るの? 流石の私でもこんなの知らない。


 伸ばした手が数秒止まる。が、妙な理由で「やっぱりスマホ貸して」と友達に申告するのもややこしいから、仕方なく電話に出る。


「も、もしもし!?」


 受話器から緊張気味の声が聞こえた。びっくりしたうちは、一旦受話器を耳から離し、不審に辺りをキョロキョロしてしまう。

 再び受話器を耳に当てる。よく聴けば、電話の向こうは何だか騒々しい。工事現場か何処かなんだろうか。


「もし……もし? どちら様でしょう?」

「繋がった! あ、ごめんね。驚かしちゃって。千原澄美子さんよね?」


 得体の知れない誰かに名前を言い当てられて、背筋が凍り着く。


「まさか、呪いの電話?」

「はは、流石は私。リアクション一緒(笑)」


 何が面白いのか、状況が全く読み込めない。


「落ち着いて聞いて。私の名前は千原澄美子。20年後のあなたなの」

「……何を言ってるんですか?」

「だから、私は未来のあなたで、未来から過去のあなたに電話を掛けているの」


 相手は未来のうちを名乗っている。それが本当なら、未来のうちが過去のうちに電話を掛けているということになる。甚だ疑わしいけれど、この奇妙な事態に少々興味が湧いてきてしまったうちは、未来人澄美子からの話をもう少し聞いてみることにした。


「あ……うう、痛い……」

「どうしたの?」

「急に頭が……」

「2023年の方か。記憶の修正による頭痛よ。時期に和らぐから」


 うちを置き去りにして電話口から会話が聞こえる。けど、聞こえてくるのはうちの声だけだ。


「誰と喋ってるんですか?」

「10年前の私。だから、あなたから見ると10年後のあなた」

「はい?」

「私が2033年から電話掛けてて、2023年の私に仲介してもらって、2013年の私であるあなたに繋がってるの」


 モウイミガワカラナイ……。


「確認がまだだった。千原澄美子さんだよね? 時は2013年4月26日。場所は江戸橋駅で合ってる?」

「ええ……、そうですが」

「よしっ! 遂に繋がった! あ~長かったなあ……」


 何かの感慨に浸っているのか、言葉が返って来ない。電話の相手が未来のうちなのかも疑わしいけれど、声や喋り方からして信憑性はあった。

 耳を澄ましていると、気付けば先程の工事現場の様な電話越しの喧騒は消えていた。


「懐かしいなあ江戸橋駅。通称三重大学前駅。あの頃はこんなになるなんて想像もしなかった。工学部大変でしょう? 女子少ないし。友達作るのに必死だったなあ」

「あ、あの。何で未来のうちが、過去のうちに電話を?」

「あ、そうだった。これから私が言うことをしっかり聞いて。絶対に守って。約束してね。メモの準備して!」


 うちの理解が追い着く前に、電話の相手は一方的に話し掛けてくる。よく分からないままに、うちは鞄からノートとペンを取り出した。未来から電話をしてくるくらいなんだ。きっと余程重要なことなのだろう。


「あなたにやってほしいことがあるの」


 うちはゴクリと唾を飲み込み、ノートにペンを構えた。


「来月の5月10日5:30、サンハイツ江戸橋の203号室に行ってピンポンダッシュしてほしいの」

「……」

「あれ? もしもーし?」

「悪戯なら切りますよ?」

「いや、ほんと! マジマジ。マジで言ってる。あなたがピンポンダッシュしてくれないと、その部屋の住人が昼まで目を覚まさないの。お願い! 頼まれて!」


 前言撤回。しょうもない要件だった。

 まあ、このままブツリと切るのも薄情なので、もう少し話を聞くとしよう。


「何の為に?」

「それは言えない」

「……そんなことして意味あるんですか?」

「ありあり大あり! バタフライエフェクトって知ってるでしょ? 蝶の羽搏き一つでも世界が大きく変わっちゃうんだから」

「わざわざ未来からする頼み事とは思えやんのですが……」

「あなたの行動には未来が懸かっているの。お願い! 未来の自分を助けると思って!」




 幾つかの注意事項を受けた。誰かにこのことを話してはいけない。部屋の住人には決して会ってはいけない。本来のうちは寝ている時間だから、その時間に任務以外の行動を取ってはいけない。任務遂行の後、自宅に直帰し、再び就寝。そして、いつも通り8:15に自分の目覚ましが鳴るのを待ち、何事も無かったかの様に日常を送り続けること。

