第10話 思わぬ勘違い


 さて、トジが部屋から出ていってどのくらい時間が経っただろうか。


 ミント・クルールは、猛烈に悩んでいた。


「トジの奴、こんな時間に女子と会うなんて……。いや、待て、相手はあのリージョだぞ。幽霊リージョ。ないないないない」


 頭を左右に振って、羽ペンをインクに浸す。


「けど、トジはリージョのこと知らないみたいだし、確かに、見た目だけならリージョだって悪くない。いやいや、あのトジだぞ? ……あのトジか―――」


 浸した羽ペンを持ち上げ、カルノ先生に提出する宿題の上へと走らせる。


 勿論文字の形ではなく、適当な図形や、トジの似顔絵のようなもの。果てはハートマークまで描かれる。


「あり得ない話じゃない。若い男女が夜中に会うなんて……」


 ミントは不安げに窓から外を眺める。


「なんてこった。今夜は満月じゃねーか」


 しまったと、おでこに手を当てて、やっちまったと項垂れる。


「満月は人狼じゃなくても、狼になるって村で聞いたぞ。いかん。これはいかん」


 羽ペンはもはや形を描かず、ぐしゃぐしゃな線ばかり。


 こうなっては、叫び欅は恐怖の対象ではなく何かを隠すための大木にしか思え無くなってくる。しかも、あそこは鏡の湖がある。


 ただでさえ美しい、満月の夜。鏡の湖に映る二つの満月に酔いしれながら、二人の手は重なり、そして―――


「うわー! ダメだー!」


「なにがダメなのじゃ」


「うわー!」


 ミントは驚きの声を上げる。


「ど、どうしたのじゃ」


 驚いたのはトジも同じである。


「な、なんでもない。そ、そう。宿題が、宿題が終わらなくてな」


 ハハハと乾いた笑い声をあげるミントを、怪訝な顔で眺めながらもトジはローブを脱いでパタパタと払う。


 ローブからは、土や埃が落ちていく。


 普段のミントであれば、外でやれと言っていただろう。


 しかし、しかしである。


 なんでローブに土が? それに、どことなくトジの服が乱れている気がする。

何があったか想像に容易い。ローブを地面に敷いて、服を緩め、そして―――。


「な、なななななあ、トジ」


「震えてどうしたのじゃ。寒いのか」


「そそそうじゃないんだ。いや、その、なんでそんなに、よ、汚れてんだ」


 もはや震えが止まらなかった。


 友人の門出を祝うべきか。


 それとも、そんな場所で門出を飾ったことを怒るべきか。


 この震えは、喜びか。


 はたまた怒りか。


 嫉妬の炎が燻りそうになるのを抑えながら、ミントは問うた。


「ああ、すまぬな」


 だから、トジが申し訳なさそうにそう言った時、思わず羽ペンを宿題に突き刺していた。


「どうゆうことだ」


 ミントの問いに、トジは訳が分からぬという。


「じゃから、汚れてるローブを部屋ではたいてすまぬと」


「そうじゃあに!」


「なんじゃ?」


「そうじゃない! オレは、どうして、トジの、ローブが、汚れてるかって聞いてんだ」


「何をそんなに怒っておる」


「怒ってない!」


「ならば、大きな声を出すでない。今は夜中じゃぞ」


「いいから答えろ」


「う、うむ。まあ、話せば長いことになるのじゃが」


「長いことになる!」


「じゃから、あまり騒ぐな。人に知られたくない話なのじゃ」


「人に知られたくない!」


 もはや、制御不能だった。


 ミントの中の何かが爆発して、トジの両肩をがっしり掴んでゆする。


「お前! お前、やったのか! やってしまったのか! リージョと! しかも、外で! なにやってんだ羨ましい! いや外でなんかダメだろ! ふざけんな!」


 支離滅裂である。


 しかも、ミントの力はトジの力よりも強く、抵抗しようにも大杖は壁に立てかけてて取ろうにも取れない。


「じゃから、何を、そんなに、興奮しておる」


「いいか! 初めてはなあ! 初めてはなあ! くそおお!」


 ブンブンブンと上下左右に揺らされまくって、それでもミントは満足しないのかグルグルとダンスを踊るかのように回り始めたと思ったら、ピタリと動きを止めて見つめてくる。


「トジ、お前はオレの親友だよな」


「……」


「なんで黙る。親友なら、そうゆうことも話してくれていいだろうが」


 グルグル回されながら、トジはミントの机を見た。


 そこにはポーションの小瓶とそれを吸わせたらしき布がある。


 はあ、と溜息をついて、トジは唱える。


『ユヲ』


 すると、大杖がトジの手の中に飛び込んできた。


 その杖で、ぽかりと頭を叩く。


「イタ! 何すんだ」


「それはこっちの台詞じゃ。いい加減落ち着かんか」


 ミントが頭をさすっている内に離れながら唱える。


『ザァ・ソベナニス・ソアヒネクム・ラワムリ』


 突然、ミントの身体に大量の水が降りかかる。


「うわっ、うぷっ、うわ!」


