第24話 後悔

 トジが前を進み、後ろにリージョがつく。


 守護霊はこちらの存在に気付き、魔法を放つ。


『ナィ・ハヲ・ンスニソハルネモ・ハヲルソ・リロケ・ラワムリ』


 魔法は完全には消えなかった。


 しかし、威力は弱まる。


『リロケ!』


 リージョが大杖を振るう。


 一人では無理でも、二人なら防げる。


 先生たちもトジとリージョに気付いたようで、援護をする。


「ミント!」


 トジの声に僅かに動きが止まる。


「ト……ジ……」


 ミントの顔がこちらを向く。


「ミント。何故じゃ。なぜそんなものに……」


「オレ、オレは……」


 トジはダメもとで唱える。


『ウィ・ヒリ・ウルヒモ・ヒリルソ・ヒタオ・ラワムリ』


 刹那、守護霊の時が止まった。


「ミント」


 止められるのは僅かな時間だ。


「と、トジ」


「どうしてじゃ。どうしてそんなことをする」


 ふふっとミントは笑みを浮かべた。


「覚えてるか。どんなことも、やるだけやった方がよいって」


 それは、ミントを励ますときに言った言葉である。


「オレは村の皆の為に、頑張らきゃならない。強い魔法使いになれば、モンスター退治だって出来る。オレが、やらなきゃならないんだ」


「だから、お主は戦うのか」


「そうだ。オレはこのチャンスを逃したら後悔する。そう思った。やるしかないんだ」


「……やるがよい」


 若者は前を向き、全力で進むべきだ。それが間違っていたら止めるのが老人の役目。


「ミント。お主は全力で戦うがよい。しかし、ワシは止めるぞ。全身全霊をもって」


「ああ。ああ! トジ。勝負だ!」


 守護霊の時が止まっている僅かな時間。


 その時間の中、ミントは魔法を放つ。


 トジが大杖を振るい、魔法を逸らし、攻撃する。


 ミントは魔法を魔法で打ち消し、更なる追撃を繰り出す。


「トジ、楽しいな。オレ、一回お前と全力で戦ってみたかったんだよ」


「ワシもじゃ。全力を出すとは楽しいのう」


 二人の戦いに、横槍を入れる者はいなかった。


 今この瞬間だけは、トジとミントだけの時間だった。


 けれど、それはそう長くは続かない。


「トジ。そろそろ終わりみたいだ」


「……そうか」


「トジ。オレ、やるだけやったぞ。やってみた」


「うむ」


「本当はこんなこと、しないほうがいいって分かってる。けど、やりたかった。最強の魔法使いになりたかった」


「うむ」


「トジ……オレを止めてくれ」


「当然じゃ」


 光が。


 守護霊の輝きが辺りを支配する。


 ミントはもはや正気ではなくなった。


 ただの人形のように、魔力を発現する道具となった。


「きけ」


 声が、守護霊から声がする。


「このおとこは、おまえをねたんでいたぞ」


 守護霊はトジに向けて話す間も、先生たちに魔法を放っている。


「このおとこは、じぶんはおまえにつりあわないと、しんゆうじゃないのかもしれないとなやんでいた」


 それは、たった一言。


 リージョと初めて出かけた時に、問われた言葉だ。


 ほとんど流れで、そんなハッキリとした質問ではなかった。


 けれど、トジは答えられなかった。


 なぜなら、自分は老人で、ミントは若者。その負い目があった。


 それに。


「恥ずかしかったのじゃ」


 トジは素直に言う。


「ワシは、この歳で親友が出来るとは思っていなかった。嬉しかった。じゃから、その言葉を発するのが恥ずかしかっただけなのじゃよ」


 また後悔が増えた。


 だが、この後悔はまだ取り戻せる。


「ワシの親友を返してもらおうか」


 トジの魔法は守護霊にぶち当たる。


「ぁぁぁあああああああ」


 空間を震わせるような叫びをあげて、守護霊の魔法がカラツ先生へと向かった。


 しかい、カラツ先生は何もしない。


 何もせず、その魔法を直接受けた。


「先生!」


 だが―――。


「逆行呪文は私の得意分野だ」


 守護霊の魔法がそのまま守護霊へと帰っていく。


 操られたミントが振り払おうとするが、消しきれずに僅かに当たる。


 そこにカルノ先生が魔法を放ち、トジとリージョも続く。


 押している。


 守護霊は明らかに手こずっている様子だ。


「がぁぁああああああああ」


 再び、叫ぶ。


 今度の魔法はカラツ先生でも弾けないだろう。


 それほどの、目に見えるほどの魔力が守護霊に集まっていく。


「まずい」


