第3話
転送魔法の着地に失敗して、踏んづけてしまったのは移民管理局のトップであるツァボーグ局長、すなわち私の上司の上司の上司だった。
さすがに酔いも覚めて頭が真っ白になった。
パーモン課長が頭を下げたので、慌てて私も倣い、頭を下げた。
しかし、どうしよう。まさか、とんだ偉い人を踏みつけたなんて。しかも、名前を知っていて当然なのに『どなたか知りませんが』なんて失礼な対応をしてしまった。
人目を避けるために、移民管理局の行事をさぼっていたことが裏目に出た。
「いや、まったく。随分と不安定な魔法で驚いたよ。
こんな魔法で転送される移民希望者たちが気の毒になってきたな」
「お言葉ですが、局長。普段のイフィ・オールの転移魔法は丁寧で正確です。異民政策は今年で5年目になりますが、これまで一度も事故を起こしたことがありません。
ただ、今日は少し慌てていたようで、着地を間違えたようです。
その点は管理者として謝罪いたします」
「パーモン課長……」
パーモン課長は私をかばってくれた。課長には返せないほどの恩があるのに、また増えてしまった。
「なるほど。君があの有名な女神様なのか。
それにしては随分と影が薄いから気がつかなかったよ。所詮異世界人の噂だからそれほど期待していなかったが。つくづく異世界との美的感覚の違いを見せつけられるね。異世界人にはこれくらい地味な人でちょうどいいらしい。社交界に咲き誇る華たちをみたら卒倒してしまうんじゃないかな」
「彼女は優秀な人材です。全ての移民希望者が召喚後に最初に出会うのが彼女です。
彼女の適切な対応が移民希望者の冒険心をくすぐり、暗黒大陸の開拓が進められました。本政策の影の立役者といっても過言ではありません」
「課長、それはいいすぎです……」
課長があまりにも褒めるので恥ずかしくなり、つい口を挟んだ。だが、課長には黙っていろと目線を向けられた。
「なるほど、彼女一人で全ての移民希望者に会っているということか。間違いないか?」
「はい、間違いありません。局長」
「で、あれば、だ。彼女1人にかかる負担は相当なものだろう?」
「おっしゃる通り、彼女にかかる負担は大きいです。
何しろ、1日に100回も転移魔法を行っているのですから、尋常ではない働きぶりです」
「1日に100回も? それはすごいな。
確かに、今年の移民希望者の数を見ればそのくらいか」
「ですから、転移魔法の自動化をお願いしたいのです。魔法教育省管轄の研究所で転移魔法の魔法陣による自動化に成功したと聞きました。研究段階のため、まだ不安定な魔法陣でしょうが、失敗したとしても彼女がいれば速やかに対処が可能でしょう。
我々の業務の効率化のためにもそのようにお願いしたいのです」
「パーモン課長の要望とはそれだけか?」
「さようでございます」
「ふーん」
ツァホーグ局長はパーモン課長と私の顔を見比べた。
私はパーモン課長に頭が上がらず、もはや地面にめり込む心地だった。課長は私の業務量を減らそうと画策していたなんて。ありがたい、最高の上司だ。
人をこき使いすぎと愚痴を言っていた時もあったけど、今謝ります。ごめんなさい。
「わかった。要望の通り、転移魔法の自動化について魔法教育省と調整しよう。異世界人相手なら新規の魔法陣の設置も許可が下りそうだ。
どうせなら、あの魔法陣も組み合わせれば面白そうなことができそうだしな」
「失礼ですが、あの魔法陣とは何ですか?」
「今朝発表されたばかりの魔法陣だよ。その名も応答魔法。
人の呼びかけや質問に対して、まるで人間のような柔軟な回答をしてくれる魔法陣だ。 この魔法陣によって受付業務が自動化されると考えられている。
私も試してみたが、なかなか自然に会話ができたよ。少し不自然なこともあったが。
召喚されたばかりの右も左もわからない異世界人なら、多少おかしな回答でも違和感に気がつかないだろう」
すごく嫌な予感がする。
ツァホーグ局長が話した応答魔法によって受付業務の自動化ができるなら、そしてそれを転移魔法と組み合わせたら、なくなるのは……。
「パーモン課長の要望を受けて、異世界人の転送および最初の応対を完全に自動化する。冒険者ギルドの業務は現状のままで」
ツァホーグ局長は私の方を真っすぐに見て言った。
「つまり、君はクビだ。今すぐに」
「私が、クビ!?」
「局長、さすがに短慮がすぎませんか?
引継ぎの時間もなく不安定な魔法陣をいきなり導入した場合、予想外の事故につながりかねません」
パーモン課長が抗議したが、ツァホーグ局長の言葉に反論の余地もなかった。
「彼女の転移魔法だって不安定だろう。現に私は踏みつぶされた。怪我をするところだった」
「だから、それは彼女にも事情があったのでしょう。彼女がいなくなると困ります。彼女にしかできないことが……」
「もういいです、課長。かばっていただいてありがとうございます。
業務の自動化による効率化、そして人員削減。私の要望通りです。残る2人に迷惑が掛からないなら、私は喜んで退職します。
それに、異世界の人を騙すのも、疲れましたし。これで失礼いたします。課長、今までありがとうございました」
私はそう言って去ろうとしたのに、最後に漏らした本音にツァホーグ局長が噛みついてきた。
「待て、騙すということは、どういうことだ?」
「だって、そうじゃないですか。
剣と魔法の冒険の世界、第2の人生。夢の世界。そう言って、異世界の人を連れてきて、実際には危険な暗黒大陸の開拓者として送り込む。凶悪な魔物との戦いや、希少な魔鉱石を求めて厳しい環境で命を落とすことはよくあることです。
冒険者とは都合のいい言い方ですね。ろくな装備も与えず、実際には使い捨ての労働力じゃないですか。
こんな政策、反吐が出ます。辞められて清々しました」
「それは王国を批判しているのか?」
「イフィさん!」
パーモン課長の制止を無視してつづけた。
「ツァホーグ局長はご存じですか?