 要するに、未来が変わってしまうから、ピンポンダッシュ以外の余計なことはするなということだった。


 朝っぱらから迷惑な怪行動を唆されたが、未来のうちの頼みともなれば断りにくい。


「ね、簡単でしょ?」

「そうやけど、朝早いなあ」

「あなたまで寝坊しないでよね」


 未来のうちから電話が掛かってきたなんて、いまだに絵空事の様だ。

 ということは、今のうちもまた、同じ道のりを辿っていくのだろうか。


「じゃあ、しっかりね! お願いね!」

「あ、あの、うちも20年後電話せないかんの?」

「あ、それは気にしないで」

「どうやって、何処から電話掛けてるの?」

「それは言えない。未来が変わっちゃうからね」

「え、でも、うちもあなたのした通りにしないと、未来が変わってまうんやよね?」

「大丈夫。なるようになるから。それより——」


 相手の声のトーンが変わった。


「約束してほしい。任務を遂行した後は、この電話をしたことも綺麗さっぱり忘れて。無闇に思い出さないで。絶対だよ」

「忘れろなんて無茶ですよ」

「バタフライエフェクト。あなたの行動が本来と僅かに違うだけで、未来が大きく変わってしまうの。過去が変わったら、過去と未来の間で時空が大きく歪んで未来が修正される。最悪、私が死ぬ未来になるわ」


 スケールの大きさを感じて、私は漸く事の重大さが分かってきた。


「分かりました。ちゃんとやって忘れます」

「うん。お願いね」

「あの、あなたは、この後、どうするの?」

「私にも分からないわ」


 未来は存在する。そんなの誰だって分かり切ったこと。でも、いざ目の前にしてみると、あまりにも漠然とし過ぎている。


「過去を変えるってことは、今のうちがあなたになって、過去のうちが今のうちになるように、そうやってループしていくんやよね? 答えも分からんのに、うちはあなたと全く同じ道を歩んで行けるんかなあ?」

「全く同じことをする必要は無いよ。未来に雁字搦めにならなくても、自分が思うように生きれば良い。未来なんて信じたって当てにならないんだから」

「……」

「答えは決まってるんじゃない。あなたが進むこれからが、答えになっていくんだよ」




 突然に自分の未来を突き付けられて、不安に苛まれてしまった。でも、自分らしく在ればそれで良い。未来の自分からエールを貰えたと思うと、少し前向きになれた。


「ありがとうございます。うち、頑張ります。絶対に失敗しやんので!」

「『しやん』って懐かしい。20年前は一人称『うち』だったんだなあ。私はもう言わなくなっちゃった。東京に染まっちゃったのかもね」


 未来のうちを名乗る電話の相手は、少し笑っていた。


「私も安心したよ。そろそろ時間だから、電話切るね」

「うん。元気でいてね」

「あんたこそね。じゃあ、20年後で健闘を祈ってるよ」




「未来はどうなるか分からない。だから面白い」とはよく言ったものだ。結局、今の電話で少しは予想ができてしまうけれど、メモしたこと以外は忘れよう。


「『あなたが進むこれからが、答えになっていくんだよ』か……」


 私はもう1つ、忘れたくないものをノートに書き加えた。






「澄美子~、電話長い~。いつまで話してんの?」

「ごめんごめん、ちょっと話し込んじゃって」

「それで、親からの了承は取れたの?」

「……」


 さて、あの会話をどう誤魔化そうか。

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