「とめないト」


 一斉に攻撃を放ち、その魔法の解放を防ごうとする。


 しかし、時間が足りない。


 圧倒的な魔力が着実に、守護霊の頭上に練り上げられ、その魔力の凄まじさに立っているのもやっとである。


 大地が揺れ、空間にヒビが入る。


 何とか攻撃をするが届かず、もしあの魔法が解放されれば学園ごと無くなってしまうだろう。


 それほどの魔力の塊を放とうとする。


「ねエ、トジ」


 もはやこれまでか。


 そう思った時、リージョがいつもの素っ頓狂な声を出す。


「なんじゃ」


「トジは、時を戻せるんでしょ」


「対象を限定すればじゃがな」


「なら、あの魔法を対象にしたラ?」


 やったことはない。


 出来るかもわからない。


 だが、やらないよりはいい。


「リージョ。援護を頼む」


「ウン!」


 トジは大杖を振りかざし、リージョが飛んでくる魔法を防御する。


『ウィ・ヒリ・ウルヒモ・ヒリルソ・シビオ・ラワムリ』


 一度ではダメだ。


『ウィ・ヒリ・ウルヒモ・ヒリルソ・シビオ・ラワムリ』


 まだ。


『ウィ・ヒリ・ウルヒモ・ヒリルソ・シビオ・ラワムリ!』


 放つ。


 魔法が、守護霊の頭上の魔力が徐々に減っていく。


「……じゃが、時間稼ぎにしかならぬ」


 減っていった魔力はまたすぐに溜まっていく。


「トジ君!」


 その時、カルノ先生が何かを投げた。


 キラリと光る水晶の文字盤。


 魔封じの懐中時計である。


「リージョ!」


 リージョが魔封じの懐中時計をキャッチ。


 その間、トジは魔法を唱える。


『ウィ・ヒリ・ウルヒモ・ヒリルソ・シビオ・ラワムリ』


 カチリと、音がする。


 刹那、時が止まったように、全てのものが停止したような、闇の中に置かれたような感覚が襲う。


 膝をつく。


「トジ!」


 リージョの悲痛な声が響く。


 トジは立ち上がろうとした。


 だが、出来ない。


 膝を立てるのがやっと、大杖がなければ前のめりに倒れているだろう。


 ふと、自分の手を見た。


 しわしわの、八十歳相応の、老人の姿である。


「……そうか。魔封じの懐中時計か」


 刹那、魔法が轟く。


 カルノ先生の魔法が守護霊に直撃した。


 ガラスが割れたような音がして、ミントと守護霊の間に空間が消える。


 今だ。


 今この瞬間だ。


『ウィ・ヒリ・ウルヒモ・ヒリルソ・シビオ・ユユエ!』


 戻る。


 守護霊の時が、ミントから切り離された守護霊の時が戻ってゆく。


 グルグルと、混ざりあうように、空間がねじれ、うすぼんやりとしたその姿が、輝きを失い、人間の、ハッキリとした人間の形になる。


「……ミラ先輩」


 どさりと、守護霊の光に包まれていた彼女が落ちる。


 トジは這いずるように、近寄る。


「ミラ、先輩」


 それは確かにミラ・ジャスミンであった。


 満月ような黄金の髪も、美しい肌も、


「……トジ?」


 そこに浮かべる無邪気さの残る溌溂とした笑みも。


「ミラ先輩。何が、何が、あったのじゃ」


 ミラは身体を起こすことが出来なかった。ただ、横たわりながらあの時のように言う。


「何があったって、トジの方こそ。随分、歳を取ったわね」


「ミラ先輩には敵わぬよ」


「あら、私の美貌に釘付け? また無垢な少年の心を奪っちゃったかしら」


 トジは思わず笑ってしまう。


「ワシはもう、老人じゃ。少年ではないぞ」


「ええ、ええ。そうね」


「聞かせてくれぬか」


 トジの言葉に、ミラはこくんと頷く。


「私は、永遠の時が欲しかった」


「ミラ先輩なら分かっておろう。無限の時間など虚しいだけじゃと」


「そうね。でも、私の為じゃないの。貴方の為よ」


「ワシ? ワシはそんなもの望んではいなかったぞ」


「ええ。私が望んだの」


 そして、ミラは言う。


「私、エルフなの。千年を生きる森の妖精」


 この世界には様々な種族がいる。その中でもエルフは神聖な種族であるとされ、一生に一度目にできれば幸運とまで言われる存在。


「私は、最初、復讐に来たの。私達の森を焼いた人間に。だから、貴方の研究が使えると思った」


 でも―――。


「いつの間にか、貴方と過ごしたいと思ってしまった。貴方にも私と同じ時を過ごして欲しいと思ってしまった」


 だから、トジが去った後、祭礼の儀を開き、精霊の力を得ようとした。


「……なぜじゃ。なぜ、言ってくれなかった」