冒険者となった彼らが最期に縋るのは誰なのか?
女神ですよ。最初に会った私の言葉、世界の救世主という言葉を最期まで信じているんです。ただの人間の私を女神だと信じて縋っているんです」
「何を同情する必要がある? 異世界人は危険は承知の上で召喚に応じているはずだ。
自己責任だろう。
まあ、確かに地味な君ごときを女神として崇めているのは同情するが」
ツァホーグ局長は傲慢さを隠さずに笑った。
いけ好かない人だ。どこまでも異世界の人を下に見ている。自分より下の立場の人間はどう扱っていいと思っている。
だから貴族は傲慢で嫌いなんだ。
「私を侮辱するのは構いませんが、異世界人まで貶められるのは我慢なりません。
自己責任とはどういうことですか。召喚した私達にこそ、彼らを支援する義務があるでしょう。
発言を撤回してください」
「生意気だな。平民のくせに。
やはり6大魔法以外の特殊魔法を得意とする魔法使いは劣っているな。
転移魔法が希少で有用だからって調子に乗るなよ」
ツァホーグ局長は魔力をたぎらせ、魔法を放ってきた。鋭い氷が飛んでくる。
「うっ!」
私は滑って足を挫いた。床も凍っているようだった。
地味に痛い。
「あぁ、イフィさん! 眼鏡が!」
「その色付きの眼鏡は気に入らなかったんだ。
パーモン課長、どうしてその眼鏡を許可したんだ。公務員たるもの、可笑しな装いは厳禁だろう」
「彼女には事情があるんです。
イフィさん、大丈夫かい?
ああ、リボンも外れてしまったね……」
「はい、大丈夫です、課長……」
「パーモン課長、邪魔をするな。
2度と反抗できないように上下関係を叩き込んでやる。
さあ、さっさと顔を上げ……ろ……」
顔を上げると驚きで固まったツァホーグ局長の姿があった。
「久しぶりに見たね。イフィさんの女神モード」
「ほ、本当にイフィ・オールなのか……?
いや、確かに、眼鏡を外したのを見た。だが、それだけでこんなにも印象が変わるものなのか?
魔法でも使ったのか?
幻影魔法か? それとも変身魔法か?」
ああ、そうか。転んだ時に魔道具の眼鏡とリボンが外れたのか。
動揺するツァホーグ局長に敢えて尋ねる。
「局長、どうしました?
私の地味な顔がそんなに驚きですか?」
ツァホーグ局長に近づく。ツァホーグ局長の顔が真っ赤になった。
「どうしたんですか? 社交界には私よりも美しい方が大勢いらっしゃるのでしょう?」
「いや、僕は、僕は……なんということだ、詩人を志していたのに君を形容する言葉が見つからない。
君より美しい人を見たことがない。
社交界の貴婦人を賛美した言葉では足りない。
君は美しい」
「ありがとうございます。ちなみにその言葉、聞き飽きています」
「どうしたら君を満足させられるんだ?」
「私の望みは人を外見や能力、生まれで判断するのをやめることです。
特に異世界の人を馬鹿にしないでください。
彼らは希望を持って私たちの世界に来てくれたのだから。
その管理の責任者として、異世界人を差別しないでください」
ツァホーグ局長は惚けて口を開けたまま、頷いた。
「よかった。言いたいことはそれだけです。
それじゃあ、今度こそさようなら。
パーモン課長、すみません。私は先に転移魔法で暗黒大陸の事務所に戻ります。荷物を整理します。
それに、魔道具が壊れましたから予備を取りに行かないと」
「うん。とりあえず今日は遅いからゆっくりして。
明日ゆっくり話そうか。
今日のことは胸に手を当てて考えておいてね」
パーモン課長の口元が引き攣っている。まずい、これは相当怒っている。この場を鎮めることを優先して抑えていてくれているけど、今にも噴火しそうだ。私がこれ以上余計なことをする前に早くここから立ち去らなくては。
「で、ではまた明日、パーモン課長」
今度こそ扉を開けて立ち去ろうとしたのに、ツァホーグ局長の声が追い縋ってきた。
「待ってくれ、また会えるだろうか?」
また会う? 冗談じゃない!
どんなつもりで私に会うんだ?
情けないツァホーグ局長の顔をちらりと見て、私は扉を開けて出て行った。
扉の外は広い廊下だった。
すでに日は落ちていて、誰もいない。
「さて、どうやって帰ろうかな」
魔法陣なしの転移魔法は希少性が高いからその実態は知られていないけど、案外使い勝手が悪い。
転移魔法を使うには移動距離をイメージしないといけないからだ。つまり、現在地と行き先を認識している必要がある。
行きはパーモン課長の筆跡を媒介にしてイメージしたけど、帰りはそういかない。なぜなら、いまここが王都のどの場所か分からないからだ。
「あーしまった!
ここはどこなんだろ。困った。帰れないよ」
啖呵を切って立ち去ったにも関わらず、私は王都で迷子になってしまった。
我ながら馬鹿だ。
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