第2話 狂魔法科学者令嬢の婚約破棄劇(中編)
「ピナさん! ご注文の専門書はこちらに置いておきますね!」
「あっ、ありがとうございます! すぐに会計書類を整えてきます!」
「ピナさん! 次の定例研究会で発表する若手研究者を募っているのですが、ご参加されますか?」
「はい、もちろん! ぜひ参加させてください!」
――レシエル王国を発ってから、およそ一ヶ月。
レイノルドの故郷・メイシェル公国へとたどり着いた私は、無事に彼の実家が運営する研究所に採用してもらうことが出来た。
まだまだ慣れないことは多いけれど、日々少しずつ新たな環境に馴染みつつあるところである。
「ピナさん! そろそろお昼を食べに行きませんか?」
「あっ、行きます! 行きたいです!」
幸いにして同僚研究者たちは優しく、私のことを諸手を挙げて歓迎してくれた。
そんな彼らの優しさに報いるためにも、なるべく早く成果をあげられるようにしようと私は研究に没頭しているわけである。
……もちろん、体を壊さない程度に、ではあるけれどね?
うんうん、それは分かっているわよ。……分かっているからね!?
「それにしてもピナさんって、本当に研究が好きですよねぇ。夜遅くまで研究室に明かりがついているじゃないですかぁ。まあ、自分も人のことを言えた義理ではないかとは思いますけれどぉ」
同僚たちと研究所に併設されているカフェテリアへ向かうと、注文したサンドイッチを豪快に頬張った女性研究者が私をまじまじと見つめながらそんなことを呟いた。
すると遅れてやってきたレイノルドが隣のテーブルにトレーを置きながら、こくりと頷いて同調してくる。
「ピナさんは前から本当に熱心で優秀な研究者ですよ。いやあ、うちに勧誘できて良かった、良かった」
「さすがは先輩、人を見る目があるぅ!」
「ちなみに、今はどんな研究をメインになさっているんですか?」
また別の女性研究者がサラダを食べながら私に好奇心いっぱいに問いかけてきたので、私は一度頭の中で言うべきことを整理してから慎重に口を開いたのだった。
「色々なテーマを扱ってはいますけれど……今の一番のメインテーマはと言われたならば、それは『魔獣封印魔法』になるでしょうね」
そう、前世の自分の死因ともなったあれである。
まずは第一段階として、前世の経験をもとに自分が我が身を犠牲にして魔獣を封じたメカニズムを明文化すること。
次に第二段階として、それを一度限りではなく絶対的に再現性のある方法論として確立すること。
……とはいえ、最終的に術者が死ぬというのは決して望ましい結末ではない。
だから最終的な目標としては、誰も死なずに魔獣を封じる新たな方法を編み出すところまで昇華出来たら良いなと考えている。
とりあえずこれまでのところ、第一段階に関しては概ね達成できているはずだ。
全身に魔力を込めて規定の踊りを踊り、そして魔獣にこの身を食らわせてやったわけだけれど……あの一連の出来事の肝は、踊り自体というよりは足先のステップで地面に描かれた図形であり、そして魔獣に噛まれたことで私の体から噴出された血だったのではないかと思う。
魔力を込めた足先で描かれた図形は魔法陣として機能し、
そう考えるならば、あれと同じシチュエーションになったとしてももう一度同じように働くのではないかと――つまり再現性は十分にあるのではないかと、今の私は考えている。
だがちゃんと再現性を確かめようと思ったならば誰かが前世の私と同じように死なねばならないわけで、そんなことは倫理的に許されることではない。
つまり、この研究は明確な成果を示すことが難しいのだ。
だから私は公的には他の研究をメインにしているように見せかけており、こちらの研究はあくまでも私的な課題として進めているのである。
しかし自分的にはこちらがメインだと思っている上に、今は研究者間で内輪の会話をしているだけだ。
それならばこちらを出しても構わないだろうと――もしかしたらこれだけの研究者がいるのだから何らかの新たな知見を得られるかもしれないという希望もちょっぴり込めて、話の俎上に載せてみたのだった。
「へえ、面白いですね!」
「魔獣ってめったに出現しませんけれど、もし出てきたら人的にも物的にもものすごい被害を引き起こす災厄ですからねぇ」