 ミントが十分に濡れてからも、しばらくは魔法を止めずに水を被らせ続ける。


 そして、もういいだろうと、若干の意趣返しも澄んだところで、魔法を止めて乾かしてやる。


「ちょっとは落ち着いたかの」


「あ、ああ。すまん」


 ともかく、座らせてからトジは問う。


「で、どうしたのじゃ」


「え、な、何が?」


「さっきの剣幕じゃ。ポーションで興奮していたとは言え、それにしては必死そうじゃったぞ」


 トジは本気で心配して言っている。


 だからこそ、ミントは言いだしづらい。


 真剣な表情のトジに、覚悟を決めたのか、咳払い一つ。


 ミントも超真剣な表情で問う。


「トジ。お前、やったのか」


「? 何をじゃ」


「……あれだよ」


「あれでは分からぬ。ハッキリゆえ」


「だから……その……」


 繰り返すがミントは超真剣な表情をしている。


 人生の分岐点を眺めるような表情で、両手でそれぞれ輪を作る。


 輪は少しだけとんがっており、そのとんがった先同士をくっつけた。


「?」


 トジは首を傾げる。


「だから、これだよ」


 ミントは真面目腐った顔で、輪の先端同士をチュッチュッとくっつける。


「笑わそうとしておるのか?」


「だあー! もういい。直接言ってやる」


 頭をぐしゃぐしゃにして叫び、それからゴクリと生唾を飲み込む。


 そして、言った。


「トジ、お前、リージョとキスしたのか」


 一世一代の質問だった。


 もし、トジが頷いたのなら、その先も言わなければならない。


 だが、出来ることならそれは口にしたくはない。


 なぜなら、それを口にすると言うことは、ある種の敗北。


 いや、関係の亀裂を生む可能性だってある。


 しかしである。


 例え、その言葉を口にして関係が悪化しようと、聞かないという選択肢はない。


 なぜなら、ミント・クルールは男だから。


 そして、トジ・ウジーノのことを友だと思っている。


 だから、聞かずにはいられないのだ。


 緊張の一瞬だった。


 トジの顔が僅かに下へと動いた気がした。


 下。つまり頷くということ。


 それが何を意味するか。


 ミントは思わず天を見上げそうになった。


 だが。


「ミント。そんな下らないことじゃったのか」


 トジの下に動いた顔は、呆れたように左右に振られたのだ。


 その瞬間、ミントは小躍りしそうになり、そして、トジの言った言葉を理解して肩をがっしりと掴んだ。


「トジ、お前、キスが下らないって言うのか」


「いや、そうではなくてのう」


「そうでもこうでもあるか。トジ、お前は分かってない。分かってないんだ」


 先ほどまでの興奮を取り戻したように、ミントはトジを揺さぶる。


「夜中に男女が二人。それがどうゆうことか分かるだろう。ダメなんだよ。オレたちにはまだ早いんだ。そのレベルに行ってはダメなんだ」


「な、何の話じゃ」


「キスの話だよ。オレたちには許されてるのは精々、手を繋ぐくらいだ。それも真昼間だけ。少しでも日が落ちたらダメだ。分かるだろう」


 トジはやれやれと頭を振る。


「ミント。お主は相当偏った知識を持っているようじゃな」


 言ってから、いや、違うと思い直した。


「ミント、お主。羨ましいのか」


 ピタリと。


 風に舞う落ち葉を踏んづけたように、ミントの動きが止まった。


「う、羨ましくなんてないぞ」


 そうは言うが、言葉は震え、トジの肩を掴んでいた手は小刻みに震えている。


 その動揺が何よりの証である。


 今度はトジがミントの肩に手を置く番だった。


「ミント。よいか。恋愛というのは焦ってするものではない。焦れば焦るだけ遠のき、大切なものを見落とす」


 などと言っているが、トジも碌に恋愛経験がある訳じゃない。


 ただ、憶測で言っているだけだ。


「それにのう。ミント。お主ならば必ず良い人が自然と現れる。焦って変に行動せんことじゃ」


 恋愛経験ほぼゼロのトジの言葉に、ミントは感動していた。


「トジ。オレ、間違ってた。間違ってたぜ」


「うむ。分かればよいのじゃ」


「ああ。これからは、自然体に。もっと心のままに動こうと思う。まずは、マジカルクッキングクラブのあの子と話してこよう」


 なんだか変な方向に前向きになってしまったが、めんどくさいのでトジは何も言わないことにした。


「よし。早速明日聞きに行くぞー」


 張り切って、ミントはベッドへ潜っていった。


「まあ、明日話せばよいか」


 今夜のことも、宿題を全く終わらせてないことも、宿題が明日提出であることも。


 すでに寝息をたて始めたミントを見ていると、トジも眠くなってきた。


「流石に疲れたのう」


 ベッドに横になり自然と、気づかぬうちに、トジの意識は闇の中へと落ちていった。

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