◆7

 ジーンが向かったのは303号室だった。


 扉をノックすると、開けてくれたのはケード刑事で、その他にも応援に呼んだのかもう一人の刑事がいた。一緒についてきたバクスター警部と目配せし合う。

 その他には、ローズウッド材の椅子に腰かけた二人のメイドがいた。


「ジーン? あの、これは一体……」


 戸惑うエマと、息を呑んでいるレイチェル。

 レイチェルは、椅子から立ち上がることもできずに震えていた。後ろに控えるクレメンスのせいだろう。


 ジーンは二人のメイドを見比べ、首を振った。


「一人は、次に殺される危険があるから保護してほしい、もう一人は、殺人犯だから軟禁してほしいと頼んでおいた。この段階でもまだ自分からは何も言わないのか?」


 二人のメイドは黙っていた。エマはレイチェルを見遣り、それから困惑したように首をかしげた。


「ジーン、どういうこと?」


 ジーンは苛立ちと苦悩とを混ぜ込んだ声で言い放つ。


「どういうことか、あんたが一番よく知ってるんじゃないのか? なあ、エマ」


 この時、エマの顔から表情が消えた。

 しかし、彼女は地味で目立たない、舞台上では端役のような女性だ。そんな大それたことを計画するだろうかと、信じられない思いでアデルは立ち尽くしていた。


「私が何を知っていると言うのかしら?」


 臆するでもなく、エマの声は普段と変わりない。

 やはり、ジーンの勘違いではないのか。

 レイチェルの方が口も利けないほどに怯えている。犯人はレイチェルのはずだ。


 しかし、ジーンははっきりとした口調で言った。


「ノーマとデリック・ミルトン氏を殺した手口」


 摘発の言葉を、エマはまるで的外れなことを言われたかのようにきょとんとして聞いていた。


「私が? 二人を殺しても私にはなんの得もないわ。どうしてそんなことを言い出すの?」


 確かに、ノーマを殺す動機はこじつけて用意できても、デリックとの接点がわからない。

 ――いや、ノーマとデリックとが異母兄妹であったくらいなのだ。どこかに埋もれた繋がりがあっても今さら驚くべきではない。


「ミス・ガードナーとデリックは異母兄妹だったの。デリックは遺産を渡したくなくて、ミス・ガードナーを消したいと考えていた。あなたが毒を盛ったのでしょう?」


 アデルは口を挟んでしまった。

 けれど、聞くのが怖い。デリックは姉の婚約者だった。


 それなのに、エマと共謀して殺人を企てていた。そこまでするのなら、エマとデリックの関係はかなり親密であったと考えられる。

 デリックは、姉を裏切っていたと。


 それなのに、エマは穏やかに笑っていた。その表情に、姉に雰囲気が似ていると感じたことを思い出す。


「まさか。それならば何故、ミスター・ミルトンまで殺されるのですか? 誰が言い出したのか知りませんが、言いがかりでしかありませんよ」

「言いがかりなら、そんな笑顔で受け止めないだろうね」


 と、クレメンスがアデルの背後からポツリと言った。

 エマは目を瞬かせたが、また苦笑する。


「接客業をしていると、笑顔を保つ癖がつくんですよ」


 穏やかで控えめな笑顔。

 特別美人でもない、どこにでもいるような顔立ち。

 この平凡な女性が二人も殺したというのか。


 アデルは未だに信じがたい思いでエマを見つめた。


「あんたはミルトン氏に従いながら、彼を殺す機会を窺っていたんだな。そうとは知らない彼は、あんたが提案したままに動いていた。それが自分の首を絞める結果になるとも知らずに」


 ジーンが言っても、エマは微笑んでいる。何を言っているのかわからないとばかりに。


「ミルトン氏は、マルグリット・ダスティン嬢の婚約者だ。だが、彼は彼女を利用した」


 ここでジーンは一度だけアデルの方を見て、それからまたエマと対峙する。


「あんたはマルグリット嬢にニコチンを摂取させ、体調不良を引き起こさせた。それによって、ミルトン氏は自然にこの舞台ホテルへ登場して、自分でノーマが死んだことを確かめられた。ノーマが自分の出自に気づいていないか、他の従業員たちにも探りを入れていたらしいな」


