第6話
目を覚ますと見知らぬ部屋のベッドにいた。ヴィオレットは痛む頭に触れようと手を動かす。そして、自分が縛られていることに気が付いた。手足を縛られていて身動きが取れないヴィオレットは、自分を拘束する縄を解こうとベッドの上でもがく。
どんっ。
ベッドから不格好に落ちる羽目になったヴィオレットは、一度全身を脱力させて溜め息を吐く。このまま我武者羅にもがくだけでは駄目だ。
どうしようかと思案していた時、扉がノックされることなくガチャっと開いた。
「あっ。アスターさん!」
慌ててベッドの上に戻してくれた人をヴィオレットは知っていた。
「デュッケさん……」
先の事件で王城を出て、フューラー邸に勤めることになった使用人のデュッケだ。彼女はヴィオレットに何と声を掛けて良いのかわからずに口ごもる。
「無理に話さなくて良いです。ここがフューラー邸ということは確信しましたから」
「すみません……」
いくらエルガーがデュッケを送り込んだとはいえ、彼女一人でどうこうできる問題ではないだろう。ヴィオレットは痛む頭を抑えようとして、再び縛られていることを実感した。
そこに、不機嫌そうな足音が響いてくる。
「デュッケ! 目が覚めたらすぐに報告しろと言った筈だ」
部屋に入ってきたブレンに飛び上がったデュッケは、慌てて何度も頭を下げる。そして彼の「下がれ」の一言で、逃げるように早足で部屋を出た。
「ヴィオレット、気分はどうだ?」
「……良くはありません」
「そうだろうな。あの馬鹿が強く殴りすぎた」
ブレンはベッドまでやってくると、ヴィオレットが殴られた場所を確認する。髪を掻き分けた指が傷口に触れると、激痛が走った。
ヴィオレットが唇を噛んで痛みをこらえていることに気が付いたブレンは、傷口を強く押す。
「君は痛みに声を上げないんだな――ああ、傷口が」
傷口からじわりと血が滲み、ブレンの指先を汚す。ブレンはそれを暫く眺めていたが、ふと思いついてヴィオレットの唇で拭った。
「顔色が悪かったから丁度良かった」
「……なぜ、こんなことを」
「あの瞬間、グラスに毒が入っていることに気が付いた君ならば、わかっているだろう? 量は少なくしていた。殺すつもりはなかったからな」
「…………」
「優秀な女は好きだが、シュヴァルツの手垢がついているのが気に食わない。私の手足になれ」
非の打ち所がない笑顔だった。
「そのような態度で、今まで数多の女性を手込めにしてきたのですか? 男を見る目のない女が多かったのですね」
「女として扱われたいのか?」
笑顔を潜めたブレンは、そっとヴィオレットの頬に触れる。その瞬間、ヴィオレットは肌がゾワリと粟立ったのがわかった。
「シュヴァルツは、君を女として扱っているのか? 確かに、君を女として扱わないのは男ではないな」
「やっ……」
そのまま首をなぞって身体に降りてきた手に恐怖を覚え、ヴィオレットの身体は硬直する。
「怖いのか? シュヴァルツには大事にされているようだな。その方が都合が良い」
ブレンはヴィオレットのドレスをたくし上げる。ヴィオレットの息が止まる。それを見て、良い表情だとブレンは喜んだ。
「良い写真が撮れそうだ。あの鉄面皮が君を取るか立場を取るか、見物だな」
上機嫌でカメラを取りに行くブレンの背中を、ヴィオレットはただ見ていることしかできなかった。
窓の外が暗くなった頃、デュッケがトレーに食事を乗せて部屋にやってきた。彼女は何もできない自分の無力さを恥じて、ヴィオレットと視線を合わせることができない。
「デュッケさん、それは私の食事ですか?」
「……はい」
「パンをちぎって食べさせてくださいませんか?」
「…………はい」
デュッケはパンを一口大にちぎってヴィオレットの口に運ぶ。ヴィオレットはパサついた口内でゆっくり咀嚼する。その間、デュッケは俯いたままだった。
