第4話
翌朝、ヴィオレットは休日を返上して仕事に戻っていた。今回の件が、デュッケの下心によって引き起こされた事件だと流布するためだ。
業務開始時間前、ヴィオレットはアンネマリー専属の使用人達の控え室に赴き話をする。
「今回の件でデュッケさんは暫くお休みになります。皆さんも、得体の知れない東洋人にはお気をつけて」
「恐ろしいですわ。東洋人って皆そうなのかしら」
「それは言葉が過ぎますよ」
「アスターさんの言うとおりよ。ブレン様だって、東洋人のご友人がいらっしゃるそうじゃない」
姦しく話す使用人達を残して、ヴィオレットは控え室を後にする。あのまま部屋にいたら、うっかりブレンを悪く言ってしまいそうだと思ったからだ。今回の件に関して、ヴィオレットは不満を募らせていた。
デュッケがブレンから貰った薬が毒だと判明した後、エルガーはブレンを糾弾しないことに決めた。まだ言い逃れができると踏んだらしく、もう少し泳がせていたいというのが理由だった。ヴィオレットは反発したが、エルガーはそれを聞き入れなかった。
そのことに加えて、エルガーはデュッケをブレンの屋敷に送り込むことに決めた。きっと今頃、彼の執務室に赴いて「デュッケが不憫だとアンネマリー様が仰っています」と理由をつけて説得している所だろう。
こちらはこちらで話を合わせなくてはならないと、ヴィオレットはアンネマリーの部屋へ向かった。
「――そうだったの。デュッケさん、わたくしのためを思ってくれたのに……でもブレンの屋敷で働けるのなら良かったわ」
ことのあらましを聞いてホッと胸を撫で下ろすアンネマリー。
「アンネマリー様、今後使用人から贈り物を受け取るのはおやめください」
「……相手からの善意を無碍にするだなんて」
「アンネマリー様のお立場では仕方ないことです。気に病むことなどありません。どうしても断れないと言うのでしたら、頂いたことをできるだけ周囲に話す様にしてください」
「そうよね。贈りものを相手が嬉しそうに周囲に自慢してたら、嬉しいわよね。これからはそうするわ」
そう言って、アンネマリーは微笑む。そして一拍置いて、クスクスと笑い出した。よく笑う人ではあるが、なぜ急に笑ったのかわからないヴィオレットは首を傾げる。すると彼女は昔のことを思い出したのだと言った。
「昔ね、ヴィオレットが、わたくしの作った花冠を皆に自慢してくれて嬉しかったの」
ヴィオレットはアンネマリーの言葉に、幼い頃を思い出す。
あの頃はまだアンネマリーが塞ぎ込んでおり、ヴィオレットは毎日庭で摘んだシロツメクサを使って花冠を編んで彼女に贈っていた。ある日不意にアンネマリーは花冠を作ってヴィオレットに持ってきた。見様見真似で作ったそれは歪な冠だったが、ヴィオレットは嬉しそうに頭に載せると周囲の大人たちに自慢して回った。
その日、アンネマリーは照れ笑いをして、笑顔を取り戻した。ヴィオレットも、草花をより愛するようになった。
「懐かしいわ……」
「はい。あの時の花冠は、今でも私の部屋にあります」
「そうなの? もう枯れてしまったのではない?」
「枯れてはいますが、思い出は残っていますから。私の母は父から貰った花などは枯れても手元に残していますよ」
「私も取っておけば良かったわ」
悲しそうな表情をするアンネマリーを見て、ヴィオレットは思わず笑ってしまう。幼い頃、花冠が作れなくなる冬には、毎年こんな表情をしていた。
「花が咲くころに、また作って差し上げますから」
「絶対よ?」
当時と同じ約束をして、指切りする。
「ではアンネマリー様、私は仕事に戻ります。まだ体力が戻り切っていないと思うので、ゆっくりお休みになってください」
アンネマリーとの別れを名残惜しいと思いつつ、ヴィオレットは部屋をでる。そして、廊下をエルガーの執務室へと向かった。
エルガーの執務室をノックしかけた時、内側から扉が開いた。そして、中から出てきた人物を避け切れずにぶつかる。数歩後ずさったヴィオレットは、それがブレンだと気が付く。彼は機嫌が悪そうに顔を歪めていた。
