◆2
アデルはふと、ラウンジにも行ってみようと思い立つ。
あそこでアフタヌーンティーをしていたのだ。あの時、姉はまだイヤリングをつけていなかったが、もしかするとその時にカバンから落ちたとか、何か手掛かりがあるかもしれない。
時間を気にしながらラウンジに向かうと、姉も同じことを考えたのかラウンジで鉢合わせした。
「姉さん、その様子だとまだ見つかっていないのよね?」
「ごめんなさいね……」
せっかくの装いが台無しなほど、姉はしょげ返ってしまった。普段から姉がうっかり者だというわけではなく、こんなふうに物を失くすことは少ないのだ。
むしろアデルの方が物を大事にできなくて失くしてしまう。
そして、よっぽどのお気に入りでなければ失くしても探さない。見当たらなくなった途端に興味を失う。
それは人に対しても同じかもしれない。どうしてもという執着が薄かった。家族ならばまだしも、友人くらいならば代わりなら常に、どこにだっているのだ。
アデルにとって、慎重な姉が大事なものを失くしてしまったと考えるのと、窃盗が行われたと考えるのは同じくらい考えにくいことだった。
ため息交じりにラウンジを歩いていると、あのフットマンがいた。トレイを小脇に颯爽と歩いている。
アデルは思わず彼を呼び止めた。
「ちょっと、そこのあなた」
フットマンは立ち止まり、笑顔とも呼べないほど微かに口角を持ち上げた。
「私をお呼びでしょうか、お客様?」
心地よい声で涼やかに答える。
この時、アデルは彼の胸のネームプレートを見た。丁度視線がその高さだったのだ。
〈G・ロイド〉
Gのファーストネームはなんだろうか。
ジョージ、グレゴリー、もしくはギルバートかもしれない。
――と、ファーストネームを教えてもらう前に訊くべきことがある。
「姉さんのイヤリングが見当たらなくて。大粒の真珠で、台座にダイヤモンドがついているの。どこかで見なかったかしら?」
じっと、彼の目を見て訊ねた。切れ長の綺麗な目だ。淡いのに奥が深い。
けれど、彼はアデルの目には見惚れなかった。見つめ合った時間は秒で数えることすらできない。仕事中だから仕方がないけれど。
「……お客様の。先ほどいらした時にはイヤリングをおつけになっていらっしゃいませんでしたが?」
アデルたちのテーブルを担当していなかったのにそれを知っているのは、こちらを見ていたからだ。アデルは気づかなかったが、見ていてくれたらしい。なんとなく嬉しかった。
「ええ、そうよ。つけていなかったわ。でも、念のために色々なところで訊いて回っているの」
彼は姉の方ばかりに目を向けている。露骨にアデルの方を見るのが照れ臭いのだろう。
こういう人がボーイフレンドの中に一人くらいいてもいいな、とアデルはイヤリングそっちのけで考えていた。
それくらいにはこのフットマンが気に入ったのだ。身分差というと時代錯誤だが、住む世界は違う。もちろん恋人にまで昇格することはないけれど。
などということをぼんやり考えていると、フットマンは急に――アデルがぼうっとしていたから急に思えたのだが――言った。
「お客様は本来、とても用心深く、慎重なお方だとお見受け致します」
「え? ええ……」
姉に向けて言ったのだが、アデルが答えていた。実際に姉は慎重な性格なのだから。
フットマンは相変わらず、アデルにではなく姉に向かって続けた。
「今もほんの少しの間に、バッグの留め金を何度も触っておられました。口が開いていないか何度確認しても不安になるのでしょうか」
言われてみると、姉の手はバッグの留め金に触れていた。姉は困惑気味にバッグとフットマンとを見比べる。
「あら……。無意識でしたけど、そうかもしれません。私、すぐになんでも考えすぎて不安になってしまうたちなので」
姉は恥ずかしそうにうつむいた。
フットマンはふと目元を和らげる。笑ったというほどではないが、どこか優しい。
「慎重なお客様ほど、大事なものの置き場をよく変えられます。ここでは不安だと、より複雑なところへしまい込み、何度もそれを繰り返すうち、どこにしまったのかがわからなくなってしまうことがあるようです。金庫のことも信用なさってくださいませんし」
金庫というのは、鉄壁なようでいてそうではない。ここに貴重品がありますと言っているようなものだとか、金庫破りにはただの戸棚に過ぎないとか、とにかく安全性を信じない人がいる。姉もまたそれなのだ。
姉はフットマンと喋るうちに何かに思い当たったらしく、ハッと目を瞬かせた。
「ああ! そうだわ、落とすと困るから部屋を出る直前までつけないでおこうと思って、ハンドバッグの中の、それも隠しポケットに――」
慌ててバッグの中をまさぐる姉。そこから手を引き抜いた際、ふたつの大粒の真珠が握られていた。
「やだ、姉さんってば人騒がせね……」
思わずぼやいてしまった。
しかし、一番恥ずかしかったのは当の姉だろう。浅黒い肌を赤く染め、ひと回り縮んだように見えた。
「ごめんなさいね、本当に」
蚊の鳴くような声でつぶやいたかと思うと、それからフットマンのロイドを見上げた。
「助かりました。ありがとうございます」
「いいえ、私は何もしておりません。それでは――」
彼は背を向けて颯爽と去った。これも仕事のうちだと思うのか、恩着せがましさは一切ない。
「こういうことに慣れているのかしら」
アデルが狐につままれたような気分でいると、姉もまたうなずきながらつぶやいた。
「そうかもしれないけれど、頭のいい方みたいね」
ますます、ボーイフレンドにほしいなと思ったアデルである。
名前も知れたことだから、明日は指名しよう。その時にはチップを弾むから。
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