 小説の探偵に憧れていると言いながら、事実はそんなに可愛らしいものではなかった。ひどいものだ。

 しかし、デリックは想像以上にひどかった。


「遺産が近いうちにすべて自分に転がり込むのがわかれば、身勝手な彼は現在の婚約を解消したくなったと仮定する。殺人が行われたホテルで、不幸にも自身の婚約者までもが魔の手にかかる――そんなシナリオを思い描く」


 そんな、まさか、とアデルが声にならない言葉を零したが、誰の耳にも届かない。ジーンだけには届いていたかもしれないが。


「ミルトン氏はエマと共謀してマルグリット嬢を殺そうとした。そのために彼は自発的に、自分が殺される下準備をしてしまったんだろう」


 二人とも、互いのことを愛してはいない。それは感じていた。

 けれど、デリックの方は愛していないどころではなかった。邪魔に思っていた。あんなにも優しい姉を――。


「レイチェル、あんたが給仕したんだから覚えているだろ? 彼はどういう注文をつけた?」


 ここで呆けていたレイチェルはハッと気を取り直し、震える拳をもう片方の手で抑えながら懸命に語った。


「ひ、一人分だけミルクをあたためて持ってきてほしいって。マルグリット嬢は紅茶が冷めるから、いつも温めたミルクを入れるんだって。大人しい方だからそういう要望を言うのが苦手で、今までは言わなかっただけだって。でも、彼自身は温めたミルクは臭みが強くて飲めないから、それぞれ分けてほしいって……」


 猫舌の姉がそんな注文をつけたためしはない。それは家族のアデルがよくわかっている。明らかに嘘だ。


 この時になって、そういえばミルクピッチャーがふたつ別々にあったのを思い出した。

 同時に淹れて飲むのだから、本来なら二人分を分ける必要などなかったのに。


「ミルクを温めて運ぶ時、エマも近くにいたんじゃないのか? それだけじゃない。ここ数日、304号室へ飲み物を運ぶ前にどこかでエマと鉢合わせていたはずだ」

「そ、そうだったかも……」

「エマは普段から、あんたがティーセットを整えているとよく手伝ってくれたはずだ。今回だけ急に手伝ったら印象に残るからな。普段からあんたがエマの手出しを自然と受け入れられるようにしていたと考えられる」

「そんな……」


 もしジーンが考えた通りなら、エマがこの事件のシナリオを思い描いたのはつい最近のことではない。

 二人を殺すためにレイチェルを上手く使いたいと考えていたことになる。その計画性が恐ろしい。


「ミルトン氏はエマから、温めたミルクの方に毒を入れるから、担当のレイチェルにそういう要望を告げろと提案されたんだろう。こうしてマルグリット嬢を殺害しようとしたが、毒が入れられたのは温めないミルクだった。彼は自分の方に毒が入れられているとは疑っていなかったらしいな。自分は殺人を企てる側で、殺されるなんて夢にも思っていなかったとしたら……死者に手厳しいことを言うが、滑稽だ」


 ずっと黙って成り行きを見守っていたケード刑事が口を挟む。


「砒素は片方のミルクピッチャーとミルトン氏のカップから検出されました。事件の直後にマルグリット・ダスティン嬢とメイドのファラさんの身体検査は行われましたが、砒素を所持していませんでした。ミルクピッチャーに入れる分だけしか用意していなかったとすれば、犯人であろうと持っていなかったでしょうけど」


 ジーンはうなずくと、エマに視線を戻した。


「レイチェルの近くで自分が担当する客への支度をしているふりをしながら、自分の用意したミルクとレイチェルが用意したミルクとをすり替えればいい。レイチェルがミルクを温めている間にすり替える隙はあっただろうし。ミルクは白いから、溶けていない砒素が残っていても見えにくい」


 これで自分が直にサービスしなくともデリックを殺すことができる。ノーマの時もそうだが、殺人は犯人の手を離れたところで行われた。すべてがエマの計算通りかもしれない。


 ただし、同僚であるはずのジーンが事件の真相に気づいてしまうということだけは読み通りではなかっただろう。


「あんたはミルトン氏に、毒が効くまでに少し時間がかかるから、怪しまれないように一緒に紅茶を飲んで間を繋いでとか、マルグリット嬢が死ぬまでミルトン氏が紅茶に口をつけないようなことがないように手を打ったんだろうな。こういう殺し方をすると、給仕をしたレイチェルを犯人にするのが一番だ。罪をなすりつけて、また自殺に見せかけて殺す可能性もあるかと警戒していたが、レイチェルのことはどうするつもりだった?」


 なあ、エマ、とジーンは呼びかける。

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