◆5

 問題があるとすれば、警察がアデルの外出を許可してくれない気がするということ。

 姉とデリックもいい顔をしないのは間違いない。マシューが知ったら確実に邪魔をしてくる。


 よってアデルは彼らに見つからないようにホテルを抜け出す必要があったのだ。そして、昨晩から計画を立て、着ていく服を入念に選んだ。

 しかし、あまりにも浮かれていてスイートルームの中を右往左往していたせいか、そろそろ寝ようと思った頃になって、イヤリングの片方がないことに気づいたのだ。


「あら?」


 小さな花型のイヤリングで、手持ちのルビーのイヤリングほど高価ではないが、これは明日も着けようと思っていた。明日は水色のワンピースを着るつもりだったのだ。ルビーは合わない。


「どうしましょう……」


 アデルはとりあえず部屋の中を探し回ったが、見つからなかった。イヤリングのように小さなものは見つけにくい。そして、アデルは探し物が下手だった。いつもなら、ないとわかれば諦めるが、手持ちの少ない今だけは簡単に諦めるわけにはいかない。


「ないわ。ない」


 床に膝を突いて這い回っていたが、ない。

 仕方なく、アデルは廊下に出た。わかりやすいところに落ちていてほしい。


 けれど、ざっとこのフロアの廊下を歩いてみたが見当たらない。絨毯の毛足が長いので埋もれているとしたら余計にわからない。エレベーターにも乗ってみた。


 アデルの行先はラウンジか姉のところか、それくらいしかないのだが。下を見ながら廊下を歩いていると、三階の廊下の端に男性が二人いた。

 一人はデリックで、もう一人はホテルの制服を着ている。あれはジョエルだ。


 アデルはなんとなく二人の方に歩み寄った。


「あら、こんな時間にどうしたの?」


 声をかけると、二人の方がぎょっとしていた。


「アデルこそどうしたんだ?」


 女子供は寝る時間だと言いたいのだろうか。デリックにアデルは苦笑してみせる。


「イヤリングを落としてしまって探しているの」

「そうなのか?」

「デリックはどうしてここに? 姉さんは?」


 デリックがどの部屋に泊まっているのか、そういえば知らない。


「マルグリットならもう休むというから、僕は部屋に戻るところさ」


 婚約者とはいえ、まだ夫婦ではない。部屋は別々だ。

 今のデリックは、初対面の時ほど不躾な視線を送っては来ない。こうして慣れていけば、そのうち家族として受け入れられるだろうか。今にアデルはこの人のことを義兄にいさんと呼ばなくてはならないのだから。


「ねえ、デリック。その方は亡くなったお嬢さんの恋人だったの。何か粗相があったとしても厳しいことは言わないでね」


 アデルがそう言ったのは、二人の会話が少しも和やかではなかったからだ。それは神妙な顔で向き合っていた。

 デリックはアデルの言い分にゆるくかぶりを振った。


「粗相とか、そんなことじゃないよ。そう、亡くなった子の話を聞いていたんだ。僕もお父上から君たちを頼むと言って寄越されているから、少し事情を知っておかないとと思ってね」


 ああ、なるほどと思ったが、ジョエルは苦しげだ。いつまでも傷を抉るようなことをしているとも言える。


 この時、ジョエルはアデルがやってきたことによってやっと息がつけたように見えた。目が潤んでいる。


「……ノーマはどうして殺されたんでしょう?」


 ジョエルがボソリと言うと、デリックは目を瞬かせた。

 アデルはジョエルの問いかけに対する答えを持たないが、自殺ではないかもしれないと彼に言ったのはアデルだ。だから、ジョエルはアデルにこんなことを問いかける。


「早く真相が明らかになればいいのにね」


 そんな当たり障りのないことを言うしかなかった。

 ジョエルは泣き顔を見られたくないのか、頭を下げるとそのまま廊下を駆け去った。デリックはジョエルが去った方向をじっと見ている。


「真相、か」


 そんなことをつぶやく。


「あれは自殺ではないみたいなの」


 ジーンがそう言ったから。アデルの根拠はそれだけである。

 そんなことを知らないデリックは、驚いてアデルを見下ろした。


「アデルが第一発見者だったな。もしかして、何か重要な手がかりをつかんでいるとか?」


 妙な食いつきにアデルは面食らったが、ふと姉が話していたことを思い出して少し笑った。

 そうだ、デリックの愛読書は探偵小説なのだった。


「残念ながらそんなことはないわ。実際にこんな事件が身近で起きるなんて驚くけど。これで探偵が鮮やかに事件を解決してくれたらいいのに」


 素質がありそうなジーンは腰が重たい。少しも乗り気ではない。

 物語の中の探偵のように、情熱を持って謎を追いかけたりはしたくないようだった。

 アデルがこんなことを言い出したせいか、デリックも笑った。


「じゃあ、僕が謎を解いてみせるよ。……実は、さっきの彼に話を聞いていたのは、怪しいところがないか探っていたんだ。探偵の基本だろう? まあ、実際の事件に小説みたいな面白いオチはないだろうけどさ」

「まあ……」


 デリックは本気だろうか。

 探偵小説をたくさん読んだからといって探偵になれるとは思わないが、本人は大層意欲的だ。男性はいつまでも子供っぽい部分がある。デリックも犯人を突き止め、皆から賞賛の目を向けられたいのだろうか。


 もしこれが物語なら、主役はデリックではなく、例えばクレメンス・ミラーのように煌びやかな人物を据える気もするが。

 多分、デリックも今までの人生でそれほど目立ってきたわけではないのだ。それはささやかな夢なのかもしれない。


 本当に謎が解けるのなら、それに越したことはないし、姉も喜ぶだろう。特に止める必要はない。

 ただ、なんとなく面白くないのは、アデルとしてはジーンに事件を解決してほしいからだ。


「ええ、頑張ってね。義兄さん」


 アデルはそれを言って背を向けた。もう、イヤリングは諦めた。

 このままでは寝不足になってしまうし、何より姉の婚約者とこんな時間に二人でいるところを見られても嬉しくない。疚しいことは何もないが、姉がどう勘繰るかはまた別なのだ。

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