「フューラー様、申し訳ありません」
ヴィオレットが姿勢を正して謝ると、ブレンはすぐにいつもの朗らかな笑みを浮かべた。
「すまない、アスターさん。怪我はないか?」
「はい。フューラー様も、お怪我はありませんか?」
「私は大丈夫だ。ところで君は、しばらく休暇を取ったものだと思ったが」
「今日から仕事に戻ります」
「そうか。シュヴァルツにこき使われて大変だな」
「いえ。シュヴァルツ様はああ見えて優しい方ですから」
「そうか」
ブレンは「想像が付かないな」と言い残して立ち去る。そう思っていたのはヴィオレットも同じだった。目の前のこの男が、アンネマリーやデュッケを殺そうとしたとは思えなかった。
気を取り直してヴィオレットは扉をノックする。
「シュヴァルツ様、ヴィオレット・アスターです」
「どうぞ」
部屋に入ったヴィオレットは机の上に置かれた手付かずの紅茶に気が付く。
「ああ、勘付いたのかフューラーは手を付けませんでした」
「毒を盛ったのですか?」
「いえ、泡立てておいただけです。デュッケが渡された毒は、少量でも混ざっていたら泡立つようです」
「なるほど」
ヴィオレットはティーカップを手に取って眺める。細かい泡が表面に浮かんでいた。この手の毒は用心深い人間には使えないだろう。
「それにしても、これで良かったのですか?」
「何か気になることでも?」
「ブレン・フューラーを王城から追放すべきでは?」
「今のままでは不慮の事故で片付けられてしまいかねませんよ。アンネマリー様に盛られた毒は少量では確かに薬として用いますし、デュッケに渡した毒はわかりませんが、宮中伯と若い使用人で若い使用人の肩を持つ人間は少ないでしょう」
エルガーの言わんとしていることはわかるが、ヴィオレットは飲み込めないでいた。
「今はアンネマリー様の無事を喜びましょう。王家のため――それが、我々の使命ですから」
「……使命、ですか」
「私の命はアンネマリー様の為にあります。貴方は違うのですか?」
「いえ、私も同じです」
「やはり信頼できる部下は貴方だけです」
ヴィオレットはエルガーからの信頼を嬉しいと思いながらも、どこか心がささくれていた。
幼い頃から恋心を寄せているエルガーの命がアンネマリーのものだというのは、本音を言うと、少しだけ嫌だったのだ。ヴィオレットは自分の命をエルガーに捧げている。それが、思いを秘めた彼女ができる最大の愛情表現だと思っていたからだ。
「ああ、そうだ。今日は屋敷に戻るのが遅くなりますので来なくて構いません」
「何か仕事が立て込んでいるのでしたらお手伝いします」
「立て込んでいるわけではありません。アンネマリー様に、寝付くまで話し相手になって欲しいと言われたものですから」
「そういうことでしたら私が……」
「私も王女の寝室に男が入るのは良くないと思ったのですが、陛下も構わないと」
「そ、そうなのですね」
ヴィオレットの表情が強張ったことに気が付いたエルガーは、男の方がいざという時に戦えるというだけの理由だから心配ないと声を掛ける。彼は、アンネマリーが自分を選ばなかったことに傷付いていると思っている様だった。
「アスター、貴方も夜は暫く休んでください。また落ち着いた頃に声を掛けます」
「……わかりました」
「そんな顔をしないでください。アンネマリー様は貴方を気に入っていますし、貴方もアンネマリー様のお役に立てていますから」
「良かった……」
良かった――しかし、それと同じくらいに、いや、それ以上に、エルガーに気に入られたいし役に立ちたいと思っていた。それでも、この気持ちを伝えることはしない。彼に嫌われてしまうかもしれない。側にいられなくなってしまうかもしれない。そう思うと、これで良かった。
帰り道、ヴィオレットはうっかりアーチ橋を超えてシュヴァルツ邸まで行ってしまわない様に歩く。夜の寒さが、いつもより身に沁みた。
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