The 6th day◇The Outing Monday

◆1

 朝起きて、妖精が失せ物をテーブルの上に置いておいてくれる、なんていうことも起こらず、アデルのイヤリングは出てこなかった。

 記念すべきジーンとの初デートに、中途半端なお洒落で挑まなくてはならないのが悲しすぎる。イヤリングが見つからなくても、ジーンの休みは別の日にならないのだから仕方ない。


 アデルはしょんぼりしたが、今日が雨でなかったのは幸いだと思って立ち直る。

 おかしなところがないか鏡の前で入念に確認していると、朝食が運ばれてきた。運んできたのはメイドのエマだ。顔立ちこそ平凡だが、彼女はテキパキと手慣れている。


 差し出されたオレンジジュースを飲みつつ、アデルはエマに相談してみた。


「実は昨日、イヤリングを失くしてしまって。小さな白い花の形をしたものなんだけれど」


 エマは困ったように眉を下げると、控えめに答えてくれた。


「あら、お部屋をお掃除させて頂く時に気をつけておきますね」

「できれば今日、着けたかったの。でも、仕方がないわよね」


 こんな会話をノーマともしたなとぼんやり思った。

 アデルは大人しく席に着いた。今日は朝食を食べすぎないようにしよう。満腹で動けないとか、そんな危険は犯さない。


「今日の朝食は軽くでいいわ」


 それを言うと、エマはびっくりしていた。そんなにアデルがいつもよく食べると思っているのか。


「食欲がございませんか?」

「ううん、そうじゃないの。このところ食べすぎているから、今日くらいは軽めにしようかなって」


 ここで正直に、出かけるからと言ってはいけない。アデルはまだ重要参考人、もしくは狙われているとされている。勝手にホテルの外を出歩くとなると警察は許してくれない。

 しかし、警察が怖くて恋ができるかとも言ってやりたい。


 エマは優しくうなずいた。


「そうでしたか。畏まりました」


 見惚れてしまうほどではないけれど、エマも綺麗にテーブルを整えてくれる。レイチェルやノーマのこともこのエマが教育したのだろうかとふと思う。


「あなたはここへ勤め出して長いのかしら?」


 急に世間話を振ったからか、エマはヘイゼルの目を瞬かせた。


「ええ、それなりには」

「どうりで手慣れていると思ったわ」


 話す言葉は、ジーンのように洗練されたアクセントではない。この国では話し方ひとつで階級がわかるとされる。エマは見た目ではそう大きく違うわけではないが、イングランド人ではないか、他所の土地で育っているような気がした。それがどこかまではわからないけれど。


 このマンチェスターは特に多国籍の人々が溢れている。ランバート・ホテルのスタッフも東洋人やアメリカ人といった人々もいるのは見かけたから知っている。


「ありがとうございます」


 エマは控えめに微笑んだ。顔が似ているというわけではないが、どこか姉と雰囲気が近い。


「ミス・ファラと、亡くなったミス・ガードナーのこともあなたが指導されて?」


 すると、エマは思い出してしまったのか悲しい目をした。眉間がギュッと狭まる。その僅かな時間に、どれくらいの思い出が蘇ったことだろう。


「ええ。ファラは呑み込みが早くて、何をさせてもすぐできるようになりました。ガードナーは、その、手間取りましたけれど、いつでも愛嬌で乗り切っていましたね」


 その光景が目に浮かぶようだった。

 ふと、もしかするとエマならレイチェルの恋人のことを知っているのではないかと思えた。

 ここは女同士、恋愛のことなら口が軽くなるかもしれない。


「ねえ、ミス・ファラは事件があった日、ミス・ガードナーに仕事を代わってもらったそうね。もしかして、恋人と会っていたのかしら?」


 にこりと微笑んで、深刻にならないように言った。

 けれど、これを言われた瞬間、エマはきょとんとしていた。そして、アデルの言った意味を呑み込むと、エマはなんとも言えず複雑な表情になり、最後には少し笑った。


「いいえ、そういうことではないのです。彼女は固すぎるくらい真面目な娘ですから」


 エマも知らないのか。

 アデルの勘違いでないとは言いきれず、自信がなくなってきた。しかし、それならアデルが直面したレイチェルのあの狼狽はなんだったのだろう。


 首を傾げかけると、エマは続けて言った。


「恋人と言っても、心の恋人ですね。あの日、アルバート・ホールで公演があって、ミス・ダスティンも赴かれましたでしょう? 彼女もそこに行っていたのです。彼女はクレメンス・ミラーのファンで、このマンチェスターを訪れると聞いて――傍目にはわかりにくいですが――浮足立っていました。それでも、仕事だから行けないと思い悩んでいたので、私が背中を押したのです。あんなことになるとは思いもしませんでしたが……」


 レイチェルのようなお固い娘が、あの美形ピアニストの虜だとは意外である。いや、むしろ、手が届かない憧れだからいいのだろうか。


 優待席にいたアデルは、レイチェルが羨むほど良い場所から見えたはずなのだけれど、あの時は残念ながらうわの空であった。マシューのファンならまだしも、クレメンス・ミラーではアデルも力にはなれそうにない。


 レイチェルがノーマに仕事を代わってもらった理由は、恋人ではなかった。本人にとっては大事な理由なのだとして、アデルにとっては〈そんなこと〉である。


 ジーンが言うように、レイチェルがどんな理由で仕事を代わってもらったかなんてことは事件とは関係がないようだ。

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