第8話 影の騎士


「変わっておらぬの」


 リーライン魔法学院の設立当初からあると言われるその巨木は、朝とも夜とも、そして過去とも変わらぬ姿で、そこにあった。


 百年や二百年では蓄えらぬ年輪を重ねた欅の木。


 叫び欅と呼ばれる巨木の近くには湖があった。


 校舎の裏側にある大きな湖。


 湖は鏡の湖と呼ばれ、どんな時でも波が立たず鏡のような水面が広がっている。


「月、綺麗だネ」


「そうじゃな」


 黄金に輝く満月が夜空に浮かび上がり、春の澄んだ夜風のおかげか余計に綺麗に見える。


 しばらく二人で月を眺めていると、リージョが「アッ」と声を上げた。


 鏡の湖に映った満月の光が、何かを示すように集まっていく。


 夜空に浮かぶ満月の光と、鏡の湖に映った満月の光が、ある一点を照らしていた。


「ほう」


 叫び欅。


 その根元にある地面を二つの満月が照らす。


 ただの地面があるはずの場所は、まるでベールでもかかっていたかのように、光によってうっすらと地下へと続く階段を顕した。 


「お主は知っておったのか」


「ううん。初めテ」


 リージョは嬉しそうに小走りしながら、地下の階段へと向かう。


「待つのじゃ」


 トジの制止も聞かずに、リージョは階段の元へとたどり着いた。


 その瞬間、リージョの背後に影が現れる。


 それはリージョの倍ほどの背丈があり、背丈というのだからそれは人型であり、煙のように揺れていた形がその姿を完璧に現わしていく。


「……騎士」


 全身に見事な鎧を纏い、その両手には背丈と同等の剣を掲げ、今にも振り下ろしそうであった。


「リージョ!」


 振り返ったリージョは小さく悲鳴を上げて、地下への階段に転がり込もうとする。


 しかし、どう見ても騎士の剣の方が早い。


『ウィ・ウルヒモ・リモヒタオ・ラワムリ』


 リージョの頭蓋に大剣が叩きこまれる直前、騎士の時は止まった。


 大剣はリージョの銀髪を数本斬りおとしただけにとどまり、その隙にリージョは階段へと転がり込んだ。


 リージョの姿が見えなくなった瞬間、騎士は大剣を振り下ろす。


 それは止まる前の勢いのまま、しかし、そこには何もおらず。大地を揺るがし、土煙を上げるだけであった。


「無事か!」


 トジの言葉に、階段の下から光が見える。あれはリージョが大杖に灯した光だ。


 ホッと一息つく間もなく、騎士が今度はトジの方へと向かってくる。


『ユワルケ』


 トジの大杖から、物凄い炎が噴き出される。


 だが、騎士は驚きも防御もしなかった。


 そのまま突っ込んできて、業火をものともせずに大剣を振り下ろす。


『ズゥ・モスア・ユマヲ・ホルソ・ルヅハオ・ラワムリ』


 地面が盛り上がり壁となって大剣を防ぐが、土の壁はたった一回の攻撃で無残にも壊れていく。


土煙が上がり視界の定まらぬまま、トジは次の魔法を唱える。


『ザァ・ルム・ソベナニス・ルムルソ・ヘクネヨ・ラワムリ』


 崩れていく壁から、いくつもの水の槍が騎士を襲う。


 金属同士がぶつかったような物凄い音が響き、土煙が収まっていく。


「まずいのう」


 放った水の槍はたった一つを除いて、騎士の鎧に阻まれてしまった。


 だが、問題はそこじゃない。


「胸を貫かれて動じぬとは、やはり生者ではあるまい」


 見事に貫かれた鎧の向こうには、もやもやとした黒い影が映るのみで、血もなく肉体もない。


 そして、トジの攻撃に対して効いたような素振りを全く見せないのだ。


 じりじりと下がっていくしかないトジだが、ふと足を止めた。


 騎士が動かないのだ。


 トジが魔法を使ったわけではない。リージョも階段のから頭だけ出して心配そうにこちらを見ているだけで、魔法を使った様子はない。


 トジはゆっくりと騎士へ近づいて行く。


 しかし、騎士は黙ってトジを見つめている。


 トジが左右に動けば左右に動くが、まるで境界線が引かれているように、騎士はある一定の距離以上こちらへは来ない。


 背後でリージョが階段から身を出そうとしている。


 刹那、トジを見つめていたはずの騎士は急に方向転換をした。


 叫び欅の根元、地下への階段のある場所、リージョがいる所へと。


「戻るのじゃ」


 階段の大きさは騎士が通れるほどない。転げるようにリージョは階段の中へと身を隠す。


 すると、騎士は階段の前に陣取り、そこから動かなくなった。


「まるで何かを守っているようじゃな」


 大剣の切っ先を地面へと突き刺し、門番のようにそこに立っている。


 このまま時が経てば、騎士は消えるだろうか。


 だが、それがいつかは分からない。