 もしあの時、ミラがトジのことを好いていると言ってくれたら、エルフであると明かし、同じ時間を過ごそうと言ってくれていたら……。


「恥ずかしいじゃない」


 千年を生きるエルフとは思えぬ笑顔だった。


「ミラ先輩……」


「私の時間はもう、少ないわ」


「ミラ先輩」


 ミラのか細い腕が、トジの皺だらけの頬に触れる。


「ああ、ダメね。老人の貴方を見れば悔いなく逝けると思ったのに。ああ、どんな姿の貴方も愛おしい」


 目を閉じる。


「いくな」


 腕が落ちる。


「いくな! そんな言葉を残して、ワシを残していくでない!」


 僅かに、ミラ先輩の口元がほころぶ。


「ミラ・ジャスミン。ワシも、ワシも貴方のことが好きじゃった」


 遅い。

 

 余りにも遅い告白だ。


 六十年前に言うべき言葉を、今日ようやく言えた。


 そして、ようやく気付いた。


 トジが後悔していたのは、研究でも、逃げ出したことでもない。


 ただ一言、好きだと言えなかったことなのだと。


 横たわったミラは目を開けない。


 あの守護霊のような姿にもならない。


「なぜ、なぜじゃ」


 何故、あの時、恥ずかしがらずに言わなかったのか。


 何故、あの時、無様だとしても声をかけなかったのか。


 何故あの時、戻ろうと思えなかったのか。


 後悔ばかりが襲う。


 取り返しのつかない後悔だ。


 涙は枯れてしまったと思っていた。


 この歳になって、涙など流すことはないと思っていた。


 けれど、止まらない。


 とめどなく流れ出る。


 落ちる。


 ぽたぽたと落ちる涙を、リージョが受け止める。


 リージョがあのマグカップに、トジの涙を落としていた。


「リージョ?」


「弱った人には、神秘の聖杯を使えばイインだよ」


 そう言って、マグカップに魔力を込める。


 すると、あっという間に魔力の液体が生み出された。


「トジ。飲んで」


 言われるがまま、口元へ持って来られたマグカップを受け入れる。


 物凄いエネルギーだ。


 身体の芯まで貫くような魔力が、身体を元気にさせる。


「トジ、この人にも」


 リージョがマグカップを差し出す。


「じゃが、もしまたあの姿になったら」


 狂ったように魔法を放つ守護霊の姿。


「何もしないので後悔するのは嫌でショ」


 リージョの言葉に、思わず微笑む。


「……そうじゃ。そうじゃったな」


 心からの礼を言い、トジはミラに魔力を飲ませた。


 徐々に、徐々に、魔力が染みわたっていくのが分かる。


 ミラの身体が輝き、か細い手がトジの首に回った。


「トジ!」


 力強い手がトジの首を離さない。


 そして―――。


 ミラ・ジャスミンはトジの唇を引き寄せた。


「あー!」


 リージョの叫びと共に、トジの身体に変化が訪れる。


 老人だった身体がゆっくりと若返っていく。


「あー! あー!」


 リージョの叫びにもう一つ加わった。


 ミントである。


 ミントが目を覚まし、トジとミラがキスしているのを目撃したのだ。


「あー! あー!」


 若返っていくトジを見て、カルノ先生が叫ぶ。


 あーあーと叫び声の中、トジはまた十代の身体に戻っていた。


 そして、唇を離される。


「トジ。ありがとう」


「ミラ先輩」


「でも、私はまだ私じゃない。精霊の力に取り込まれたまま」


「どうすれば……」


「今は消える。それくらいの力はあるわ」


 ミラは笑顔を向ける。


「今度は、貴方が私を見つけてくれる?」


「ああ、勿論じゃ」


 頷くトジにもう一度笑顔を見せて、今度はリージョに言う。


「私がいない間だけ、トジを貸してもいいわよ」


 むっとしてリージョは言い返す。


「私だって、トジがお爺ちゃんでもいいモン。それに、トジは私のクラブに入ってるモン」


 謎のマウントである。


 ふふっとミラは笑う。


「トジ、若いっていいわね」


「そうじゃな」


 もう一度、ミラはトジにキスをした。


「じゃあ、またね」


「うむ。また会おう」


 そうして、ミラ消えていった。


 残ったのは、ぷんぷん状態のリージョに、再びキスしたことに叫ぶミント。


 トジの若返りを研究しようとするカルノ先生。


 他の先生方も興味津々と言った様子で、トジを見ているのだった。


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