パンを飲み込んだヴィオレットは、デュッケに礼を言う。この状況を打破する為には、彼女の力が必要だ。だからこそ俯いたままでは困る。
「デュッケさん、私は大丈夫ですから」
「でもっ」
「大丈夫」
ヴィオレットはそう笑って見せる。そして、彼女の頭を撫でる代わりに、そっと額をぶつけた。
「ううっ……ごめんなさい……」
「泣かないで」
デュッケは唇を噛んでどうにか涙を堪える。それを見て、ヴィオレットはヨシヨシと額を二回ぶつけた。
「デュッケさん、今、どんな状況かわかりますか? 私は殺されてしまうのでしょうか?」
「うっ……ひっく」
泣くのを堪えるのに必死で、言葉の出てこないデュッケに苦笑したヴィオレットはパンをねだって口を開ける。話ができないのなら食事だけでもした方が良いと思ったからだ。
ヴィオレットはパンを食べさせて貰いながら、返事を期待せず独り言の様に話す。
「こんな最期になるなんて思ってもみませんでした。どうせ死ぬなら、アンネマリー様の為に死にたかった。私、昔から彼女の遊び相手をしていたんです。デュッケさん、知っていました?」
首を横に振ったデュッケを見て、ヴィオレットはアンネマリーの話を続けた。
暫くしてデュッケが泣き止む頃には、ヴィオレットパンも食べ終わっていた。
「デュッケさん、お話しできる?」
「……はい、すみません」
「私がこれからどうなるか、シュヴァルツ様に何をしようとしているかわかりますか?」
「多分……ブレン様、シュヴァルツ様に陛下を殺せって。そうじゃなきゃ、アスターさんを酷い目に遭わせるって……!」
「なんだそんなこと」
思わず口を突いて出た言葉に、デュッケは絶句した。それを見て、ヴィオレットは慌てて弁明する。
「シュヴァルツ様なら陛下を守ってくださるでしょうから、心配は要らないという話です。大丈夫です」
「な、何が大丈夫なんですか! アスターさん、死んじゃうかもしれないんですよ!」
「私の命は王家のものです」
「違います! シュヴァルツ様のクズ! ろくでなしだって思ってました!!」
憤るデュッケをなだめるヴィオレットはいつもの様に、エルガーの性根は優しい人なのだと弁明する。すると、デュッケは懐から取り出した物をヴィオレットの鼻先に突きつけた。
「恋人を見捨てる様な男の性根が優しい筈ないです!」
デュッケが手にしていた物は、ヴィオレットが密かに手帳に挟んでいたエルガーの写真だった。
「ブレン様に見つかって、これしか……」
ヴィオレットの為を思って、役立つものはないかと荷物を漁ったデュッケが唯一持ち出せたのがその写真だった。
「こんな男の写真なんて!」
「やめて、違うの! 私が、私が勝手にっ」
彼のことを好きなだけ。そこまでは口に出せなかった。ヴィオレットの目からポロポロと涙が零れ落ちる。
「ア、アスターさん、泣かないで……ごめんなさい……」
ヴィオレットはデュッケに言われて、自分が泣いていることに気が付いた。それと同時に、エルガーに助けて欲しいと願う自分がいることに気が付いた。
涙を堪えきれずに俯くと、デュッケがそっとヴィオレットを抱き締めた。
「アスターさん……今だけ私のことシュヴァルツ様だと思って良いですよ」
「こんな、に、ちいさくないです」
「文句は聞きません。シュヴァルツ様はきっとアスターさんを助けてくれます。駄目なら殴りに行きましょう! 怖いのなら、一緒にお屋敷まで行ってあげます!」
いつかと逆転してしまった立場に惨めになったが、デュッケの言葉は確かにヴィオレットの背中を押した。
デュッケが出て行って一人になった部屋でヴィオレットは思案する。
そして、方法を思いつく。この方法であれば、自分も生き延びることができるかもしれない。鍵は、マンドレイクだ。
翌朝、ヴィオレットは部屋に様子を見に来たブレンに紙とペンを懇願した。勿論、エルガーにそのまま手紙を書く訳ではない。そんなこと、ブレンが許すはずもない。