「社会に役立つ、すごく有益な研究じゃあないですか!」
「ピナさんが望む成果があげられるようにめちゃくちゃ応援しています!」
……なるほど、とりあえず目新しい情報がぽん出てくることはなかったわね。
世の中そう甘くはないわねと苦笑しつつ、しかし全力で応援してもらえたことでかなり気分が上がってくる。
そうこうしているうちに、カフェテリアにまた新たな研究者の一団が入ってきた。
ベテラン研究者を含むその一団は思い思いのメニューを注文してトレーを受け取るとこちらに近づいてきて、おもむろに新たな話題を提供してきたのだった。
「皆さん、来週は研究所が臨時休業になる日がありますから気をつけてくださいね!」
「あーそうでした、そうでした! 業務に忙殺されてすっかり忘れていましたよ! 注意喚起をありがとうございます!」
「……? 何かあるのですか?」
近くにいた女性研究者に問いかけてみると彼女は「ああ、そうですね」と呟いて、ぱちりと一つ手を打ち鳴らす。
「ピナさんはうちの国に来たばかりですものね。ご存じないのも無理からぬことです。実は来週の半ばに聖女様の認定式があって、その日は国をあげての休日になるのですよ」
「聖女様? 認定式?」
「聖女とは、精霊と契約して特殊な魔法を使う女性たちのことです。聖女魔法はレイノルドさんの主要研究テーマのうちの一つですから、興味があれば彼に聞いてみると良いと思いますよ。そして、聖女の適性のある人が精霊と契約する式典のことを認定式と呼びます。認定式を経て初めて、聖女はただの人間から聖女となるわけですね。聖女は極めて貴重な存在であり、我が国では国をあげて保護する体制を取っております。そんなわけで、認定式の日には国民総出で新たな聖女の誕生を祝福することになっているのです」
「……なるほど」
興味深いな、と思っているとそんな表情の変化を読み取ったのかレイノルドが「それだったら」と私に一つの提案を持ちかけてくる。
「一緒に認定式を見に行ってみませんか? こんな研究をしていることもあって、僕は特別に間近で見ることが許されているんですよ。だから僕に同行してもらえれば、特等席で式典を見守ることが出来ます」
「よろしいのですか? それならば、ぜひ!」
母国では経験できないことを経験するというのは、外国生活の醍醐味であり現地に馴染むための重要な一歩だ。
そう思った私は彼の提案に一も二もなく頷き、彼に同行させてもらうことにしたのだった。
***
「やっぱり、神殿というのは厳かな雰囲気なのね……。そして、聖女様というのもとても神秘的な女性たちだわ」
――認定式、当日。
レイノルドに同行して神殿に入った私は、彼の口添えで式典が開かれる大広間の座席に座ることを許された。
やがてごーん、ごーんと数度にわたって鐘が打ち鳴らされた後、静かに成り行きを見守る私の前に真っ白なベールをかぶった五人ほどの黒髪の女性たちが現れた。
彼女たちが聖女であり、そして中央にいる一人が今回の認定式で正式に聖女になる予定の女性であるらしい。
「ラベンダー様、どうぞ前へお進みください」
新任聖女となる予定の女性――ラベンダー様が、その声を合図にしてしずしずと歩いて祭壇に向かっていく。
彼女は他の場所よりも一段高い位置に登ると、何か複雑な紋様が描かれた紙を袖口から取り出して自分の左手の甲の上へと載せた。
「では、始めます。――精霊よ、我が声に応え給え!」
歌うように呟きながら、ラベンダー様が小刀で僅かに傷をつけた右手の指先を紋様の紙の上に乗せる。
瞬間、紙の紋様からぱっと眩い光が放たれた。
同時に、ラベンダー様の隣に水色の薄い羽を持つ小さな人型の生物が現れる。
間違いない、これが精霊というものであろう。
わあ凄い、と感嘆の息を漏らしていると、今度はラベンダー様と精霊の間に不思議な光の紐のようなものが出現して二人の間を繋いでいく。
……と思ったら、その光が一気にふつりと消え去った。
「成功です!」
高らかに宣言したラベンダー様が、自分の左手を高く掲げてその甲を周囲に見せつける。
いつの間にか紙が消え去っており、そして紙に描かれていたはずの紋様が左手の甲に直接刻まれている格好になっているようだ。