 夜明けまでか、太陽が完全に昇るまでか。


 人を呼んだ方がいいだろうか。


 そんなことを考えていると、ふと辺りが暗くなったような気がした。


 満月が雲に隠れ始めたのだ。


「トジ!」


 リージョの叫び声が響いた。


 見れば、満月が隠れるほどに階段が元の地面へと戻っていっている。


 リージョは階段から出ようとするが、目の前に騎士がいるので、出ようにも出られない。


 一瞬、僅かに逡巡した。


 いや、ビビッて足が止まったのだ。


「一度死んだ命じゃ」


 今更何を躊躇おうか。


 それに、自分で言ったではないか。


「後悔しないように行動すると」


 トジは境界線を踏み越えた。


 騎士はこちらを見るが、その場から動かずに、大剣だけを地面から抜いた。


 トジは恐れを無視して前へ進む。


 トジが進むごとに、騎士もゆっくりとこちらに標準を合わせるように動き始めるが、リージョが安全に出られるほど離れてはいない。


 少しずつ辺りが暗くなっていくのが分かる。


 階段はどんどんなくなっていく。


 時間がない。


 トジは騎士へと一直線に走った。


 流石の騎士も動いた。


 一歩踏み出し、大剣を大上段に構え、今にも振り下ろしそうな体制で、トジを待つ。


 間合いまで、あと三歩、二歩、一歩……。


『ウィ・ヒリ・ウルヒモ・ヒリルソ・リモヒタオ・ラワムリ』


 再び、騎士の時が止まった。


 大剣は振り下ろされる途中で止まり、その隙にトジは脇を通り抜けてリージョの元へたどり着く。


「手を」


 人一人引っ張り上げれる程度の空間は空いている。


「あぶなイ!」


 リージョが握った手を引っ張った。


 トジの身体は階段の下へと転がり落ちる。


 次の瞬間、先ほどまでトジのいた場所へ物凄い衝撃が走る。


 騎士が動き出し、大剣を振るったのだ。


「馬鹿な……」


 あの魔法は先ほど時を止めた時よりも強力な魔法だ。若返りの魔法にも使った術式である。


 それを自力で解くなどと……。


 驚いている場合ではない。


 地上へ出る道は騎士に阻まれ、そしてすでにリージョであっても通り抜けれぬほど塞がってしまった。


 僅かな月明かりだけが差し込んだ暗い階段。


「リージョよ。助かった。感謝する」


 ひとまず礼を言って、杖に明かりをともす。


 その時にはもう、月明かりすら入らぬ完全な闇に閉ざされてしまった。


「ううン。無事でよかッた」


 リージョも明かりをつけて、辺りを見回す。


 古臭い石造りの壁は二人並んで通るには少し狭く、何十年も使われていないような匂いが漂っている。


 出口のあった場所を確認してみるが見事に地面に覆われ、何やら魔法的な防御もかかっているようだ。


「奥に進むしかないようじゃな」


「探検だネ」


 リージョはいつもの調子を取り戻して、スキップしそうに体を左右に揺らす。


「用心はしておくのじゃぞ」


「はーイ」


 トジの後にリージョが続き、階段を下りてゆく。


 先の見えない暗闇に、コツコツと自分たちの足音とリージョの鼻歌だけが響き渡る。


「どこまで続いておるのじゃ」


「世界の反対側だったら面白いナア」


 冗談だろうが、本気でそう思ってしまいそうなほど階段は長く、先が見えない。


「そう言えば、昼に言っていたポーションを布に付けて噛むという話。本当かの」


「うん。冒険者がポーションをケチってたら、そうゆう効果があるのを見つけたの。でも、私はあんまりやらナい。少しでも分量間違えたら、感情が高ぶるカラ」


「感情が高ぶる。ということは、ポーションをたくさん飲んだ時と同じ効果が、小瓶の半分以下で出せるということかの」


「うん。だけど、店はそう言わない。ポーションたくさん売れたほうがイイから」


「ふむ。なるほどのう」


 少しだけ、ミントのことが心配になった。


 宿題が終わらなくて、ポーションを試してないだろうか。


 と、トジの足が止まる。


「扉じゃ」


 杖の明かりに照らし出されたのは、木製で金属の取っ手が着いた扉。


「うワー。すごク古いよ」


 リージョがそんな反応をするということは古い扉なのだろう。


 確かに、金属の輪で出来た取っ手は錆びついており、木製の部分も荒れている。


 しかし、その形状はトジにとっては普通の、つまり六十年前までは当たり前の扉だった。


 学園も、街も、どこの扉も金属の輪で出来た取っ手はない。


 そして、もう一つ。


「ルソ・クラブ……」


 扉の金板には、そう彫られていた。

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