そこでヴィオレットは、誓約書を作りたいのだと言った。
「誓約書?」
「はい。昨晩、デュッケさんとお話しました。せめて彼女には、貴方から離れて、田舎に戻って静かに暮らして欲しいのです。それで、私が死ぬ前にデュッケさんに私の財産の一部を譲渡したいと思います」
「君のバッグを漁って金品を探す女だが?」
ヴィオレットには、それがバッグを漁った時の言い訳だったのだとわかった。昨晩デュッケが持って来てくれた写真は、今は胸にある。昨晩、彼女がヴィオレットの下着に挟み込んでいた。
「デュッケさんは、人のバッグを漁ったりしません」
「……そうか。田舎まで無事に帰れるかはわからないが、それでも良いのなら持ってこよう」
部屋を出て行くブレンの背中を見送って、ヴィオレットは安堵する。この提案が通らなければ、話にならなかった。あとはデュッケとエルガーを信じるだけだ。
すぐにブレンは紙とペンを持って戻ってきた。そして傍らにはデュッケもいる。どうやら、誓約書を書く所を見るつもりらしい。
ヴィオレットは寝る前に決めていた文言を紙に書き出す。
私財の二割をデュッケ、もしくはその家族に譲渡する。
私財には栽培している植物も含む。
特に高価な薔薇、ダリア、マンドレイク、ジギタリスはデュッケに譲渡する。
そして、ヴィオレットは最後に自分のサインを入れた。
「デュッケさん、これどうぞ」
「これは……?」
「私の財産の一部を貴方にお譲りします。これで、田舎に帰ってください」
「そ、そんなっ」
デュッケはこんなもの貰えないと誓約書を突き返す。
「デュッケさん、あまり蓄えが多い訳ではないから、私が育てている植物も譲渡します。ここに書いているのが高値で売れそうなものです。株分けして育てても良いと思います。育て方が難しいので、ちゃんと資料も持ち帰ってくださいね」
「…………」
「それと、一つだけ我が儘を聞いて欲しいのです」
「我が儘?」
「私の育てた花を、薔薇の一輪で良いの……それをシュヴァルツ様に、エルガーさんに渡して頂けませんか?」
そう言って笑うヴィオレットを見て、デュッケは下唇を噛む。本当は彼女から直接渡して欲しい。だが、それができるかどうかはわからない。このまま、彼女が気持ちごと死んでしまうのは嫌だ。
「わかりました! アスターさんのこと助けないと、絶対許さないって言ってきます!」
「そこまで言わなくて良いのだけれど……」
「構わない。あの男の後押しになるはずだ」
「彼が陛下を殺すことはありませんよ」
「どうだろうな」
ブレンはヴィオレットの笑顔を強がりだと笑う。実際、強がりの部分もあった。ただ、エルガーであれば、誓約書の内容から感じ取ってくれると信じていた。
ヴィオレットが他人に花を株ごと贈ることは稀である。彼女は毒にもなる薬草を数多く所有しているからだ。贈るときは毒のない花だけを切り取ることが多い。いくらデュッケに気を許していたとしても、育てている植物、ましてやその資料を手放す筈が無い。
この内容をエルガーが知れば、きっと疑問を抱くはずだ。そして、マンドレイクの資料を見れば気が付くはずだ――マンドレイクに含まれる毒で、見せかけの死を作り出すことができると。
それが、誰も死なない可能性のある道だ。
* *
窓の外が暗くなった頃、屋敷に響く怒声と慌ただしく駆け回る足音が響いた。喧噪の中にデュッケの声を聞いたヴィオレットは、ゆっくりと目蓋を下ろした。
「アスターさんはこっちです!」
その声から少しして、兵士が部屋になだれ込んでくる。
「いたぞ! アスターさんだ! アスターさん、大丈夫ですか!?」
「……気付いてくれて、良かった」
安堵したヴィオレットは、そのまま気を失う様に眠りに落ちた。
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