The 2rd day◇The Murder Thursday

◆1

 今日はマシューのためにコンサートホールまで出向かなくてはならない。

 ただし、それは夜のこと。それまでにマンチェスターを堪能する。マンチェスター大聖堂や歴史あるデパートメント・ストアである〈ケンダル・ミルン&カンパニー〉にも赴いた。


 とはいえ、ロンドンには〈ハロッズ〉、〈フォートナム&メイスン〉など王室御用達の百貨店もある。わざわざここでしか買えないものを探すというのも難しい。


 アンティークショップも眺めているのは楽しいけれど、若い二人はそれほどの目利きとも言えない。眺めて楽しんだだけだった。

 チャイナタウンにも興味をそそられたが、姉妹だけでは治安面で不安も残り、諦めた。


 程よく疲れてホテルに戻ると、ラウンジにてアフタヌーンティーを所望する。しかし、残念なことに、やってきた給仕係は昨日の手品師のようなフットマンではなかった。

 もっと愛想がよく、幼い感じの青年だ。そのフットマンは嬉々として接客してくれた。


「よろしければこちらのアーモンドタルトもいかがですか?」

「ええ、頂くわ」


 アデルがにっこりと微笑んで言うと、フットマンは目に見えて喜んだ。本当に、昨日の人とは随分違う。

 ただし、これが一般的な反応であって、昨日の人が特殊だったのだ。これはこれで嬉しいけれど、物足りなさも感じてしまう。


 あのフットマンを指名してみようかと思ったけれど、名前を知らなかった。

 アデルはあれこれと説明するフットマンの説明を聞き流し、キューカンバーサンドウィッチを食みながら目だけで彼の姿を捜した。そうして、観葉植物グリーンの向こう側にあのピンと背筋の伸びた背中を見つけた。


 休みではなく、別のテーブルについていたのだ。

 チェックアウトするまでにあと何回、彼に紅茶を淹れてもらえるだろう。


「――と、いうわけで、当ホテルのパティシエのこだわりが詰まっております!」


 高らかに言い終えたフットマンに、姉が申し訳なさそうにつぶやいている。


「ええ、ありがとう」


 そして、ごめんなさい。妹は聞いていなかったわ、とばかりに。



 

 それから、アフタヌーンティーを終えて十九時過ぎにホテルを出ようかという頃。

 姉がホテルの廊下で、困ったように耳たぶに触れていた。


「どうしたの、姉さん?」


 深紅のサテンドレスにルビーのイヤリングとネックレス。黒髪をいつもよりも強めに巻いたアデルが問いかける。

 すると、深緑のドレスを着て真珠のネックレスで首を飾った姉は困惑しながら答えた。


「ええ、その、イヤリングが見当たらなくて……」


 姉のイヤリングは、今着けている真珠のネックレスとセットで作られた。両親からの誕生日プレゼントだ。大粒で台座にダイヤモンドがあしらわれた高価なものである。


「……まさか、盗難?」


 ここはいいホテルだと喜んでいた矢先の出来事である。

 そうでなければいい。姉がうっかり落としてしまったのであって、誰かが拾ってくれていたらいいのに。

 アデルはそれを願わずにはいられなかった。姉も人を疑いたくはなかったのだろう。苦笑している。


「きっと私が不注意で落としたのよ。もう少し探してみるわ。もし遅れそうなら、あなただけでも先に行って頂戴」

「まだ時間には余裕があるわ。私も探すから」


 姉はこんな時でも遠慮がちだった。しょんぼりとしてしまう。


「ありがとう、アデル――」


 たとえ窃盗であろうとも、姉ならことを荒立てないために紛失ということで済ませる気がした。本当に損な性分だ。




 姉妹はホテルの中で自分たちが赴いた場所を手分けして探した。

 アデルは廊下で姉の部屋の担当だというメイドを見かけた。


 カートを押しているが、一人ではない。男性と一緒だ。制服を着ているのだから客ではなく、同じホテルで働いているらしい。

 短い黒髪に柔和な顔立ちをした青年だ。二人は事務的なやり取りをしているのではない。特別な雰囲気がして、アデルはすぐに二人の関係がわかった。


 ただし仕事中である。それも、誰と出くわしてもおかしくない廊下で気を抜いているのだから、褒められたことではないだろう。

 アデル自身はなんら興味もないので咎めたりしないが、イヤリングのことだけ訊ねさせてほしい。


「――なんだからさ。俺だって、たまには好きにするよ」

「もう、ジョエルったらぁ」


 甘ったるい、媚びを含んだ声が聞こえた。

 このまま気を利かせていると時間を浪費するだけなので、アデルは堂々と出ていく。


「そこのあなた」


 声をかけると、二人は疚しいのかギクリとした。それが少し可笑しい。

 職務怠慢を上司に報告するつもりはないと、それを示すようにアデルは微笑みを浮かべながら訊ねる。


「あなた、私の姉さんの部屋――304号室の担当よね? 姉さんの真珠のイヤリングが見当たらないらしくて。どこかで見かけなかったかしら? 台座にダイヤモンドがついている大粒の真珠なの」


 このメイドは、アデルの部屋の担当であるレイチェル・ファラよりもぼんやりとした娘だった。年はそう変わらないはずだが、頭の回転が速いとは言い難い。

 ボブのブルネットの髪は毛先が内側に跳ねている。そばかすがあり、そのせいか受ける印象が幼い。


 青年はもちろんのこと、そのメイドもアデルの顔をぼうっと眺めると、顔を赤くした。二人とも明らかに緊張している。アデルのような美女を前にするとよくある反応だ。


「み、見ていませんが、お掃除する時に気をつけておきます!」


 それでは遅いけれど、これ以上このメイドに言っても仕方ない。少なくとも、このメイドが盗ったとは思えなかった。姉も貴金属は金庫に入れていたはずなのだ。


 それを盗むほどの機知と度胸はこのメイドにはとてもありそうにない。このメイドは無関係だとアデルは結論づけた。


「ええ、お願いね」


 苦笑しながら告げると、メイドの潤んだ目がいつまでもまとわりつくように追いかけてきた。

 憧れてくれるのはいいが、少しばかり暑苦しい。悪い子ではないとしても、仕事はできない部類だろう。

 愛嬌の足りないレイチェルと、落ち着きが足りないこのメイド。二人を足して割ると丁度いい。


 恋人の方も優しそうだが優柔不断に見える。アデルはこういうタイプの男性を好ましいとは思えなかった。

 このホテルも、できる従業員ばかりがいるというわけではないらしい。


 アデルが角を曲がると、その途端に二人に対する叱責が飛んだ。

 少しだけ戻って確かめてみると、二人よりも年嵩の女性に怒られていた。仕事に集中しろというような内容である。


 怒られても仕方ないのだが、多分あの二人は見つかって運が悪かったと思うだけで態度を改めたりしない気がした。

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