それを見た人々がわあぁと一気に熱狂した声をあげる。
ラベンダー様はにこりと笑ってその歓声に応えつつ、傍らをふよふよと飛ぶ精霊を自分の右手の上に座らせた。
そして精霊の姿も人々の目に触れるように、高く掲げてみせたのだった。
「これで認定式が――聖女様の精霊契約が、無事に完了しましたよ」
超常的な現象に完全に見入っていた私は、隣から静かに発せられたレイノルドの一言ではっと意識を引き戻される。
「左手の甲に刻まれた紋様こそ精霊契約紋であり、聖女が聖女である証です。あれがある限り聖女は契約した精霊の力を分けてもらうことが出来て、特別な魔法を行使することが可能となるのです」
「あの紙は何だったのですか? それに、紙はどこへ消えたのでしょう?」
「あれは昔から精霊契約のときに使われてきた特別な紙で、魔法紙と呼ばれているものです。魔法陣が聖女の手の甲に移った後は、どういうわけか跡形もなく消えてしまうのですよね。まさにこれも僕の研究テーマの一つで、このメカニズムを解明することに今まさに取り組んでいる真っ最中なんです。というわけで、詳しくは説明ができなくて申し訳ございません。とにかく、魔法紙がなかった昔はあの複雑な魔法陣を地面に描くことも式典の中に含まれていたそうで、そのために式典は一日がかりになっていたらしいのです。しかし今はこうして事前に魔法陣を準備できるので、今みたいに式典も短時間で済ませられて便利になったものですよ」
「……」
あれ、これってものすごくあれに似ているような気がしないでもないような……?
その瞬間天啓のようにふっと私の中に閃いたのは、そんな思考だ。
つまり、この儀式って魔獣封印魔法のメカニズムとだいたい同じようなものなのではないだろうか。
もちろん術者は死なないけれど、魔法陣を血を媒介に起動して術者と異形のものが何らかの繋がりを持つというのは、どちらにも共通している事象であるように思われる。
「そういえば、最初に封印という事象を見てしまったせいで魔獣は封印するものだと思ってしまっていたのだけれど……別に、必ずしもそこにこだわる必要はないんだよね。人間が全く御することが出来ない凶暴な生き物であるがゆえに、魔獣による被害は拡大してしまう。それを殺すなり封じるなりしてそもそもその存在をこの世から抹殺してしまおうというのが、これまでの考え方。でも、完全に人間のコントロール下において管理できるとするならば……それはそれで有りだわ。うん。魔獣を従えるという方策こそ、私が追い求めていた誰も死なずに済む新たな『魔獣封印魔法』であるのかもしれない!」
ぱっと瞳を輝かせた私は、隣のレイノルドの手をぎゅっと握って深く頭を下げた。
「本当に、何から何までありがとうございます! この国で生きる機会をくださったのも、研究のために快適な環境と潤沢な資金を提供してくださったのも、そして私の長年の課題に対する解決の糸口を与えてくださったのも! その全てはレイノルドさんでいらっしゃるのですから、私は一生あなたには頭が上がりませんよ!」
心からの感謝を込めて、私はレイノルドに何度も頭を下げたのだけれど。
彼はなぜか苦しげに唇を歪めると、もう耐えきれないとばかりに瞳を伏せた。
「ああ、駄目だ。これ以上隠しているのは僕の良心が傷んでしょうがない……」
「えっ? いやいや、ご事情はよく知りませんが、あなたが私にしてくださったことは全て厳然たる事実なのですから、別にそんなふうにおっしゃらなくても……」
「いや、本当に違うのです。僕はあなたにそれほどまでに感謝されるような人間ではないのですよ。だって僕はあの方との取引を受け入れて、ただ言われるがままに行動してきただけなのですから……」
「……あの方?」
問いかけた私に、レイノルドはこくりと一つ頷く。
そしてはくはくと数度唇を動かすと、意を決したように彼はその名を口にしたのだった。
「取り返しのつかない悲劇に至る前に、あなたには知る権利があると思うのでお話しいたします。僕が、彼と――ソレイユ殿下との間に交わした約束の全てを」
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